第一話 2011年
「大人はそうやって正論や理屈ばかり言って、だから世の中、こんなに閉塞感があるんじゃないですか?」
「若造、正論をひっくり返すくらいの気概のないヤツに文句を言われる筋合いはねーよ」
「だから、すぐ、そうやって頭ごなしに」
「そう、頭からねじ伏せる。それが大人のやり方だ。文句があるなら身体を張ってみろ」
「そりゃ、理屈はそうかもしれませんけど……」
「お前が『理屈』とかいうなっつうの! 自分の都合で子供と大人を使い分けているうちは、何もわからんさ」
「そんなつもりは……」
「そうか、じゃあ、飲め」
2011年の夏、じりじりと照りつける太陽は、全てを焼き払うが如く容赦のない猛威を振るっていた。僕はネットを通じて知り合った若者を目の前に、人知れず時空を彷徨っていた。
時空を彷徨う。
いま、目の前で恋愛に苦しんでいる若者は20年前の自分となんら変わらない。あの苦しみの耐え抜いたからこそ、彼に向かって『若造』と呼べる自分がいるのだとしたら、それは人の営みというものが、連なった鎖、或いは螺旋のようなものだと、僕を妙に納得させた。そして、若者を目の前にしながら、僕はあの頃のことを思い出す。
「すてぃーぶんさんは、今の奥さんとどういうふうに知り合われたんですか?」
「社内恋愛。それも社員とアルバイトという禁じ手みたいなものさ」
「それって、最初から結婚を前提にしてたとか?」
「そうともいえるし、そうともいえない。質問が悪い。そもそも結婚って言うのは形式的なことで、二人が一緒になるってこととは必ずしもイコールじゃない」
「それこそ理屈じゃないですか」
「そうだ、だが立派な屁理屈だ。いいか。若造。所詮、男と女なんてものは寝てみなきゃわからん。結婚を一々前提にしていたら、世の中にラブソングも生まれなければ、恋愛小説も読まれないさ」
「なんかすごく説得力のある嘘をつかれているような気がするんですけど」
「だから、それを屁理屈っていうのさ。恋愛に理屈を持ち込むってことは、色恋沙汰に方程式があるってことだろう? そんなものあると思うか?」
僕が若造と呼んでいる青年は、あの日あの時、暗く沈んだ思いに沈んでいた自分と重なり、僕をいらだたせた。僕は44歳になり、人並みに家庭を持ち、幸福な毎日を送っている。ある程度子供の手が掛からなくなった頃、僕の周りである環境の変化があった。そのことをきっかけに、僕はネットを通じていろんな人と出会う機会を得た。『すてぃーぶん』というのはいわゆるHNで、みんなは僕をそう呼び、本名を明かす、明かさないに限らず、たいていは、みんなHNで呼び合う。若造は知り合った仲間内ではかなり若い。歳は20以上離れている。21か22か。
「すてぃーぶんさんみたいに僕も誰かと結婚とかできると思えないんです。僕は人を好きになることはできても、それをどうしていいかわからない」
「答えを急ぎすぎだぞ、若造。お前ぐらいの年齢だったら、遊んでいて当然の年齢だ。遊びまくれとは言わないが、なにも悪いことをしていない奴に、いい女は口説けないぞ。モテもしない」
「そういうものですか?」
「ああ。実際にモテなかった俺が言うんだから間違いない」
「たいした自身ですね。って言うか、全然根拠になってないじゃないですか」
「しかし、結果は出している。結果を出してないお前に言われる筋合いはない」
学生時代。大迫さんに言われたようなことを自分は今、言っている。この若造と話していると、すっかり忘れていた過去を、あれこれと思い出す。
すっかり忘れていた?
ちがう。俺は……僕は、少しも忘れてなんかしない。彼女のことを。あなたのことを忘れたことなど、ありはしない。あなたは20年の月日が経った今でも、僕の中で生き続けている。そして決して交わることのない螺旋の中で、ぐるぐると回り続けている。あなたに繋がるもの全てを消し去ろうとしても。あなたを失った悲しみを埋め尽くしたとしても、あなたは決して僕の中で消えることがない。
「すてぃーぶんさんはあとを引くほうですか?その、別れたり、フラれてたりとかした昔の彼女のこととか」
「男は女々しい生き物だ。それは数多あるラブソングや恋愛小説が物語っている人類の歴史が始まって以来の敗戦の歴史さ」
「やぱりそういうものなんですか?それは今でも……結婚されたあとでも引きずってたりとかします?」
「なんだ、やけに踏み込んでくるな。よっぽどの覚悟がないと、この話にはついていけないぞ。聞いたあと公開するなよ。女が怖くなっても知らんぞ」
「な、なんですか、その凄みのある顔は」
「いいだろう。今度みんなで浜名湖でバーベキューをやるイベントがあるだろう?お前行くのか?」
「あぁ、確か10月でしたっけ。今回は行きますよ。7月の時は仕事でいけませんでしたから、今回は是非」
「そのとき、浜名湖を眺めながらなら話してやる」
「そ、そんなに凄い話なんですか?」
「つまらない話だから、雰囲気だけでも出さないと面白くないのさ」
浜名湖――静岡県の浜松市と湖西市にまたがる海水と淡水が入り交じっている汽水湖としては日本一長い湖。
その地が僕にとって意味のある場所であることをすっかり忘れていた。あなたを失った冬の日。僕は大迫さんに頼んでドライブに連れて行ってもらった。そして行き着いたのがこの場所だった。あなたのことは忘れなくても、あなたに繋がる一つ一つを僕は記憶の中から消し去っていった。その一つが浜名湖であることを7月にネットで知り合った仲間と浜名湖でバーベキューをやったときに思い出した。一度開錠された記憶の扉からは、無防備な僕の心を責め立てる。
また、僕の中で、僕の周りで、あなたに繋がる螺旋がぐるぐると回りだす。都会のビルの螺旋階段にあなたの姿を見てしまう。
「うわぁ、雨ですね。コンビニ探してビニール傘でも買いましょうか?」
新宿の居酒屋を出ると外は小雨が降っていた。
「傘は好きじゃない。俺はこのままでいい」
雨が降る。すべてはあなたへと繋がっている。
螺旋階段の君へと……




