12、七千年ぶりの同行者
【2026/5月改訂】
窓の外をぼんやり眺めていたら、ドアが控えめにノックされた。
反射で「どうぞ」と返す。
入ってきたのは、十歳くらいに見える子どもだった。
顔立ちはあどけない。けれど目だけが妙に年寄りくさい。
全体として、完成度の高い子ども、という感じだ。女の子にも見えるし男の子にも見えるけれど、動きに変な直線感があるので、たぶん男の子。
「ふむ。少し縮んだか」
開口一番、それだった。
挨拶より先にサイズ確認。
なんだろう、この事務的な生還後対応。
彼はわたしをひと目見ると、どこからともなく衣類を取り出した。
いや、取り出したというか、空間から出てきた。
ポケットに手を入れたと思ったら、そこから服一式がすぽん、と。
手品とかマジックとか、そういう可愛い範囲ではない。
「これに着替えるといい」
そう言って、ベッドの上に服をふわりと置く。
素材は綿か麻か。軽そうで、ほのかに良い匂いがした。
ありがたい。
ありがたいけど、問題がある。
「あの、服はありがたいんですけど……そこでじっと見られてると……」
「ん? 気にしなくていい。サイズが合わなければ別のを出す」
問題しかない。
というか、君そのものが問題だよ。
「気にしてください。見ないで待っててください」
わたしがきっぱり言うと、彼は小さく首をかしげた。
その仕草だけ妙に小動物っぽくて、少しずるい。
「わかった。目を閉じよう」
そう言って、本当に目を閉じた。
ぴたりと。
びっくりするくらい、ぴたりと。
微動だにしない。
こっちが不安になるほど、動かない。
わたしは急いで服を掴んだ。
軽い。
柔らかい。
肌触りがよくて、妙に体に馴染む。
着替えながらちらっと相手を見ると、本当に止まった人形みたいに動いていなかった。まばたきも気配もない。呼吸すら怪しい。
……うん、やっぱり怖い。
着替え終えて、わざとらしく咳払いをする。
「はい、終わりました」
すると彼は、ぱちりと目を開けた。
切り替え早っ。
「似合っている。一応、十三歳程度にはなったか。うーむ……部分的に少しボリュームが足りなかったか……」
「どこ見て言った!」
反射で声が出た。
いや、そこも気になるけど、それより引っかかることがある。
「って、十三歳程度ってどういうこと?」
「この世界で一人でも暮らしていける程度の年齢にした。あまり小さくすると、また死ぬ」
あまりにさらっと言われて、一瞬意味が入ってこなかった。
また死ぬ。
この子、何かを知ってる。
「えっと……わたし、五色七色って言います。助けてくれてありがとうございます。……それで、君は?」
「十日前に会ったが」
即答だった。
「まあ、あのときは意識も朦朧としていたようだし、覚えていなくても無理はない」
十日前。
……え。
馬車に乗ったのが、たしか二日か三日前。
そのあと魔獣に襲われて、逃げて、煙を見つけて、廃村に入って、黒い狼が出てきて――。
あれ。
あれから、十日?
「ひょっとして……煙草、咥えてたりしました?」
「ああ。あれで結構な貴重品なんだがな」
「あのときの人か!」
思わず叫んだあと、わたしは彼を上から下まで見た。
「いや、わたしのこと『縮んだ』とか言ってたけど、そっちの方が超絶縮んでるじゃない!」
「まあ、いろいろある」
彼は肩をすくめた。
「私は堤門統。真祖の吸血鬼と呼ばれたこともある」
出た。
ファンタジー定番ワード、吸血鬼。
異世界なんだからいつかは出てくると思ってたけど、まさか命の恩人がそれとは思わなかった。
「真祖って……どのくらい真祖なんですか?」
「どのくらいと言われてもな。元を辿れば、私が最初の一人だ」
最初。
はい、だいぶ真祖ですね。
「記憶は薄れていくが、少なくとも七千年ほど前からのことは覚えている」
「七千年!?」
「うむ。こちらに来たのは二週間ほど前だな。その前は、君のいた場所――日本に二百年ほどいた。落語と缶のカフェオレが好きだ」
「え、それ……現代日本?」
「そうだ。コンビニは便利だった」
吸血鬼がコンビニ愛を語る世界線。
情報量が多い。朝から全部乗せラーメンくらい多い。
堤門統は淡々と続けた。
「吸血鬼とは言われているが、好んで血を飲むようなことはしない。日光は苦手だが、致命的ではない。ニンニク料理は好きだ」
「十字架は?」
「宗教に興味はない」
「ホラー業界が泣きますね」
「ホラー業界?」
「あ、なんでもないです」
口から出た独り言を拾われて、少しだけ気まずい。
堤門統は椅子の背にもたれ、こちらを見た。
「同郷のよしみで助けた。君を構成する生命力の大部分は、私が分け与えたものだ」
「え、じゃあ今のわたし、半分あなたみたいな感じ?」
「半分ではない。だが、私の直系の下に連なる“次代”ではある」
「次代」
「世俗的に言えば、真祖に次ぐ吸血鬼、ということになる」
ちょっと待ってほしい。
死にかけの女子高生が、目を覚ましたら“次点真祖”になっていた。
出世の速度がブラック企業すぎる。
「……そんな凄いの、もらっちゃってよかったんですか?」
「仕方なかった」
堤門統の声は静かだった。
「乳児として再生するなら、少量の生命力で足りる。だが、この世界は子どもが一人で生きるには不便すぎる。だからある程度の年齢まで引き上げた。その分、多くを使った」
「その結果が……」
「うむ。副作用だ。今の私は十歳程度の肉体まで戻った」
彼は軽く肩をすくめた。
見た目は確かに子どもだ。
でも、目の奥には古い時間の澱みたいなものがある。言葉の端々にも、年季というか、諦めというか、そういうものが滲んでいた。
「いいんですか? 自分の命、削ってまで」
「私はどの年齢でも生きていける。引きこもりに年齢は関係ない」
真顔で言うあたり、達観してるのか、拗らせてるのか判断に困る。
「この部屋も、私の収納空間から出した。外へ出ればすぐ森だ。しばらくはここで休むといい」
言われて、改めて部屋を見回す。
木の壁。
柔らかい寝具。
窓の外の風の音。
かすかに残る焚き火の匂い。
居心地がいい。
良すぎて、逆に不安になるくらいだ。
「それで……この世界って、どうなってるんです?」
「私も詳しくは知らん。だが、二つの太陽があることを除けば、君の世界と大差ない。人間、魔族、亜人が入り混じって暮らしている」
彼は少し間を置いた。
「君を襲った狼どもは、魔獣種の中では下層の部類だ。運が悪かったな」
「“運が悪かった”で済ませるには、わたし結構死んでますけど」
「死ななかった。今、ここで話している」
それを励ましとして受け取るべきかどうか、かなり迷う。
「……それで、このあとわたし、どうすれば?」
「好きに生きろ」
即答だった。
あまりに即答すぎて、こっちの突っ込みが一拍遅れる。
「いや、好きにって……」
「私の役目は終わった。生命を返した。それで充分だ」
堤門統は立ち上がって、軽く背伸びをした。
動きだけ見れば完全に子どもなのに、妙に年寄りくさい。
「これから私は別の場所へ移る。ここに長くいると目立つ」
「目立つと?」
「転移させられる」
「……はい?」
「目立つ行動が積み重なると、なぜか別の世界へ飛ばされる。世界の修正力か、何かの機構かは知らん。もう何度目かもわからない。だから私は、なるべく静かに暮らす」
「それって、呪いみたいなものですか?」
「呪いというより体質だな。不死者は世界に嫌われやすい」
その言い方には、慣れと疲れが混ざっていた。
転生じゃなくて転送。しかも本人の意思と無関係に。
それを七千年も繰り返してきたのだと思うと、ちょっと笑えない。
「……じゃあ、わたしは?」
「君は君の道を行けばいい。力は与えた。この世界、薄いなりに魔素はある。。陽の下でも動ける。人に紛れて暮らすこともできるだろう」
「つまり、吸血鬼ってバレなきゃ普通に暮らせる?」
「そうだ。だが、無闇に力を使えば化け物として狩られる世界もある。遅れを取ることはないが、鬱陶しい」
言い方が妙に教師っぽくて、少し懐かしかった。
高校の倫理の先生もこんな顔で「人間は道を誤る」と言っていた気がする。授業中、寝てたけど。
「さて」
堤門統はドアの方へ向き直った。
「この小屋は置いていく。ここを拠点にしてもいいし、持ち出したいなら持ち出してもいい。必要そうな物は君の次元収納に入れてある。自由に使え」
「ちょ、ちょっと待って」
「なんだ」
「一人で行く気ですか?」
「そうだが」
「だって、あなた……今、見た目十歳でしょ。そんな小さい子を一人で放っておけないよ」
堤門統は、ほんの一瞬だけきょとんとした顔をした。
それから、ふっと笑った。
初めて見る笑顔だった。
でもそれは、明るいというより、どこか懐かしさに近い顔だった。
「小さいのは今だけだ。そのうち年齢も調整できるようになる。子どもの姿で暮らすことにも慣れている」
「そういう問題じゃなくて」
言い返しながら、わたしは少し息を呑んだ。
この人、ずっと一人だったんだな。
部屋が静かなのは、木造だからでも、森の中だからでもなくて。
この人自身が、ずっとそういう静けさの中で生きてきたからなのかもしれない。
「行かないでよ」
気づいたら、そう言っていた。
自分でも驚くくらい、素直な声だった。
頼るつもりなんてなかったのに、口の方が勝手に動いた。
堤門統は、すぐには答えなかった。
しばらく黙って、それから小さくため息をつく。
「……君、面倒な性格だな」
「よく言われます」
「旅は危険だぞ。どこかに落ち着いた方が利口だ」
「一回か二回死んでるから、今さらです」
「理屈になっていない」
「理屈で生きてないので」
そのやり取りが、妙に人間っぽかった。
堤門統は肩を落とし、それから窓の外へちらりと目をやった。
風が木々を揺らす音だけが、しばらく部屋に満ちる。
「……七千年」
「え?」
「七千年、こんなことを言われたのは初めてだ」
彼は、少しだけ目を伏せた。
「『行かないで』と」
その声が、ほんの少しだけ震えた気がした。
でも、それを誤魔化すみたいに、すぐ続ける。
「……わかった。好きにしろ」
「最初からそのつもりです」
そう言って笑うと、堤門統も小さく笑い返した。
その表情を見て、ふと思う。
この人、七千年生きてきて、こうして誰かと並ぶのは久しぶりなんじゃないかと。
「夜のうちに出立するか? それとも朝を待つ?」
「えっと……ちょっと探したい人がいるんです」
「この世界の者か?」
「はい。お世話になった人たちで。魔獣に襲われて逸れたんですけど、無事かどうかだけでも知りたくて」
「ティンバーウルフと戦っていた連中なら、怪我はしていたが馬車で去ったぞ」
「そう……無事だったんだ。よかった」
「戦いのあと、四日ほど周辺で揉めたり探したりしていたようだが、五日ほど前に離れた」
……探してくれてたのかもしれないな。
心配かけたな。
次に会えたら、ちゃんと謝って、ちゃんとお礼を言わなきゃ。
人も、ドワーフも、獣人も。
それから吸血鬼も。
この世界、思っていたより優しいのかもしれない。
堤門統は外套を羽織り、こちらを振り返った。
「行くあてもないし、その馬車が去った方向へでも向かうか」
「はい、真祖様」
「その呼び方はやめろ」
「じゃあ……すばる?」
「好きに呼べ」
わたしたちは並んで、ログハウスの扉を開けた。
二つの太陽が傾きかけ、空は紫と金のあいだでゆっくり色を変えていた。
風が吹く。
遠くで、狼の遠吠えがする。
でももう、少しも前みたいには怖くなかった。
生まれ変わっても、やっぱり世界は知らないことだらけだ。
だけど今度は、ほんの少しだけ楽しみでもある。
わたしと堤門統は、夜のはじまりの道を歩き出した。




