15、二匹目、身体が勝手に動いた
【2026/5月改訂】
目の前のティンバーウルフは、さっきのやつより大きかった。
犬というより、筋トレに人生を賭けた熊みたいな肩幅をしている。
そいつはわたしを見たまま、低く静かに唸っていた。
わたしは刀を構えた。
構えた、と言っても舞台で習った“それっぽい形”だ。横で見ていたら先生は絶対、「足が開きすぎ!」とか言う。
狼が一歩、前に出る。
それだけで、わたしの身体がびくっと反応した。
なんか今、笑った気がした。
いや、たぶん気のせいなんだけど、イラッとする。
あんた、こっちのビビり方を知ってる顔してるわよね。昨日わたしを食べたやつの親戚か何か?
ふいに、背後から統の声がした。
「七色、息を吸え」
言われるままに息を吸う。
思ったより深く入った。肺が少し広くなったみたいだった。
「そら、行くぞ」
「行けって言われても!」
「来るぞ」
来るのか行くのかどっちなのよ。
そう叫ぶより先に、狼が跳んだ。
昨日、わたしの左足を持っていったときと同じ跳び方だった。
でも、昨日と違うことが一つだけある。
──わたしが逃げなかったことだ。
「……っらぁ!!」
声が勝手に出た。
刀を上から振り下ろすより先に、狼の顎めがけて下から突き上げる。
鈍い手応えがあった。
腕に嫌な衝撃が走る。
でも、その一瞬だけ狼の動きが止まった。
止まった瞬間、身体が勝手に動いた。
統に教わった覚えはない。殺陣で習った覚えもない。
吸血鬼仕様なのか何なのかよく分からないけど、とにかく動いた。
下段から、横へ薙ぐ。
「……え?」
狼の身体が、視界の中でずれた。
次の瞬間、すぱっと二つに割れた。
血が飛ぶ、と思った。
でも飛ばない。
刃に触れた血は、空気に触れた瞬間に黒い煙みたいに消えた。
なんだこれ。
吸血鬼仕様ってやつ?
狼の身体がぐしゃりと崩れ、草むらに沈む。
「……やった?」
「やったな」
統が、いつの間にかわたしのすぐ後ろに立っていた。
「わたし、今……やったの?」
「通算二匹目だ。悪くない」
「うそ……」
声が少し震えた。
嬉しいのか、怖いのか、自分でもよく分からない。
快感なんて大げさなものじゃない。
ただ、生き延びたっていう安堵と、変な熱っぽさがごちゃ混ぜになっていただけだ。
「残りはどうす──」
言いかけた瞬間、暗がりの向こうから鋭い咆哮が響いた。
ギャアアァァァッ!!
「っ!」
残っていた狼たちが、わたしと統を見たまま身をすくめ、尻尾を巻いた。
昨日の黒い狼の威圧とは違う。
もっと露骨な、怯え方だった。
次の瞬間。
統が、もうそこにいた。
足音もなく、気配もなく、ただ一瞬で。
狼たちの真ん中へ滑り込んでいる。
「終いだ」
刀が一閃した。
縦に振り下ろされる。
風だけが、一拍遅れて吹いた。
それで終わりだった。
狼たちの影が裂け、形を失って散る。
地面に落ちる音すら、よく分からなかった。
風のせいかもしれない。
統の技がそういうものなのかもしれない。
とにかく、統は淡々としていて、狼はあっさり死んで、世界だけが何事もなかったみたいに静かだった。
「……化け物ね、統」
「お前が言うな」
「わたしは可愛い吸血鬼よ」
「可愛いは主観だ」
「そこ否定しないでよ!?」
思わず叫ぶ。
統はほんの少しだけ目を細めた。
笑っているのかどうか、相変わらず分かりにくい。
「それと、自分のことを吸血鬼と呼ぶな」
「え、だめなの?」
「自虐で言う分には勝手だが、実際には血を吸う必要はない。誤解を招く」
「じゃあ何て言えばいいのよ」
「せめてヴァンパイア。あるいは不死者だな」
そう言って、統はわたしが倒した狼を見下ろした。
「二匹倒したのは大したものだ。その身体にも、だいぶ馴染んできたらしい」
「……ほんとに?」
「本当だ。あとは慣れだ」
慣れ。
慣れねぇ……。
狼を二匹斬って慣れろって、どういう人生なのよ。
でも、悪い気はしなかった。
昨日の“死”と、今日の“生”。
その差のせいか、胸の奥に小さい火みたいなものが残っていた。
わたしは刀を見た。
手はまだ少し震えている。
「七色」
「なに」
「震えているうちが一番いい。震えなくなったら、つまらん」
「何その哲学……」
「七千年生きた結論だ」
「説得力あるのが悔しい」
統はもう狼の死体に興味をなくしたらしかった。
それらを避けるように歩き、わたしを手招きする。
「行くぞ。フィーネたちが向かった方へ進む」
「うん……」
刀を握り直して、わたしは統の背中を追った。
夜風が、さっきまでそこにあった血の匂いを少しずつ押し流していく。
草の上には狼の足跡と、わたしの足跡。
その二つが並んで、街道の方へ伸びていた。
歩きながら、わたしはこっそり思う。
──わたし、ちょっと強くなれたかもしれない。
そう思えるくらいには、今日の夜は長くて、血の匂いは濃くて、統の背中は小さいくせに妙に頼もしかった。
手の中の刀は、まだ少しだけ温かかった。




