104、第三の目
午後になって、わたしたちは集会所から少し離れた茶店に入った。
わたしが買った果物を食べながら、今日聞いた話を頭の中で整理していると、向かいに座ったベルロウさんが突然、顔を上げた。
「ドレミ」
「なに?」
「こっちを見てる奴がいる」
わたしは反射的に集会所の方を見そうになった。
ベルロウさんが目だけで止める。
「見るな」
「……白布?」
「違う」
ベルロウさんの耳が、わずかに動いた。
「こっちは、もっと上手い」
「もっと上手い?」
「ああ。あーしらを見てることを、見せないようにしてる」
わたしは、なるべく自然に周囲を見渡した。
通りの向こうには露店が並び、人が行き交っている。
その中に、一人だけ妙に気になる男がいた。商人風の服装で、露店の商品を眺めている。
けれど、手に取った商品を買う気配がない。
ほんの一瞬、男と目が合った。
男は何事もなかったように、別の商品へ手を伸ばした。
「……あの人?」
「たぶんな」
「白布じゃないね」
「だから厄介なんだよ」
ベルロウさんは、りんごを齧った。
「あーしら、二種類に見られてる」
「二種類?」
「あっちの白布と、こっちの誰かだ」
「誰かって、誰の誰よ」
「そこまでは分からねえ」
ベルロウさんの顔に、いつもの冗談めかした表情はなかった。
「でも、あーしらが集会所を見てることは、もう完全にバレてる」
胸の奥が、少し冷たくなった。
今までわたしたちは、見ている側だと思っていた。
でも違う。わたしたちが何かを探しているのと同じように、向こうもこちらを見ている。
その事実が、ようやく実感として落ちてきた。
夕方、宿の食堂奥に五人が集まった。
テーブルの上には、ノッピーニオさんの帳面、アリアさんが集めてきた噂、そしてわたしたちが聞いた話が並んでいる。
ノッピーニオさんの記録を聞いた時、わたしは思わず眉を寄せた。
「……入る数と、出る数が合わない?」
「そう」
アリアさんが頷いた。
「子どもが数人ずつ入っていく。でも、出てくる人数は、それより少ない」
「どこへ行ったの?」
「それは、まだ分からない」
ノッピーニオさんが帳面を閉じた。
「ただし、見間違いではありません」
その言い方には、妙な説得力があった。
ベルロウさんが腕を組む。
「それに夜の出入りだ。木戸が閉まってる時間に、あそこだけ人が動いてる」
「つまり、表から見える慈善活動の裏側に、別の動きがある」
アリアさんが整理するように言った。
「炊き出し。子どもの保護。信徒の集まり。そこまでは表に出しても問題ない活動。でも、その裏で夜間の出入りと荷物の搬入がある」
「そして、第三の監視者」
ベルロウさんが付け加える。
アリアさんの表情が少し変わった。
「白布を見ているのか、私たちを見ているのか……」
「両方かもな」
ベルロウさんが答えた。
アリアさんは何か言いかけた。
「可能性としては――」
けれど、その先は口にしなかった。
視線だけがノッピーニオさんへ向く。
ノッピーニオさんも、ほんの少し目を上げた。
わたしには、それだけで何かが伝わったように思えた。
たぶん、わたしにはまだ知らなくていい話なのだ。
その時、統が静かに口を開いた。
「あの家の地下は、古い水路に繋がっている」
全員が統を見た。
「……それ、かなりやばい情報じゃない?」
「だから、言うタイミングを計っていた」
ベルロウさんが呆れたように笑う。
「お前、その『計ってた』の頻度、最近高くねえか?」
「必要な情報だった」
「いや、そういうところだよ」
統は気にした様子もなかった。
わたしは地図に目を落とした。
集会所。
神殿。
王城。
地下を走る古い水路。
今日一日で、点だった情報が少しずつ線になり始めている。
けれど、その線がどこへ繋がっているのかは、まだ見えない。
「明日も基本は見張りを続ける」
アリアさんが地図を畳みながら言った。
「ただ、今夜は少し動きが変わってる。夕方から出入りの間隔が妙に短くなってるの」
「今夜、何かある?」
「可能性はある」
「じゃあ、わたしも――」
「休んで」
アリアさんに先回りされた。
「え」
「今日はかなり歩いたでしょう。明日はまた動いてもらう。だから今夜は休んで」
「でも……」
反発しかけたところで、統が言った。
「休め」
「統まで……」
「明日動けないお前は、役に立たない」
「なにそれ!」
「事実だ」
「もういいよ。それも」
ベルロウさんが笑った。
「あーしらの世界じゃ、疲れてる奴を休ませるのも作戦なんだぞ」
「……それを先に言ってよ」
「言ったら素直に休むのか?」
「たぶん」
「じゃあ言わねえ」
「なんでよ!」
結局、わたしは渋々引き下がった。
今夜はアリアさんとノッピーニオさんが夜間の観察を担当するらしい。
「何かあったら呼んで」
統が言った。
「どうやって?」
「聞こえるようにしておく」
「えっ」
わたしは思わず顔を上げた。
「それ、どういう意味?」
「説明はしない」
「だーかーらー!」
統はもう話を終えた顔をしていた。
最近、本当に説明しないことが増えている。
部屋に戻ってから、わたしはベッドに横になった。
疲れているはずなのに、なかなか眠れなかった。
目を閉じると、昨日の少女の顔が浮かぶ。
白布の女が言った言葉も消えない。
――血の中に、古いものを感じる方。
そして今日聞いた、子どもたちの出入りの数。入った数と、出た数が合わない。
「ねえ、統」
「なんだ」
「……あの子たち、どこに運ばれてるんだと思う?」
少しだけ間があった。
「分からない」
「うん」
「だが、良い方には考えにくい」
やっぱり、そうだよね。
わたしは天井を見上げた。
「だったら、早く動いた方がいいんじゃない?」
「急ぐな」
「でも」
「急いで失敗すれば、次の子が同じ場所に入る」
その言葉には、珍しく感情が混じっていた。――ほんのわずかだけれど。
「……それ、あんたらしい励ましとしては、かなり高度ね」
「励ましてはいない」
「うん。知ってる」
統は黙った。
わたしも、それ以上は言わなかった。
しばらくして、統が窓の方へ目を向けた。
「……」
「なに?」
「いや」
「また『いや』?」
「寝ろ」
「うわ、今日いちばん有無を言わせない」
統は返事をしなかった。
わたしは枕に顔を埋めた。
眠れないと思っていたのに、いつの間にか意識が薄れていった。
どれくらい経ったのかは分からない。
ふいに、遠くで何かが軋む音がした。
――ぎい。
わたしは目を開けた。
部屋はすっかり暗くなっていた。窓の外には街灯がいくつか灯っていて、その明かりが石畳をぼんやり照らしている。
何気なく窓の向こうへ目をやって、わたしは息を止めた。
通りの向こうに、人影がある。
三人。
白い布をまとっている。
その後ろには、大きな荷車が続いていた。木箱がいくつも積まれている。
こんな時間に?
わたしが身を起こすと、隣では統もすでに起きていた。
「……荷車」
「ああ」
統は窓の外を見たまま答えた。
「アリアたちが先に気づいているはずだ」
その言葉を裏付けるように、隣の部屋から小さな音がした。
――コン、コン、コン。
規則正しい、短いノック。
ベルロウさんだ。
わたしと統が部屋を出ると、廊下には誰もいなかった。
ただ、床に一枚の紙が置かれている。
拾い上げると、アリアさんの字で短く書かれていた。
荷車が動いた。追う。お前たちは待機。――アリア
「……待機、ね」
「待機だ」
「分かってる」
わたしは紙を強く握りしめたまま、窓の外を見下ろした。
角を曲がり、闇の奥へと消えていく白い布と荷車。
昼間、わたし達はあの集会所を見張っていた。だが向こうもまた、わたし達の動きを見極め、この闇に乗じて動き出したのだ。
この街の夜は、わたしが眠っている間にも容赦なく進んでいく。
その渦中に飛び込むためには――もう、後戻りはできない。




