第十二話 初めての夜
女の人の体に触れるのは、あなたが初めてではなかった。あなた以外の誰かと、こんなふうに重なり合うようにベッドに横たえることもあったし、唇と唇を合わせたこともある。いたずらに下着の中に手を忍ばせたことも……それは青年期の若い男女が普通に持つ性への関心。それでも相手を気遣う思いから、最後の一線は、なかなか超えられなかった。いや、もしかしたら、ほんの少しの勇気と責任感が欠如していただけなのかもしれない。たぶんそれは、やさしさと言えるものでは、なかったのだと思う。
「寒いね。でも、こうしているとあったかい」
「そうだね。だけど不思議だね」
「何が?」
「いや、男と女ってさ、なんていうか、次にすることは決まっているじゃない。キスして、裸になって、抱き合って」
「そうね」
「でも、こうして落ち着いて話が出来るのがさ、自分でも不思議というか……」
「わたし、魅力ない?」
「そんなことないよ。だってほら、僕はもう……」
あなたの声は、僕の心に安らぎを与えながら、そのくせ僕の耳を刺激し、体の中の欲望をつかさどる部分をピンポイントで攻めてくる。あなたをやさしく抱きしめたいと思う気持ちとむしゃぶりつきたいという欲求が螺旋のように絡み合う。
「そうよ。男と女は体だけじゃないのよ。もちろんセックスなしでもいられないけど」
「そういうものなのかな」
「そうね。私にも実のところはわからないわ」
「したくなることある?」
「女だってあるわよ。むしろ女の子のほうがそういう気持ち、強いかもしれないわよ」
「そうなの?」
「少なくとも私はそうよ」
「じゃあ、今はどう?」
「どうかな……確かめてみる?」
一瞬僕は動揺した。彼女の瞳はまるで夜の湖畔に映る月のように潤んでいた。女性のそういう表情を見るのはこれが最初で最後だった。僕の中の螺旋は一気に加速し、時空を飛び越えるために作られた装置のように激しく回りだした。シーンとした暗闇の中で、唇と唇を重ね、互いを求め合う二人の激しい息遣いが聞こえる。あなたの短い髪の毛に指を忍ばせ、激しく引き寄せる。首筋から耳にかけて、唇をあてがうとあなたは嗚咽を漏らし、僕は身を震わせた。体のどの部分も休むことなく互いを求め合う瞬間は、二人が出会ってからこれまでがまるで長い長い前戯であったかのように精神と肉体の高揚のピークを迎えていた。そう僕は精神的にこの時点で果てていたのかもしれない。
シャツとカーデガンを重ね着し、ジーンズを履いたあなたを脱がすのに、僕は当たり前のように苦戦をした。もしかしたらその時点であなたは気づいていたのかもしれない。僕は不器用な人間ではない。単に服を脱がすことに慣れていないのだ。先ほどまでの高揚感はすっかりと薄れ、戸惑いと探究心と気恥ずかしさが、僕の視点を俯瞰の位置まで引き上げた。あなたのからだの一部始終を僕は好奇心と始めてであることを悟られまいという恐れを隠すために攻め続けた。あなたは僕に身を任せ、僕はそれに答えようと必死になっている。そんな姿を冷静に見つめていたのは、僕だけではなかったのかもしれない。
いよいよというところで、避妊具を着けずにすることの罪悪感――いや、むしろそれを許してしまうようなあなたの反応に慌ててしまった。自分のベルトをはずすことが出来ずに、ジーンズを履いたままあなたの暑く湿った部分に自分自身を挿入したのである。その意外な行動に一瞬あなたは戸惑った様子を見せたが、そのまま僕を受け入れてくれた。
ひどく不恰好なことになってしまった。そういう思いが、さらに僕を冷静にさせた。誰かに助けをもとめたいという気持ちにさいなまれ始めたそのとき、あなたは不意に僕に言葉をかけてくれた。
「ねぇ、このあと、どうするの?」
「あ、あの、ごめん、わかんないんだ」
「いいのよ。無理しなくて。大丈夫だから」
あなたは裸の上にシャツを羽織り、立ち上がってタンスの引き出しを開け、なにかを探し始めた。
「これ、つけ方わかる?」
「あぁ……実は使ったことないんだ」
「気にしないで、教えてあげるから」
僕は自分が始めてであることを気にしていたのも確かにそうなのだが、この避妊具をあなたが他の誰かとつかっていることにどこか釈然としないものを感じた。自分で用意していれば、こんな思いはしないですんだのだという自分向きの責める気持ちと、それだけではない何かが僕の中でぐるぐると回っていた。頭でわかっていてもどうすることもできないようなままならない感情。何もかもが初めての経験で、僕はすっかり萎縮してしまった。
「じゃあ、わたしがつけてあげるから、ここに座って」
あなたは僕をベッドに誘い僕はなす術ものなくそれに応じた。自分から何かしようにも、僕には成すべき事もしてはならないこともわからなかった。
「今度から自分で持ってきてね」
気持ちの整理は全くつかず、あなたを抱きたいという衝動がすっかり落ち着いてしまっているのに、僕の身体は気持ちについてくることはなかった。その夜僕はあなたに甘えることを初めて覚えた。僕はあなたを抱くことに集中しようと懸命になった。けど、どういうわけか、心と体がバラバラになってしまって思うようにいかない。結局その夜僕は、果てることができなかった。今まで味わった事のないもやもやとした苛立ちを心に秘めながら、あなたの寝顔をしばらく眺めていた。そのことに気付いたのか、あなたが寝返りを打ち、僕に背中を向けると、僕はあなたを背中越しに抱きしめて、そしてようやく眠ることができたのだった。




