第十三話 次の日の朝
眠りから覚めて、目の前にあなたがいた。昨日の夜のことを考える。自分が果てなかったことよりも、それによってあなたが傷ついたりしやしないかと不安になり、もう一度あなたを強く抱きしめた。あなたは僕を受け入れ、僕等はもう一度愛し合った。
「ごめん。どうしてだめなんだろう。こんなこと初めてだ」
「早くいく人もいるけど、なかなかいけない人もいるのよ。気にしないで」
「そういうものなのかな」
「そうよ。セックスなんてスポーツみたいなものなんだから、愉しまなきゃ。そんなに思いつめたりしなくて良いのよ」
「スポーツ……か」
「そう、だからうまく行くときもあれば、行かないときもある。二人が同時に気持ちよくなれることだって、そんなにないのよ」
「つまり、一緒にイクとかいうやつ?」
「そう、わたしだって、そんなに毎回いってるわけじゃないわ」
「いくって、どんな感じなの?」
「うーん、口ではうまく説明できないわ。でも、いければいいかって、そういうものでもないのよ。大丈夫、時間はたっぷりあるわ。まだ若いんだし」
「若いって、そんなに変わらないよ」
「若いわよ。わたしなんかもう、オバサンなんだから」
「そんなことないよ。キクちゃんは……その、すごくセクシーだし、大人だし」
「あら、うれしいこと言ってくれるのね」
「そんなつもりは……本当に、そう思うんだ」
「そう、ありがとう」
あなたは僕の額にキスをすると、ベッドから抜け出し、洗面所に向かった。僕はあなたの後姿を眺めながら、初めて実感した。女の人と寝たということを。
「コーヒー入れるわね」
「うん」
台所から声がする。やかんに水を入れコンロのカチカチという音が聞こえる。朝だ。
「何時からバイトだっけ?」
「11時に店を開けないといけないから10時半にここを出れば十分に間に合うけど」
「一度、家に戻って着替えたほうがいいわよ」
「そうだね。そうする。コーヒー飲んだら、いくよ」
「そうね。でも、ゆっくりして行ってね」
「うん。わかった」
時計は8時前。家の人はそろそろ起き出す時間だ。家に帰らずに遊びまわることなどしょっちゅうだから、別にどこに行っていたとか、そういうことはとがめられないだろう。だけど、なんとなく親の顔を見れないような気恥ずかしさがある。特に母親には会いたくなかった。
「中学生の頃、付き合っていた彼女がいたんだけど、彼女の部屋で抱き合っているところを向こうの親御さんに見られちゃってさ」
「あら、大変だったでしょう?」
「まぁ、当然その後、母親に電話されて、家族会議。しばらくは二人で会っちゃいけないとか、そういう話になってね」
「で、どうしたの?」
「別れた」
「そう?」
「もちろん。それが全てじゃないんだ。他にもいろいろと。たとえば、家庭環境の違いとか、宗教観の違いとかあってさ」
「そうね。そういうの中学生じゃ、どうしようもないものね」
「なんか、へんな話しちゃったね」
「ううん。いいのよ。わたしは平気よ。それよりもその彼女からはなんて呼ばれていたの?」
「えっ、そっ、それ言わないとダメ?」
「そんなに恥ずかしいの?」
「いや、別にそういうわけじゃないけど……ふー君って……」
「風間の風でふー君?」
「うん、彼女のことぷーさんって呼んでたんだ。怒ると口を膨らませて、こんなふうに」
「それで、ぷーさんとふー君ね。ねぇ、わたしもふー君って呼んでいい?」
「あっ、ああ、まぁ、なんか調子狂うな」
「そう?嫌い?この呼び方」
「嫌いっていうよりも、照れくさいというか」
「照れるの?」
「照れるさ、だって、バンドを一緒にやっている連中が聞いたら、きっと笑われるよ」
「そうね。でも、案外とそうでもないかもよ」
「そうかな?」
「そうよ。ね、ふー君」
僕はどこか納得がいっていなかった。別れた彼女と同じ呼ばれ方をすることに妙な抵抗感があった。なんでかはわからない。もしかしたら、別れた彼女のことを大事に思う気持ち。或いはあなたが僕を、あなたの色に染めようとしていることに抵抗感を感じたのかもしれない。だけど、玄関を出るときに別れのキスをするときには、もう、すっかりそう呼ばれることに慣れてしまっている自分がいた。僕は、冬の空を見上げながら、昨日の夜のことを思い浮かべては、大きな声で叫びたくなるような衝動を抑えた。螺旋階段を軽快に飛び降り、僕はひんやりした気持ちのいい朝を独り占めしたくて、思わず走り出していた。




