27、焚き火の誓い
【2026/5月改訂】
「し……真祖様……」
ゲルトさんの声は、息みたいにかすれていた。
たぶん、はっきり聞き取れたのはわたしと統だけだった。
……いや、待って。
今なんて言った?
真祖様?
統に?
頭が真っ白になって、口が勝手に滑った。
「し、しそ……しそーさま? なにそれ、薬味……?」
言った瞬間、自分でも「あっ」ってなった。
最悪。ほんと最悪。
『七色。落ち着け。今のは日本語が混ざっている』
統の念話が、容赦なく現実を刺してくる。
(あ、やば……)
背中に冷たい汗が流れた。
アリアさんが怪訝そうに首をかしげる。
「どうしたの、ドレミ?」
「嬉しくて、国の言葉が混ざったんだろう」
統が何事もなかったみたいに言う。
「そういうこと。びっくりした」
それ以上は追及されなかった。
助かった。今はほんとに助かった。
『あとで説明する。今は気にするな』
(気になるけど……!)
でも、今はそこじゃない。
七千年案件に引っ張られてる場合でもない。
ゲルトさんはまだ、わたしを見ていた。
曇った目なのに、焦点だけはちゃんと合っている。
「ドレミ……おまえ……」
嫌な予感がした。
お願い、今は変なこと言わないで。空気がぎりぎりだから。
「……雰囲気が、変わったな。匂いも……」
「そ、それは……まあ……いろいろ……」
「……そうか」
ゲルトさんは小さく息を吐いた。
それだけで、痛そうだった。
「言葉は……わかるのか」
「うん。いま、だいたい……平気」
「……それは、よかった」
かすかに口元がゆるんで、すぐに消えた。
「フィーネがいたら……きっと喜んだ」
胸が、ぎゅっと縮んだ。
「フィーネさんは!? 無事!?」
思いきり前のめりになる。
ゲルトさんはすぐには答えなかった。痛みをこらえるみたいにまぶたを閉じて、呼吸を整える。
「……わからん。俺は、見ていない」
その一言が、逆に重い。
「でも、生きてる、かも……だよね? 助け、いるなら、行く。わたし、行く」
言葉が前につんのめる。
頭の中ではもっといろいろ言いたいのに、口から出ると短く切れる。
統が静かに口を開いた。
「助けが必要なら動くつもりだと言っている。危険は承知の上だ」
ゲルトさんはしばらく黙っていた。
それから、痛みを押し殺すように眉を寄せる。
「……話す。だが、長くは無理だ」
「うん」
わたしは、うなずいた。
ゲルトさんの話は短かった。
短いのに、十分すぎるほど痛かった。
わたしが魔獣の襲撃で行方不明になってからのことを、丁寧に話してくれた。
どこかで予想してたんだと思う。
わたしは途中で取り乱したりはしなかった。ただ、燃える火をじっと見ていた。
「そう……。死んだのね。わたしのバッグを守って……」
「おまえのせいじゃない……」
ゲルトさんの言葉が、ほとんど届かなかった。
浮かぶのは、あの人の笑顔。
言葉が通じなくても、いつも気遣ってくれた手。
守るように前へ出てくれた背中。
胸の奥の“深い心臓”が、ぞくりと震えた。
「……そのあと、ディルクとローデリヒが捕らえられるのを見たが、その後はわからない」
仕切りの向こうから声がした。 ベルロウさんだった。
「お、気ぃついたか。しぶといじゃん」
「……助かった」
「そりゃなにより」
それだけのやりとりなのに、ちゃんと通じ合ってる感じがする。
大人ってずるい。
「……そこから先は、あーしが話すよ」
わたしたちは奥の寝床を出て、前室の焚き火のところへ戻った。
火は小さいけど、ここに来ると少しだけ息がしやすい。
ベルロウさんが焚き火の向こうに腰を下ろす。
猫みたいな目をしてるのに、空気はぜんぜん柔らかくない。
アリアさんがベルロウさんを見る。
「ベルロウ、続きお願い」
「ん。じゃ、なんで代官どもがゲルトとドレミを追ってんのか、その話ね」
ベルロウさんは焚き火に枝を一本くべてから、低く言った。
「ゲルトたちが魔獣に襲われた夜、代官の息子グソックがティンバーウルフの巣の近くで、遊び半分に子どもを殺した」
息が止まった。
「群れは当然荒れる。追われたグソックは逃げる途中で野営地に来た。でも危ないとわかったら、あんたらを置いて真っ先に逃げた」
「……囮……したの」
自分の声が、自分のものじゃないみたいに聞こえた。
「そういうこと。しかもそいつ、逃げるときにドレミを見てる。変わった服の少女がいたって、親父にしゃべった」
胸の奥で、深い鼓動がひとつ鳴った。
「じゃあ……あの襲撃……」
「元をたどれば、全部グソックが引き起こしたってことさ」
焚き火がぱち、と鳴る。
その音が、やけに大きく聞こえた。
アリアさんが続ける。
「代官があんたを探してる理由のひとつは、持ち物の価値だよ」
「価値……?」
「未知の素材。見たことのない作り。精密な道具。つまり、“これを作れる場所”を知りたいの」
「金に、なる……から」
わたしがそう言うと、統が続けた。
「売れる。独占もできる。利用価値があると見ている」
その声は静かだったけど、焚き火のまわりの空気が少しだけ張った気がした。
「そういうこと」
ベルロウさんが吐き捨てるように言う。
「あーしらは、あんたを売らない」
そのあと、アリアさんがすぐに続けた。
「でも、ゲルトを連れて逃げるだけじゃ終わらない。真実は埋まったままだし、フィーネたちが何のために死んだのかも、都合よく塗り替えられる」
その言葉が、胸に刺さった。
「……いや」
声がうまく出ない。
「フィーネさん、わたし、守って……それで……」
その先が喉につかえて、出てこない。
胸の奥の“深い心臓”が、強く鳴る。
痛いのに、冷たいのに、そこだけ妙に熱い。
統がまっすぐわたしを見た。
「七色。お前の意思を言え」
逃げられない問いだった。
でも、たぶんずっと必要だった問いでもある。
深く息を吸う。
焚き火の匂いと、湿った土の匂いと、血と薬草の残り香が胸に入ってくる。
「……行く。代官所」
言った瞬間、空気がぴんと張った。
「フィーネさん、守ったバッグ……取り戻す」
指先の震えを、ぎゅっと握り込む。
「それで……終わり、だめ。なに起きたか、全部……出す。隠させない」
統が、静かにあとを継いだ。
「代官所へ行き、バッグを奪還する。そして何が起きたのか、すべて明らかにする。そういうことだな」
わたしはうなずいた。
もう一度、自分の口でも言う。
「……うん。そう。全部、明らかにする」
焚き火が、ぱちりと大きく弾けた。
アリアさんが、ゆっくり口元を上げる。
「──決まりだね」
「決まり……?」
「オーミに潜るのよ。代官所も商会も、腹の底までひっくり返してやる」
ベルロウさんも鼻で笑う。
「いいね。あーしもそういうの、嫌いじゃない」
ノッポさんは肩をすくめた。
「結局、そうなるか」
統は何も言わなかった。
ただ、焚き火の向こうからわたしを見ていた。
その目は、止める目じゃなかった。
闇の奥で、焚き火が静かに燃えている。
頼りないはずの小さな火なのに、今は妙に消える気がしなかった。




