13、夜の街道と十七匹のゴブリン
【2026/5月改訂】
森は、つい昨日まで恐怖の象徴だった。
だって、わたしはここで一度死んだ。
いや、死んだふりだったのかもしれないけど、主観としては完全に死んだ。
なので「楽しくない思い出の場所」としては、堂々の第一位である。
けれど堤門統は、そんなわたしの事情なんて気にも留めていないらしかった。
道ばたの草をちぎっては「ふむふむ」などと言っている。
七千年生きた吸血鬼のすることが、散歩に来た小学生みたいで困る。
その背中を見ていると、頭が変なふうにこんがらがる。
小学生みたいな見た目で七千年。しかも本人はその違和感を一ミリも気にしていない。
聞きたいことはあった。
でも、子どもの姿をしている相手に聞くには、どうにも気まずい内容でもあった。
「なんだ?」
統は振り返りもせずに言った。
心でも読んだのか。嫌な特技だな。
「えっと……わたしの身体。ちょっと不都合があるっていうか」
「不都合?」
「違う! 今、明らかに胸見たでしょ!」
「ではどこだ?」
「“では”って言った! 絶対見た!」
「話が進まん」
こいつ、この見た目で煽ってくるの、だいぶ反則では?
「……その、下の方にあるべきものが、ないというか……」
「ああ、生殖器官か」
即答だった。
ためらいが一切ない。
こっちは羞恥心が現在進行形で膨れ上がってるんですが。
「不都合ではない。生殖の必要が無いので不要と判断されただけだ。必要なら再構築できる」
「つ、使いません!」
「なら問題ない」
「問題あるでしょ! 食べたものとかどうするの!」
「排出しない。すべて利用される。余剰分は魔力として蓄積される」
あ、人間じゃないんだ。
完全に。
「……でも、お風呂とか、病気とか、怪我とか。見られたらどうするのよ」
「病気にはならない。怪我もしない。必要なら身体に慣れた頃に自分で調整しろ」
そんなスカートの丈みたいに言われても困る。
「再生時は生命力との兼ね合いで、必要な部分が優先された」
なるほど。
必要最低限で組まれた結果、いろいろ省略されたわけか。
胸部装甲の貧弱さも、命のスタメン選考で落ちた結果なのかもしれない。
……いや、それはそれでだいぶ悲しいけど。
統は平然と歩き続ける。
細い背中。小さい歩幅。それなのに妙に速い。
その背中を見ていて、ふと気づいた。
――この人は、孤独に慣れすぎている。
そういう背中だった。
森を抜けると、空が一気に広がった。
二つ目の太陽がちょうど沈みかけていて、世界を淡い橙色に染めている。
まぶしい。
でも、胸の奥にしみるみたいな光だった。
「街道だ。歩きやすい」
統が短く言う。
舗装なんてされていない、ただの土の道だ。
それでも森の中の獣臭さや、あの嫌な圧迫感とはまるで違っていた。
胸の真ん中が、少しだけきゅっとなる。
「フィーネたち……無事だったって言ってたけど、やっぱり少し心配だな」
出会ってから一日も経っていなかったはずなのに、優しい人たちだった。
「無事だ。四日ほど周辺をうろつき、馬車で去った」
「そっか……」
安心した瞬間、胸のどこかに小さな穴が空いたみたいだった。
少し前まで手を伸ばせば届く場所にいた人たちが、もう遠くへ行ってしまっている。
追いつけるかはわからない。
でも、行きたい。
「とりあえず、あの人たちが行った方向へ向かうってことでいい?」
「好きにしろと言った」
統の歩幅は小さいのに速い。
夕陽に照らされたその背中は、どこか長い影を引きずっているようにも見えた。
「夜になるが問題ない。君も夜目が利く」
「夜目が利くって……もう完全に人間じゃないのね」
「文句を言うな。利点だ」
利点。
まあ、死ぬよりは百倍ましだ。
そう思った瞬間だった。
――がさっ。
道ばたの茂みが、いやに控えめに揺れた。
控えめなのに、こっちの心臓だけは盛大に跳ねる。
わたしは反射的に背筋を固くした。
「三十歩先。十五……いや、十六。……十七か。ゴブリンだな」
統が、筋トレの回数を数えるみたいな調子で言った。
その直後だった。
緑色の塊が、ぬめっと道へ飛び出してきた。
ゴブリン。
背丈は小学生くらい。
そのくせ腕や肩には変に筋肉がついていて、手には短槍。牙を剥き、目だけ妙にぎらついている。
わたしは一歩下がった。
統は一歩前へ出た。
その二歩の差に、戦闘経験値の天と地がある気がした。
「魅了でいいか。お前は下がっていろ」
統が、指を軽く振った。
蚊でも払うみたいな気軽さだった。
空気が、ぐにゃりと歪む。
風がふっと巻いたと思った次の瞬間、ゴブリンたちの目から光が抜けた。
動きが止まる。魂の向きだけひっくり返されたみたいに。
そして――次の瞬間には、互いに殴り、突き、噛みつき合っていた。
「うわ……えぐ……」
「魅了は低ランクの人型には通る。だが」
統はため息をついた。
「同士討ちは時間がかかる。面倒だ」
そう言うと、当然みたいな顔で空間に手を差し入れた。
次元収納。相変わらず理不尽な便利さである。
そこから引き抜かれたのは、細身の刀だった。
鞘を払った瞬間、銀の光が夜気にすっと伸びる。
「すぐ終わる」
言葉が終わるより早く、統の姿が掻き消えた。
風を裂く音が、連続する。
三つ。四つ。五つ。
数えるのをやめた頃には、もう全部終わっていた。
小さな影が、線みたいに夜の中を走る。
その線が緑の影を横切るたび、血が花火みたいに散った。
そして、ほんの刹那。
ゴブリン十七匹の首が、まとめて落ちた。
誰も悲鳴を上げる暇すらなかった。
見えない巨大な裁ちばさみで、一度に切り揃えられたみたいだった。
「…………」
言葉がどこかへ逃げた。
「こんなものだ」
統は血のついていない刀を、当然みたいに鞘へ戻した。
なぜ血がついていないのか。たぶん物理法則と喧嘩して勝ったんだろう。深く考えない方がいいやつだ。
「さて、問題はここからだ」
「ここから?」
統は夜の草原へ視線を向けた。
「血の匂いが広がった。狼型の魔獣が寄ってくる」
その瞬間、背筋が冷えた。
直後、風を裂くような、低く鋭い鳴き声が遠くから響いてきた。
ティンバーウルフ。
昨日、わたしを殺した連中の仲間だ。
喉の奥がひゅっと細くなる。
心臓が、思い出したみたいに早鐘を打った。




