14、初陣、ザ・チャンバラ
【2026/5月改訂】
ティンバーウルフ。
昨日わたしを八つ裂きにした、あの大型犬の親戚みたいな魔獣たちだ。
統の言葉を聞いた瞬間、わたしの背骨は、さっきまでの余裕を全部どこかへ置いて、昨日の森まで一直線に逆戻りした。
ほら、よく言うでしょ。
トラウマって、薄皮を剥がすみたいに戻ってくるって。
あれ、たぶん嘘だ。
わたしの場合、カーテンレールごと外れる勢いで戻ってくる。
五つの光が、闇の奥に並んだ。
目だ。
あの、光る目。
「……ひぃ」
声が勝手に出た。
情けない。でも仕方ない。
だって、あれ昨日わたしの足を持っていったやつらだ。
そりゃ声くらい裏返る。
統は、刀の柄に軽く指をかけたまま言った。
「一匹はお前にやらせる」
「無理でしょ!?」
「やってみろ。日本人だし、刀は扱ったことがあるのだろう?」
「今どきヨーロッパの片田舎の人でもそんな認識持ってないわよ! ……いや、まあ、触ったことはあるけど! 舞台で! 殺陣の練習で! チャンバラ程度だけど!」
「なら十分だ」
「全然十分じゃない!」
統はまるで聞いていなかった。
次元収納に手を突っ込み、もう一本の刀をわたしに差し出してくる。
「持て」
わたしは反射的に両手で受け取った。
……あれ。
思ったより軽い。
日本刀というより、舞台用の模造刀を本気仕様にしたみたいな重さだった。
刃文がかすかに光っていて、握っているだけで妙に背筋が伸びる。
「なにビビってる。死なないだろう」
「言い方ァ!!」
死なないけど痛いのは嫌なのよ。
わたし昨日めちゃくちゃ痛かったんだから。
「一匹だけだ。殺されはしない」
「その保証がもう怖いの!」
「なら斬れ」
「全部わたしに丸投げした!」
言い合っているあいだにも、ティンバーウルフたちはじりじりと距離を詰めていた。
五匹。
灰色の毛並みが月光を吸って波打つ。
牙が白く光る。
二つの太陽の残り火と夜の境目の中で、あいつらだけが妙にくっきり見えた。
「……せめて一番弱そうなの選んでよ」
「弱いのはもう殺した。残っているのは、昨日お前を追い回した連中だ」
「人選が悪い!!」
「獣だ」
「そういうことじゃなくて!!」
もういい。
統にまともな会話を期待する方が間違ってる。
膝の裏がじんじんする。
あの唸り声を聞くだけで、人間の身体ってほんと正直だ。
「いいか。最初は避けなくていい。真っ直ぐ受けろ」
「受けるって……何を?」
「攻撃を」
「無理よ!!」
「奴らの牙程度なら致命傷にはならん」
「そういう問題じゃなくて、痛いのが嫌なの!!」
その瞬間、一匹が飛んだ。
弾丸みたいだった。
空気がびゅっと裂ける。
反射で身をすくめ、刀を胸の前に出した。
殺陣でやった「とりあえず形だけ構え」が、こんなところで出るとは思わなかった。
がつん、と衝撃が走る。
でも痛いというより、重い。
受け止めた、というより、体ごと押されて草の上に転がった。
狼は距離を取って着地し、また低く唸る。
「ほう。悪くない」
後ろで統が言った。
「悪いわよ! 今ので普通死んでるわよ!」
「死なないから問題ない」
「だからそういう問題じゃ──」
言い終わる前に、二匹目が横から飛び込んできた。
咄嗟に刀を横へ払う。
牙が刃にぶつかって、火花が散った。
ティンバーウルフはそのまま地面に叩きつけられ、転がる。
……あれ。
これ、意外といける?
「一匹やれと言ったが……二匹やるか?」
「やらせる気満々じゃない!!」
でも、心のどこかで変なスイッチが入っていた。
統が平然としているせいかもしれない。
死なないと言われると、妙なところで強気になるのが人間の悪いところだ。
「ほら、一匹来るぞ」
「ひぃ」
「斬れ」
「ひぃを無視した!!」
三匹目が飛んだ。
今度は正面。
距離が近い。避けられない。
だったら──
わたしは刀を下から思いきり振り上げた。
演劇のとき、殺陣の先生に言われた言葉が、ふっと頭をよぎる。
――斬るんじゃない。通すだけだ。
その言葉のまま、腕を伸ばした。
すっ、と空気を割る音がした。
次に、重い抵抗。
肉の奥を刃が抜ける感触。
一瞬だけ、獣の体温が刀を通して腕に伝わってきた。
ティンバーウルフの身体が横に滑る。
どさり、と音を立てて落ちた。
動かない。
「…………え」
わたし、今、斬った?
「ほう。見たか、七色」
統が淡々と言う。
「……わたし、今、斬った?」
「斬った」
「マジで?」
「マジだ」
「演劇でチャンバラやってただけなのに?」
「関係ない。身体能力が跳ね上がっている」
言われてみれば、腕がやけに軽い。
視界も妙に澄んでいる。
夜なのに、世界の輪郭がくっきり見えた。
「残りは三匹だ」
「増えてる!?」
「一匹は私がやった」
「それ早く言って!!」
残ったティンバーウルフたちは、姿勢を低くしてわたしたちを囲んでいた。
目は完全に狩りのそれだ。
でも、さっきまでの絶望感は、少しだけ薄れていた。
わたしは斬れた。
一匹、確かに倒した。
その事実が、胸の真ん中で小さく熱を持っていた。
「行け。もう一匹はお前だ」
統の声が、少し遠く聞こえる。
足を踏み出す。
草を蹴る。
刀を握る手は、まだ震えている。
怖い。
でも、止まらなかった。
ティンバーウルフの目が、わたしを捉える。
わたしも、その目を見返した。
次の瞬間、二つの影がぶつかった。
夜の草原で。
わたしとティンバーウルフの、本当の戦いが始まった。




