↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/44

第十一話 やさしさ

 やさしいこと。それは物心付いた頃から一つのキーワードになっていた。小学生の頃、母親が不意に妙なことを聞いてきた。

「ねぇ、お兄ちゃんの長所ってなんて書けばいい?」

 思いのほか答えに窮した。

「やさしいって書いておいて」

「えっ?やさしいでいいの?」

「いいよ」

「やさしいね」


 別に母親は、僕のことを優しくないと思っているわけではない。長所かどうかで考えれば、確かに他に適当な長所と呼べる特徴があったのだろう。果たして親が僕のことをどう見ていたのかは、わからない。でも、僕はこの『やさしい』こと、『やさしさ』に対して、妙な意識を持っていた。


 みんながやさしくなれれば、誰も傷つかない。


 僕は人と人が争う様を見るのが嫌いだった。それぞれ言い分や主張はあるのだろうと思う。でも、お互いを許すこと。やさしさをもって接することに努めれば、もっと平和的に物事を解決できるだろうと考えていたし、当時3面記事を賑わす事件のほとんどは、心の狭さや相手に対する思いやりのなさ、やさしさが足りない為に起きているように思えた。


 だから僕は、常にやさしくあろうと心がけていた。僕は、僕の思うやさしさを、人知れず心がけていたのである。もちろんそのころの僕には『本当のやさしさ』と言われるようなものがあることも知らなかったし、ときにやさしさが人を傷つけることがあるとも知らなかった。そう、中途半端なやさしさ、表面だけのやさしさ、画一的なやさしさは、大事な人を傷つけ、悲しませることがあるのだ。


「やさしいってことは、別に美徳でも何でもないんだぜ。場合によっては無責任ってことになる」

「えっ?それってどういうことですか?」

「若いな風間。やさしさが男の武器だと思っていたら、いつまでたっても女はできないぞ」

「そんなもんですか?」

「そうさ。『あなたって、とてもいい人ね』って言うのは、男としては魅力がないって、ふられてるってことだよ」

「あー、なんか、それはわかる気がしますけど、女の子はだいたい『やさしい人がタイプ』とか言うじゃないですか?」

「あのなぁ、風間。『私の弱点はここです』って、自分から言う女がいると思うか?」

「あー、まぁ、確かにそれはないかもしれないですけど……」

「だろう?」

「あっ、それってもしかして大迫さん、言われたことあるんじゃないですか?女の人に」

 大迫さんも、僕と同じで突っ込むのは得意だが、突っ込まれるのは苦手な人だった。

「うるせぇよ。なんで俺の話になってるんだよ」


 大迫さんはひどく照れながら、それでも一瞬遠い昔を思い出すような顔をした。僕はそれ以上突っ込まなかった。大迫さんの言っていることはわかる。僕も高校時代に『やさしさ』で痛い目にあってきた。でも、僕はそのことを認めたくなくて、まだ、もがいていた。うまく行かないこともある。でも、自分は『やさしさ』を大事にしたいと思っていたし、それ以上の価値を他の何かに見出すことはできないでいた。


「やさしいのね」

「そう?」

「そうよ。やさしいわ」

「あんまり、褒められたような気がしないな」

「あら、そう?」

 僕はあなたに『やさしいだけの人』と言われたくなくて、少しすねたのかもしれない。或いはうれしくて、それを悟られまいと虚勢を張ったのか……

「やさしいって、どういうことかな?」

「素敵なことよ」

「素敵なこと?」

「そう、素敵なこと」

 その言葉には何の偽りも、飾りもなかった。その言葉が素晴らしいのではない。素敵なことを素敵だと無邪気にいえるあなたが、僕にはたまらなく愛しく思えた。

「わたしは、ちっともやさしくないから」

「えっ?やさしくないってなんで?」

「嫌な子なの」


 僕はあなたの表情のなかに何かを見たような気がした。それはさみしさとも悲しさとも、後悔とも嫌悪ともちがう――いや、もしかしたらそういったものをすべて混ぜ合わせたような、僕の知らない感情、心の揺らぎ、透明感のある表情。僕はあなたから目が離せなくなる。


「うん?」

 僕があまりにもあなたを見つめるものだから、あなたは少し照れくさそうにおどけて見せる。

「素敵だね」

「えっ?何が?」

「キクちゃんが」

「そんなことないわよ。私なんか、全然ダメよ」

 コタツから足を出し、膝を抱えて顔をうずめ、あなたは少し顔を赤らめ――でも、それを気付かれまいと、膝を立てて、顔を隠す。

「変なこと言うから、暑くなっちゃったわ」


 僕は、どうしていいのかわからず、結局あなたのまねをした。僕も頬が火照るのを感じていた。


 なんか照れくさいね――僕が言う


 そうだね――あなたが言う


 電気消そうか――あなたが言う


 そっちに……行ってもいいかな――僕が言う


 うん……あなたが答える


 眠くなっちゃった……あなたは再びコタツに足を入れその場で横になる


 電気消すね……僕はそういいながら、あなたの横に横たわる


 暗闇、静寂、あなたの匂い、肩と肩が触れ合う。腕に腕を重ねる。指と指が絡み合う。


 僕は驚くほどの安らぎに包まれていた。


 あなたはどうだったのだろう?


 二人は静かに待った。二人の時が重なり合うのを。それは螺旋。あなたの中の、僕の中の別々に流れる時間の交わる瞬間。それはすぐ手の届くところまで近づきながら、また離れていくことを繰り返し、繰り返し、繰り返すごとに、どんどん、どんどん、ミリ単位で近づいているようだった。二人は、螺旋に身を任せるしかなかったのかもしれない。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。