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旅する不死者は昼も歩く ――死ぬのは二回で十分だ。三度目の人生は、七千歳(ショタ姿)の保護者と行く、最強吸血鬼の旅!――  作者: 真野真名
第七章 王都への道編

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101、誘いの札




 看板を見たあとの通りを、わたしたちは少し迂回した。


 ベルロウさんが「こっち抜けるぞ」と路地裏のような道を選んだのだ。

 通りの大筋から少し外れて、洗濯物が頭上に渡された薄暗い小路を、何本か通る。


 その途中だった。


 ベルロウさんの耳が、また、ぴくっと動いた。


「ドレミ、こっち」


 声は小さかった。

 でも、足は確実に方向を変えていた。

 わたしはあわてて続く。


 ベルロウさんが立ち止まった先、壁にもたれて、小さな少女が座り込んでいた。


 たぶん、十歳くらい。

 頬がやや痩けていて、顔色はあまり良くない。

 服は妙に整っていた。襤褸ではない。けれど、誰かの“揃いの服”を着ているような、軽い違和感がある。


 ベルロウさんが、ふっと小さく息を吐いた。


「迷子じゃねえな、これは」


「うん」


 わたしは少しだけ膝を曲げて、目線を下げた。


 子どもに話しかける時は、これだけで結構違う。

 舞台でも何度かやった。なるべく上から落とさない位置で声をかけるのは、子どもにも、人見知りにも、有効だった。


「ねえ、大丈夫?」


 少女は、最初は何も答えなかった。


 わたしの顔を見て、それからベルロウさんの方を見て、また視線を落とす。


「迷子?」


 少女は小さく首を振った。


「お母さんは?」


「……いない」


「お父さんも?」


「いない」


「家は?」


「……前は、あった」


 声は細かった。

 でも、嘘を言っている感じはしなかった。ただ、ものすごく、慣れた答え方だった。


 たぶん、もう何度か同じ質問をされている子だった。


「お腹、すいてる?」


 少女は、ほんの少しだけ頷いた。


 わたしはベルロウさんを見上げた。

 ベルロウさんは何も言わず、ただ顎で「行ってこい」と路地の出口を指した。


 わたしは近くの露店に走って、丸いパンと果物をひとつずつ買った。

 戻ってくると、少女はまだ同じ場所に座っていた。


「ほい」


「……いいの?」


「いいよ」


「……ほんとに?」


「ほんとに」


 わたしが頷くまでに、少女は三回確認した。


 少女は、最後にぎゅっと一度パンを握ってから、ようやく小さく齧った。

 齧る速度は遅かった。

 でも、たぶん、本当はもっと急いで食べたかったはずだ。


「ゆっくりでいいよ」


 わたしが言うと、少女はちょっとだけ口の動きを緩めた。


 その時。


 路地の入口の方から、静かな足音が近づいてきた。


 白い布。


 また、いた。


 今度は三人だった。


 四十代くらいの女性がひとり。

 三十代くらいの女性がひとり。

 二十代らしい男性がひとり。


 先頭の女性は、よく見るとびっくりするほど身なりが整っていた。

 肌の色は綺麗で、髪も整えられていて、ほんのり香の匂いがする。


 白布の連中の中で、たぶんそれなりの立場の人だった。


 女性は、わたしと、わたしの前のパンを齧っている少女を見ると、ふわりと微笑んだ。


「あら」


 声まで品があった。


「ありがとうございます。その子は、私どもで保護している子なのです」


「……保護?」


「ええ。身寄りのない子どもたちに、食事と寝床を提供しております。彼女もそのうちの一人です」


 女性は、ごく自然に少女のそばまで歩いてきた。


 少女の肩が、ほんの少しだけ固くなった。


 その瞬間、わたしは見た。


 嬉しそうな顔ではなかった。


 ものすごく微妙な、何かに半分諦めたような目だった。


「たまにこういうことがあるんです」


 女性は、わたしに向けて、また穏やかに言う。


「少し外を歩きたくなって。心配して、いつも探しに来ております」


「……そう、なんですか」


「ええ」


 答えは完璧だった。


 言葉に、引っかかりがない。

 声に、無理がない。

 表情に、嘘がない。


 でも、少女は俯いたままだった。


 ベルロウさんが、わたしの背中に半歩近づいて、小声でだけ言った。


「鼻が、ほんのちょっとだけ嫌な匂い拾ってる」


「うん」


「あんまり押すなよ、ドレミ。あっちは合法のフリしてる。突けば突くほど、こっちが面倒被る」


「うん」


 頭では分かっていた。

 突けば、面倒になる。

 合法の顔をされた相手ほど厄介だ。


 ――でも。


 目の前の子を、このまま帰していいのか。その考えを、無理やり喉の奥へ押し込む。


 女性の視線が、ふっとわたしへ移った。


 その目が、ほんの一瞬だけ止まった。


 ぞくり、と背筋が冷える。


「失礼ですが、あなた」


「はい?」


「お顔立ち、お肌の色合い、その瞳の透き通り方……」


 女性は、まるで品定めをするように、ゆっくりとわたしを見ていた。


「お疲れではありませんか」


「……は?」


「夜、眠れていますか」


 心臓が、ひとつ嫌な跳ね方をした。


 最近のわたしは、ぐっすり眠れる日と、そうでない日が半々だ。

 昨日もそうだった。 一昨日も、たぶんそうだった。


 でも、そんなこと、街中で初対面の相手にいきなり当てられる筋合いはない。


「眠れてますよ」


 なるべく平坦な声で返す。


 女性は微笑んだまま、ふっと首を傾けた。


「もしよろしければ」


 手の中に、いつの間にか札があった。


 白い布と同じ色味の、小さな札。

 簡素な意匠の、けれど明らかに丁寧に作られている、夜の祈祷の護符のようなもの。


「私どもの集まりは、特別な方をお迎えする会でもあるのです」


「……特別?」


「ええ」


 女性は、ためらいなく、けれど押しつけがましさなく、続けた。


「血の中に、古いものを感じる方、と申しましょうか」


 心臓が、もう一度跳ねた。


 今度は嫌な跳ね方の倍くらいの強さで。


 わたしは、自分の表情が動かなかったかどうか、自信がない。

 たぶん、ほんのちょっとだけ、動いた。


 ベルロウさんが、すぐ後ろで耳をぴくっと動かしたのが分かった。


「ドレミ」


 声は小さかった。


「いらないって言え」


 ベルロウさんの声には、ためらいがなかった。


 わたしは深呼吸を一回した。


「……いりません」


 言うのに、思ったより時間がかかった。


 でも、ちゃんと言えた。


 女性は、表情を変えなかった。


「そうですか」


 強引には、押し付けなかった。


 それが逆に、気味悪かった。


「いずれ、必要になったらいつでも」


 女性は札を引っ込め、また、ふわりと微笑んだ。


「あなたなら、扉はいつでも開いておりますから」


『あなた、なら』──その言い方が、わたしの背骨をもう一回、ぞくっと撫でた。


 女性は少女の手を取り、もう片方の信徒に荷物を持たせて、ゆっくり踵を返した。


 少女は最後に、一度だけ、ほんの一瞬だけ、振り返った。

 助けて、と叫ぶほどの強さは、なかった。


 ──でも、何かを訴える目だった。


 白い布の三人は、来た時と同じ静かな足取りで路地の角を曲がり、そのまま消えた。



 わたしは、しばらく動けなかった。


「……ベルロウさん」


「ん?」


「あの人たち……わたしのこと、知ってるのかな」


 ベルロウさんは答えなかった。

 ただ、消えていった路地の角を見つめながら、ゆっくりと耳を伏せた。




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