24、暗がりへの決意
「──見つけたわよ。たぶん、あんたらが探してる“人”」
「ほんとに!?」
自分でもびっくりするくらい声が跳ねた。
テーブルに置いた手が、じっとり汗ばんでる。
アリアさんは一瞬だけ、言いにくそうに視線をそらす。
「……正確には、“見つけた”っていうか。“見つかったらしい”って感じ」
「イヌミミさん、無事な?」
胸がどくん、と鳴った。
答えが欲しくてたまらないのに、聞きたくない気持ちも同じくらい居座ってる。
お腹の底に冷たい石を飲み込んだみたい。
アリアさんは手袋を外して、指先を揉むみたいにぎゅっと握ってから、絞り出すように言った。
「……片腕がなかった。右。根元から、綺麗に飛んでた。血は止まってたけど、衰弱がひどい。意識も途切れ途切れで、まともに喋れる状態じゃない」
息が止まった。
頭の中で、元気に笑ってたイヌミミさんの姿を引っ張り出そうとするのに、アリアさんの言葉がそれをぐしゃっと潰してくる。
でも、どれだけ酷いことが起きたかだけは、わかっちゃう。
「生きて……る、の?」
喉がカラカラで、声が掠れた。
「うん。かろうじてね。『仲間は……』って、私にすがるみたいに言いかけたけど……そこから先は、意識が飛んだまま」
アリアさんは水を一口飲む。
その手が少し震えてて、あ、この人も相当無理したんだなって、嫌でも伝わってきた。
「場所は、村の北へ一刻くらい。街道から少し外れた藪の陰で見つかったらしい。誰かに追われて、逃げ込んで……そのまま倒れたって感じだって」
「追われた?」
統の声が、ほんの少しだけ低くなる。
目も細くなった。
「……追手の想像はつくけどね。だってあの傷、獣の仕業じゃない。刃物でスッパリやられてる」
体の芯が、すうっと冷える。
森の魔獣より、もっと近い恐怖。
刃物を持った“人”がいるってだけで、世界の色が一段暗くなる。
「今もそこに?」
「いや、別のところに移した」
「連れて来なかったの」
思ったより強い声が出た。自分でも驚く。
せめて同じ村にいてくれたら、それだけで違う気がしたのに。
「ああ、目立つわけにはいかないのでね。人を付けてある。大丈夫だよ」
「それは看護か? 監視か?」
統の声は静かだけど、逆に刺さる。
「……まぁ……両方かな」
アリアさんは目を細めた。
簡単な事情じゃないのが、顔に書いてある。
「場所どこ。今から行く!」
気づけば椅子から立ち上がってた。
視界の端で他のお客さんがこっちを見るけど、そんなのどうでもいい。
「悪いが場所は言えない。言ってもわからないだろうし……明日、連れて行くよ」
「どうして!」
テーブルの端を握る指に、ぎゅっと力が入る。
視線だけで食ってかかったら、統が横から割り込んだ。
「七色。無駄だ。今日会ったばかりだ。そこまで信用されてない。違うか?」
「……悪いが、そうだね」
アリアさんは目を逸らさずに言った。
正直なのが、なおさら悔しい。
「そんな……」
わかってる。わたしたちは“よそ者”だ。
それでも。
どこかで今にも壊れそうな人が、ひとりで横になってるかもしれないのに。
***
明日も早いからって部屋に戻ったけど、わたしはほとんど眠れなかった。
薄い布団の中で寝返りを何度も打って、天井の木目を数え尽くした頃には、時間の感覚がぐにゃぐにゃになってた。
焦りのせいなのか、体質が変わったせいなのか。
もう、どっちでもいい。とにかく胸の奥がうるさい。
(……本当に見つかった獣人って、イヌミミさん?)
(……だったらフィーネさんたちは? 他のみんなは?)
「ねぇ統。今から探しに行かない?」
隣のベッドから返ってくるのは、小さな気配だけ。
暗闇に目が慣れて、統の輪郭がぼんやり浮かぶ。
「村から一刻。距離にして十キロ前後。北と言ってたが本当かも分からん。闇雲に探すより、明朝に同行する方が早い」
理屈はわかる。
わかるけど、感情って理屈で止まってくれないんだよね。
「でもさ……」
ちょっとだけ泣きそうになって、急いでごまかす。
「……なんで教えてくれないんだろ。親切そうなお姉さんなのに」
アリアさんの笑顔と、さっきの冷たい目が頭の中でぐるぐる回る。
どっちも本物っぽいのが、余計にややこしい。
「あっちの用事が何かは分からんが、獣人の件もそれに関係してるんだろう。その情報をくれただけでも相当の好意だ。お前が人でないことに気づいているのにな」
「え? 気づいてる? なんで? なんでわたしだけ? そっちが大元じゃん」
「隠し慣れてる。だが安心しろ。アリアが多分特別だ。普通にしていれば滅多に気付かれん」
また“慣れ”かぁ……。
慣れるって便利な言葉だよね。なんでも丸められる。心まで丸められそう。
ため息を飲み込んだ、そのとき。
「来たか」
統の声が、急に変わった。
さっきまでの穏やかさが、ひとかけらもない。
直後、小さなノックが響く。
「夜分にすまない。緊急事態だ」
ドア越しにアリアさんの声。
低くて、急いでるっぽい。
「なんだ」
統はもうドアのそばにいた。
慎重に招き入れると、扉の隙間から冷たい空気が流れ込む。
「オーミの衛兵隊がこの村に入った。急で悪いけど、すぐここを立ちたい」
「さっきから村がざわついていたのは、そのせいか。七色、荷物をまとめろ」
統の指示は短い。迷いもない。
わたしも反射でベッドから飛び降りた。
荷物って言っても大したものはない。
偽装用のバッグと、これも偽装用の短剣。それだけ。
「ねぇ、なんで衛兵が来たら逃げるの?」
靴を履きながら聞くと、統は窓の外をちらっと見てから答えた。
「アリアの用事か……私たちの件。もしくは両方だ」
「わたしたち?」
「村を歩いてる時、おかしな視線を時々感じていた」
「そうなんだ……」
夕方の視線。さっきの酔っ払い。
全部ただの好奇心だと思ってたのに。違ったのかもしれない。
──まあ、これもきっと「慣れろ」で済まされるやつだ。今は聞かない。
動くのが先だよね。
「早いな。最初からこの宿を目指してたようだ」
「え?」
外が急に騒がしくなる。
宿の主人の怒鳴り声、複数の足音、金属の鳴る音、荒っぽい戸の開閉。
アリアさんが舌打ちした。
「……やば。もう来た」
その一言で、現実が一気に殴ってきた。
廊下で扉が叩かれる。
「代官所の者である!! この宿に、金髪の女と子供二名が宿泊していると聞いた!」
声が板壁を震わせて、部屋の空気まで揺れる。
わたしの心臓もつられて跳ねた。
統が指を立てる。──声を出すな、の合図。
わたしは息を止めた。喉から肺まで、きゅっと固まる。
その瞬間。
──どくん。
胸の奥のもっと深いところで、脈が妙に強く跳ねた。
(……え……?)
汗が浮いて、体温が一瞬上がる。
視界が揺れて、廊下の足音が“近すぎるほど”はっきり聞こえた。
耳が良くなった、みたいな感覚。
壁一枚向こうの息遣いまで、手触りみたいに伝わってくる。
それだけじゃない。
扉の向こうの“気配”が、なんとなくわかる。
(……二人……? 三人? でも一人、やたら怒ってる……?)
意識を向けるだけで、向こうの感情の温度がじわっと染みてくる。
理解は追いつかないのに、身体だけが勝手に受信してる。
「七色、大丈夫か?」
統の囁きだけが、やけに現実的で、わたしを地面に引っ張り戻した。
「……うん……でも、なんか、変……」
自分の声なのに、少しだけ他人の声みたい。
統がわたしの手首に触れて脈を測る。
ひやりとした指先が、さっきの熱を少し奪っていく。
「……速いが不整じゃない。進行が加速してるだけか」
「しんこう……?」
「あとで説明する」
扉を叩く音が強くなる。
今にも壊されそう。
「返答しろ! 不審な者ではないか、確認する!」
統がアリアさんに目で合図した。
アリアさんは一瞬だけにやりとして──すぐ動く。
窓に駆け寄って外を一瞥。
「行くよ。さっさと」
「窓……?」
聞き返す暇もない。
「いいから、ジャンプ!」
統がわたしの手を引いて、アリアさんが迷いなく窓を蹴り破った。
慌てる余裕もない。
ガラスと木枠が派手に飛び散って、外の風が一気に吹き込む。
冷気が頬を切って、頭が冴えた。
三人で裏の畑に転がり落ち、そのまま闇へ走る。
背後の怒鳴り声と、宿の主人の悲鳴が、どんどん遠ざかっていった。
裏道から村外れの防壁を越えて、森へ。
焚き火もない真っ暗な林の中で、ようやく足を止めた。
土と湿った木の匂いが鼻いっぱいに広がる。村の灯りはもう見えない。
ここから先は、夜の世界だ。
「……七色。本当に大丈夫か?」
統がもう一度聞いてくれた。
暗闇の中で、彼の目だけがかすかに光を拾ってる。
「うん……みんなの声が前より聞こえて……あと、心臓が変。ドキドキが……なんか、違う……」
胸に手を当てる。
鼓動が速いだけじゃない。もっと深い場所で鳴ってる感じがする。
わたしの声、震えてた。
アリアさんが、わたしの額に手を当てる。
さっきの戦闘モードとは違う、ちょっとだけ柔らかい手つき。
「熱い……いや、ただの熱じゃないね。なんか……“濃い”」
「濃い?」
わたしは瞬きをした。濃いって何。スープ?
「生命力っていうか……やっぱり、あんた普通じゃないわね」
今さら!? って言いたいけど、言えない。
だって、わたしもそう思ってる。
統が静かに言う。
「七色。怖いか?」
「……ちょっと……でも……フィーネさんの仲間を助けたい」
口に出してから、自分でも驚いた。
怖いのに、それより強い気持ちがある。
統は頷く。
「なら、この変化は“そのための力”だ。お前の体が“なりたい姿”に向かって動いている」
その言葉で、胸が少し軽くなった。
勝手に変わっていく体に、意味をひとつもらえた気がしたから。
「アリアには聞きたいことも多いが……まずは移動だ。話は獣人の見張りと合流してからだな」
「わかった。夜明けまで潜む?」
木にもたれて、アリアさんが言う。
息、全然上がってない。さすが冒険者。
「いや、夜のうちに行く」
「夜の森は危ないよ。ドレミの体調も──」
「問題ない。行くぞ。アリア、案内を」
統が立ち上がる。
その背中は、さっき逃げたときとは違ってた。
逃げる背中じゃない。向かう背中。
「了解。ほんと、子どもとは思えないねぇ」
アリアさんは苦笑しつつ、腰の武器の位置を確かめる。手慣れた動き。
っていうかさ。
なんか二人とも決断早すぎない? わたしの意見は? 一応おねーちゃん役なんだけど?
……まあ、今はそれどころじゃないか。
「はーい。了解でーす」
バッグの紐を握り直す。
手の平に布の感触が残って、それが小さい安心になる。
胸の奥で、また脈が強く跳ねた。
怖さじゃない。
誰かを助けなきゃっていう気持ちに、体が勝手に追いつこうとしてる。
わたしたちは、イヌミミさんのところへ。
もっと暗い方へ──踏み込んでいった。




