第7章 科学対怪異
第七章 科学対怪異
怪物に名前をつけることは簡単だった。
吸血鬼。
たった三文字で、多くのことを説明できる。
血を飲む。
夜に活動する。
人間より強い。
傷がすぐに治る。
日光を嫌う。
古い伝承に詳しくなくても、その程度の知識なら誰もがどこかで聞いたことがある。
問題は、そこから先だった。
本当に日光が弱点なのか。
それとも、単に強い光が苦手なのか。
銀は効くのか。
木の杭は。
ニンニクは。
宗教的な象徴は。
あるいは、そのすべてが後世の創作に過ぎないのか。
人間は長い歴史の中で、理解できないものに対して多くの説明を作ってきた。
夜に死ぬ人が増えれば、悪霊の仕業と考えた。
感染症が流行れば、呪いと呼んだ。
病気で衰弱していく者を見て、誰かに生命力を吸われたのだと考えた。
そうして生まれた伝承の中に、本物の観察記録が混ざっている可能性はある。
だが、迷信もまた同じだけ混ざっている。
だからヤタガラスが最初にやったことは、吸血鬼を信じることではなかった。
むしろ逆だった。
疑うこと。
ひたすら疑う。
伝承を。
映像を。
自分たち自身の記憶すらも。
*
午前八時十二分。
ヤタガラス本部の一角に、即席の実験区画が作られていた。
本来は装備の整備や電子機器の試験に使われる部屋だったが、机やラックは壁際へ寄せられ、中央には耐熱性の作業台が置かれている。
その周囲を、透明な防護板が囲んでいた。
久世冬馬は保護眼鏡をかけ、ノートPCを操作している。
机の上には複数の照明機器。
紫外線照射装置。
可視光LED。
赤外線照射器。
ハロゲンランプ。
そして、用途の違う複数の光源。
すべてが臨時に集められたものだった。
神代蓮司は部屋へ入った瞬間、足を止めた。
「研究所じゃん」
「研究所じゃない」
久世は画面から目を離さない。
「研究所っぽい」
「臨時検証区画」
「言い方だけだろ、それ」
レイナが後ろから入ってくる。
「レンジ、そこ跨がないで」
「何で」
「ケーブル」
「見えてる」
「昨日も似たこと言って充電器踏んだでしょ」
「よく覚えてんな」
「高かったから」
「俺より?」
「比べる必要ある?」
サヤも入室した。
肩の傷はまだ完全には治っていない。
戦闘服ではなく、簡素な黒いシャツ。
「代表は?」
「黒崎さんと電話」
久世。
「警察側から追加映像来るらしい」
レンジは透明容器の中を見る。
「これが」
「そう」
小さな組織片。
Vesperの地下で回収されたもの。
相手の肩に銃弾が当たった際、壁に付着していた微細な組織。
量は少ない。
貴重な試料だった。
「燃やすの?」
「いきなりやるか」
「でも日光で焼けるんだろ」
「それを今から確認するんだよ」
「昨日やって変化なかったじゃん」
「自然光に十分快晴条件で当てただけ。それで何も起きなかった」
「じゃあ日光弱点説、もう終わり?」
「だから早いって」
久世は椅子を回した。
「生体と切り離された組織では反応が起きない可能性もある。あるいは、特定波長の光に対して細胞単体ではなく神経系や循環系が反応してるかもしれない」
レンジが難しい顔をする。
「つまり」
「分からない」
「便利だなあ、それ」
「分からないから調べるんだよ」
そこへホオズキが入ってきた。
「始められる?」
「今から」
「順番は?」
「まず光」
久世がホワイトボードを見る。
「それから熱。低温。電気。化学薬品。金属。植物由来物質。そのあと宗教系」
「宗教系って言い方」
レイナが笑う。
「他に何て言えばいいんだよ」
「十字架部門」
「余計ひどい」
ホオズキは机の上を見る。
「銀は?」
「用意した」
「純銀?」
「複数濃度」
「木材」
「種類増やしてる」
「何種類?」
「とりあえず十」
レンジが驚く。
「そんなに?」
「“木の杭が効く”なんて雑な伝承を本気で検証するなら、木材の種類まで分ける必要がある」
「樫とか?」
「樫、白樺、トネリコ、杉、檜、桜、楢、樺、そのほか」
「ホームセンターで買った?」
「一部」
「吸血鬼対策がホームセンターから始まるの、なんか嫌だな」
ホオズキが少し笑った。
「現代的でいいじゃない」
「ロマンないっすね」
「勝てれば何でもいい」
その言葉に。
全員が少し静かになる。
冗談は言える。
だが。
誰も忘れてはいない。
地下にはまだ少女たちがいる。
*
午前八時四十九分。
最初の実験。
可視光。
久世は照度を段階的に上げていった。
試料へ光を当てる。
一定時間。
温度上昇を抑える。
変化なし。
「次」
波長を変更。
青。
緑。
赤。
近紫外。
紫外線A。
紫外線B。
「焦げてない?」
レンジ。
「それは乾燥」
「見分けつく?」
「つく」
サヤがモニターを見ている。
「紫外線Bで変化が少し大きい」
「細胞死?」
久世が数値を確認。
「対照試料より早い」
「じゃあ当たり?」
ホオズキ。
「まだ」
「また?」
「普通の人間の細胞も紫外線で傷む」
「当然か」
「そう」
久世は次の条件を設定する。
照射時間。
出力。
温度。
対照群。
同じ条件で人由来の細胞試料。
比較。
数十分後。
「……差はある」
久世が言った。
「どれくらい」
ホオズキ。
「V試料の方が傷みやすい」
「紫外線?」
「特に短波長側」
「日光に含まれる」
「含まれる」
「じゃあ」
「でもこれだけじゃ、“吸血鬼だから日光で焼ける”とは言えない」
久世は慎重だった。
「普通の人間より光障害に弱い。それだけ」
「十分じゃない?」
「戦術に落とすならまだ足りない」
サヤが頷く。
「実戦では照射距離と時間が問題になります」
「そう」
久世。
「弱点でも、十秒当て続けないと効果がないなら使いづらい」
「一秒で反応する条件を探す?」
レイナ。
「理想は」
ホオズキが聞く。
「人工光で再現できる?」
「できれば」
「太陽を持ち歩くわけにいかないからね」
「その通り」
*
午前十時二十一分。
熱。
高温。
試料を直接焼くのではなく、温度を段階的に上げる。
三十八度。
四十五度。
五十。
六十。
「普通の細胞と大差ない」
久世。
「じゃあ火は」
レンジ。
「効くと思う」
「普通に?」
「普通に」
レイナ。
「何だか夢がない」
「人間も火には弱い」
「そりゃそう」
ホオズキは資料を見る。
「再生より早く焼いたら?」
「問題はそこ」
久世。
「再生能力を超える損傷速度があるなら、理論上は止められる」
「高温で細胞そのものを壊す」
「可能性」
「じゃあ火炎放射器」
レンジが言う。
全員が見る。
「何」
「発想が戦争」
レイナ。
「戦争じゃん」
榊原の声。
いつの間にか入っている。
「ただし地下で火炎兵器を使えば、敵より先に人質が死ぬでしょうな」
「ですよね」
レンジが肩を落とす。
「却下」
ホオズキ。
「まだ候補には残す」
榊原。
「設備破壊や閉鎖空間では使えませんが、屋外なら別です」
レンジが笑う。
「榊原さんの方が戦争じゃん」
「仕事ですので」
*
低温。
急速冷却。
細胞活動は落ちる。
だが、それは普通の生体組織でも同じだった。
電撃。
組織片への反応は確認できる。
しかし生体全体への影響は未知。
「心臓が止まるか」
サヤ。
「そもそも心臓が普通に動いてるか分からない」
久世。
「心音は?」
レイナ。
「誰か聞いた?」
一瞬。
全員が考える。
レンジが手を挙げる。
「俺、馬乗りされた時、結構近かった」
「何か聞こえた?」
「そんな余裕ねえよ」
「ですよね」
ホオズキが腕を組む。
「次に接触できたら確認」
榊原が即座に言う。
「“次に接触したら”で簡単に済ませないでください」
「分かってる」
「生け捕り作戦は、まだ承認していません」
「言ってない」
「顔に書いてあります」
「そんなに?」
レイナ。
「ちょっと」
レンジ。
「かなり」
サヤ。
「代表らしく」
「褒められてないわね」
*
午前十一時五十六分。
銀。
純銀の薄片。
銀イオンを含む溶液。
銀合金。
比較用に鉄、銅、ステンレス。
久世は慎重に条件を揃える。
組織片へ接触。
一分。
二分。
三分。
「何も起きない」
レンジ。
「待て」
五分。
十。
「銀だけ変化ある?」
サヤ。
「少し」
「溶解?」
「いや」
久世が拡大。
「局所的な細胞崩壊が速い」
「当たり?」
ホオズキ。
「銀イオンによる抗菌作用や細胞毒性もある」
「また普通に説明できる?」
「ある程度」
「でも対照より強い?」
「うん」
レイナが机へ身を寄せる。
「じゃあ昔の人、何か知ってた?」
「それは飛躍」
久世は言った。
「でも面白い」
「ほら」
「何」
「顔」
「してない」
「してる」
「篠宮さん」
「はいはい」
久世は別条件を設定。
銀と組織。
接触時間。
濃度。
温度。
結果。
銀。
明らかに再生反応が鈍る。
「……これ」
久世の声が変わった。
「どうした」
ホオズキ。
「再生マーカーが落ちてる」
「銀で?」
「銀を接触させた部分だけ」
室内が静かになる。
「普通の細胞でも?」
「落ちる。でも」
「でも?」
「V試料の方が影響大きい」
「どれくらい」
「かなり」
榊原が近づく。
「実戦的には?」
「銀そのものが致命的というより」
久世は考えながら言う。
「再生能力を邪魔する可能性がある」
ホオズキの目が変わる。
「つまり」
「普通の弾丸で傷つけて」
「銀で再生を止める」
「理屈では」
「使える」
「まだ早い」
久世は即座に釘を刺す。
「生体で確認してない」
「分かってる」
「本当に?」
「分かってる」
榊原が小さく咳払い。
「代表」
「何」
「今、弾薬メーカーへ電話しようとしました?」
ホオズキの左手。
スマートフォン。
「……してない」
「画面開いてます」
「偶然」
「待ってください」
「はい」
*
午後零時三十六分。
昼食。
本部食堂。
珍しく全員同じテーブル。
レンジがカレーを食べながら言った。
「銀が効くなら十字架もいけるんじゃね?」
「論理が飛んでる」
久世。
「でも伝承一個当たった」
「部分的に」
「じゃあニンニクも」
レイナがサラダを見る。
「今日の昼、入ってるよ」
レンジが急に皿を見る。
「これ?」
「ドレッシング」
「じゃあ実験できるじゃん」
「お前が食うの?」
「俺吸血鬼じゃねえよ」
サヤが静かにスープを飲んでいる。
「ニンニクに含まれる硫黄化合物が何らかの反応を起こす可能性はあります」
レンジが止まる。
「サヤまで真面目に乗る?」
「検証するなら成分単位で」
久世が頷く。
「そう。生ニンニクを置いて嫌がるか見るだけじゃ意味ない」
「じゃあ」
ホオズキ。
「アリシン?」
「代表詳しい」
「料理するから」
「意外」
レンジ。
「何が」
「代表って包丁持つと人殺しそうじゃん」
「後で切る」
「ほら」
榊原がため息。
「食事中ぐらい静かにできませんか」
*
午後一時二十八分。
植物系。
ニンニク抽出液。
対照試料。
複数濃度。
結果。
「効いてない」
レイナ。
「普通に細胞傷む程度」
久世。
「じゃあニンニクは迷信」
「少なくとも現段階では」
ホオズキ。
「生の匂いは?」
「嗅覚的忌避は生体じゃないと分からない」
「つまり保留」
「そう」
次。
塩。
濃度による浸透圧変化。
「これ普通の細胞も死ぬ」
「当たり前」
砂糖。
「同じ」
聖水。
「成分としては水」
「祈祷済み」
レイナ。
「科学者泣かせ」
久世。
「対照として普通の水と比較する」
レンジが笑う。
「マジでやるんだ」
「やる」
久世は真顔。
「効かないことを確認するのも実験」
結果。
差なし。
「聖水、効かず」
レンジ。
「まだ試料だから」
サヤ。
「宗教的意味は生体反応に影響する可能性を否定できません」
レンジが目を丸くする。
「サヤ、結構乗ってきたね」
「真面目にやっています」
「俺も真面目」
「違います」
*
十字架。
机の上に置かれた。
銀製。
木製。
鉄製。
久世は組織片の横へ置く。
全員が見る。
一分。
二分。
三分。
「何も起きない」
レンジ。
「当たり前だろ」
久世。
「でもちょっと期待してた?」
ホオズキ。
「一ミリぐらい」
「してるじゃん」
「うるさい」
今度は直接接触。
銀製十字架。
変化あり。
「ほら!」
レンジ。
「銀だから」
久世。
「十字架関係ない?」
「木製と鉄製に反応なし」
「銀製だけ」
「そう」
レイナが笑う。
「宗教より素材」
「今のところは」
ホオズキ。
「じゃあ銀の仏像でも効く?」
「理屈では」
レンジ。
「銀の招き猫でも?」
「たぶん」
「吸血鬼に銀の招き猫投げるPMC」
榊原が口を挟む。
「実戦でやったら報告書から削除します」
*
午後二時四十七分。
木材。
十種類。
試料へ接触。
差なし。
「杭だから刺さないと」
レンジ。
「組織片に穴開けても意味ないだろ」
久世。
「心臓狙うんじゃないの?」
「心臓が弱点だという証拠もない」
「じゃあ木の杭伝承は」
「今のところ未確認」
サヤ。
「木材自体に特異反応はありません」
「種類ごとの差も?」
「ほぼなし」
ホオズキ。
「じゃあ木じゃなくて、心臓を物理的に破壊することが重要なのかも」
久世が顔を上げる。
「それはあり得る」
「心臓を壊せば再生できない?」
「脳も」
「どっちが本体か」
「両方壊したら」
レンジ。
「実験できねえよな」
「今はね」
ホオズキ。
「代表、その言い方怖い」
*
午後三時十五分。
外部の専門家が到着した。
久世が信頼できる研究者として選んだ人物。
国立系研究機関出身の細胞生物学者。
五十代前半。
名前は三島透。
事情は完全には伝えていない。
説明上は。
《異常再生能を示す可能性のある未知由来のヒト型生体試料》
それだけ。
三島はモニターを見るなり言った。
「これ、どこから取ったんです?」
久世。
「守秘契約の範囲で後ほど」
「いや、先に知りたいんだけど」
「先入観を避けたい」
三島が眼鏡を上げる。
「随分面倒な仕事持ってきたね」
「先生なら好きかと」
「嫌いだよ」
「顔は楽しそう」
「君も同じ顔してる」
「してません」
三島はデータを見る。
細胞増殖。
DNA修復。
代謝。
銀暴露試験。
紫外線。
一時間。
二時間。
ほとんど喋らない。
ホオズキたちは別室で待っていた。
やがて。
三島が出てくる。
「誰が責任者?」
ホオズキが手を挙げる。
「私です」
「若いね」
「よく言われます」
「この試料」
「はい」
三島は一度息を吐く。
「気持ち悪い」
レンジが少し笑う。
「専門家でもそう言うんだ」
三島は睨む。
「専門家だから言うんだよ」
「どういう意味です?」
ホオズキ。
「理屈が通らない」
「具体的に」
「細胞が壊れる」
「はい」
「普通ならそこで終わる」
「はい」
「ところが修復が始まる」
「確認してます」
「速すぎる」
「どのくらい」
「条件次第では、人間の細胞修復とは比較にならない」
「癌細胞?」
「似ている部分はある」
「じゃあ癌?」
「違う」
三島は即答。
「癌なら制御不能に増殖する。これは違う」
「制御されてる?」
「そう見える」
「誰が制御」
「細胞自身」
「普通じゃない」
「だから気持ち悪い」
三島は続ける。
「それと代謝」
「低い?」
「異様に低い」
「なのに修復する」
「そこが矛盾してる」
「エネルギー源は」
「分からない」
「血液?」
ホオズキが聞く。
三島の眉が動く。
「何でそう思う」
「推測」
「何か知ってる?」
「まだ言えません」
「なら俺も断定できない」
「仮に」
久世。
「外部から大量の血液成分を取り込んで、それを修復へ利用する生物ってあり得ます?」
三島は考える。
「血液は栄養源にはなる。ただ、そのまま細胞修復用のエネルギーになるわけじゃない」
「加工が必要」
「当然」
「極端に効率のいい代謝機構」
「理論上は何でも言える」
「実在するとしたら」
「生物学を書き直すことになる」
部屋が静かになる。
三島は机の銀片を見る。
「こっちは面白い」
「銀?」
「銀に触れた部分の修復反応が止まってる」
「理由」
「分からない」
「細胞毒性」
「それだけじゃ説明しきれない」
「じゃあ銀は本当に」
「勘違いするな」
三島が強く言った。
「銀が怪物を殺すなんて言ってない」
「はい」
「この試料の特異的な修復機構が、銀イオンか何かに強く阻害される可能性がある。それだけ」
「十分です」
ホオズキ。
「十分じゃない」
「でも使える」
「君ら何をする気?」
ホオズキと久世が一瞬目を合わせる。
三島が気付く。
「待て」
「何でしょう」
「これ、人間から取った?」
沈黙。
「……人間に近いものから」
ホオズキ。
三島の顔が変わる。
「近い?」
「守秘契約」
「そういう問題じゃない」
「先生」
久世が低く言う。
「知ったら戻れないかもしれません」
「脅しか」
「忠告です」
三島は久世を見る。
そして。
再びモニター。
「……余計知りたくなるじゃないか」
「先生ならそう言うと思った」
*
午後四時三十八分。
三島には。
映像の一部だけが見せられた。
最初。
男が撃たれる。
倒れる。
起き上がる。
再生。
三島は無言。
二回目。
三回目。
「……加工?」
「解析済み」
「薬物?」
「検討済み」
「防弾」
「頭部も」
三島が椅子へ座る。
「これは何だ」
ホオズキが答える。
「それを先生に聞いてます」
「ふざけないでくれ」
「私たちも同じ気分です」
銀髪の女。
二十七年前。
現在。
同じ顔。
三島は写真を見る。
「吸血鬼」
レンジがぼそっと言う。
三島が彼を見る。
「誰だ今言ったの」
「俺です」
「馬鹿にしてるのか」
「俺らも最初そう思いました」
「今は?」
レンジは笑わなかった。
「分かんないっす」
ホオズキ。
「私たちは仮称としてそう呼んでます」
三島は額を押さえる。
「冗談だろ」
「私もそう思いたいです」
「警察は」
「動いてる」
黒崎が部屋へ入ってくる。
三島が見る。
「警察?」
「黒崎です」
「本物?」
「一応」
「一応って」
「俺も昨日まではこんな話をする奴を疑ってた」
三島。
「今は」
「映像を疑ってる。証言を疑ってる。自分の目も疑ってる」
「じゃあ信じてない」
「信じる必要はない」
黒崎は言う。
「証拠が増えてる。それだけだ」
三島はしばらく黙った。
「……いいね」
「何が」
「その言い方なら付き合える」
*
午後五時二十一分。
議論はさらに深くなった。
三島を加え。
久世。
ホオズキ。
榊原。
黒崎。
サヤ。
レイナ。
レンジ。
今までの仮説を一つずつ潰していく。
「感染性」
三島。
「今のところ不明」
「噛まれた人間」
「確認できてない」
「吸血行為の被害者」
「森川奈緒は採血された可能性が高いけど咬傷なし」
「じゃあ食事方法が伝承と違う可能性」
「ある」
「輸血みたいに抜いてる?」
「Vesper内では点滴設備あり」
「効率的だな」
レンジが言う。
三島。
「もし本当に血液を栄養としてるなら、その方が合理的だ」
「牙で噛みつくより?」
「感染症リスクもある。保存もできる。量も管理できる」
ホオズキの表情が変わる。
「だから血液型と健康状態を管理してた?」
「可能性」
サヤ。
「では、あの施設は単なる監禁場所ではなく」
「供給施設」
久世。
全員が黙る。
その言葉。
気分のいいものではなかった。
「牧場みたいな?」
レンジが低く言った。
今回は誰も咎めない。
三島が尋ねる。
「失踪者は全員若い?」
「十七から二十三が中心」
「健康?」
「資料上、選別されてる」
「薬物常用者は?」
「少ない」
「疾患持ち」
「避けている形跡」
三島は椅子にもたれた。
「食材として選んでるなら筋は通る」
ホオズキの目が冷たくなる。
「人を食材って呼ばないで」
三島が止まる。
「悪い」
「いえ」
ホオズキ自身。
分かっている。
研究には冷静さが必要。
だが。
長谷川美月。
写真。
父親への財布。
それを思い出すと。
食料。
供給源。
そんな言葉で整理されることに耐えられなかった。
*
午後六時十四分。
実験項目の一つが。
意外な結果を出した。
赤外線。
ほぼ反応なし。
可視光。
高照度では若干。
紫外線A。
明確な損傷増加。
紫外線B。
さらに強い。
短波長側。
かなり強い。
久世が画面を見る。
「これだ」
ホオズキ。
「紫外線?」
「少なくとも組織では」
「人工的に作れる?」
「当然」
「持ち運べる?」
「出力次第」
「武器にできる?」
久世がホオズキを見る。
「その顔やめて」
「何」
「すぐ武器にしようとする顔」
「PMCだから」
三島が横から言う。
「ただし皮膚表面だけ焼いても意味ないかもしれない」
「再生する?」
「その可能性」
「じゃあ強く」
「だからそう単純じゃない」
三島。
「強力な紫外線はこっちも危険だ」
「隊員にも」
「当然」
「防護ゴーグル」
「皮膚も」
「全身防護」
「そうなる」
サヤ。
「相手の眼球だけを狙うのは」
三島が彼女を見る。
「怖いこと言うね」
「戦術上です」
久世。
「ありかも」
「視覚依存が大きければ」
「夜間視力が異常に高い」
レイナ。
「目が弱点になる可能性?」
「少なくとも強光を嫌う理由としては説明可能」
ホオズキ。
「殺せなくても視界を奪える」
「それなら撤退や拘束に使える」
サヤ。
榊原が頷く。
「まずは殺傷より行動制限を考えましょう」
ホオズキ。
「生け捕りにも使える」
「代表」
「言っただけ」
*
午後七時三分。
宗教系検証。
三島は完全に呆れていた。
「本当にやるの?」
「やります」
久世。
「十字架は?」
「素材差のみ」
「聖水」
「差なし」
「仏具」
「差なし」
「神社のお札」
「差なし」
「経典」
「差なし」
「祈祷」
「試料じゃ判定不能」
三島が笑う。
「ここまで真面目にやるとは思わなかった」
「効かなかったというデータが重要」
「まあね」
ホオズキが一枚のお札を持っている。
「これ高かった」
黒崎。
「経費で落とすなよ」
「会社の研究費」
「税務署に何て説明する」
「対吸血鬼研究費」
「絶対通らん」
レイナが笑う。
久世。
「今のところ、宗教的象徴そのものに特異反応なし」
「つまり」
レンジ。
「信仰心では倒せない」
「そういうこと」
「夢がない」
「現実に戻れ」
*
午後八時二十六分。
会議室。
一日の結果。
ホワイトボードが更新される。
久世が前に立つ。
「現時点の結論」
全員が聞く。
「第一。紫外線帯域、とくに短波長側への感受性が通常のヒト組織より高い可能性」
「第二。銀イオンまたは銀そのものが、異常再生機構を阻害する可能性」
「第三。高温による組織破壊は有効と思われるが、吸血鬼特有の弱点かは不明」
「第四。低温、赤外線、可視光単独については決定的な効果なし」
「第五。ニンニク、塩、宗教的象徴、木材には、少なくとも試料レベルで特異反応なし」
レンジ。
「十字架負けた」
「勝ち負けじゃない」
「銀は勝った」
「だから」
ホオズキが笑う。
「続けて」
久世。
「第六。再生能力には無限ではない可能性がある」
「根拠」
榊原。
「銀暴露後の修復速度低下。それと連続損傷時のマーカー変化」
「つまり」
「再生にはエネルギーが必要」
三島が補足。
「当たり前だけど、重要だ」
「無限に治るわけじゃない」
ホオズキ。
「多分」
「なら削り切れる」
「可能性はある」
「どのくらい」
「分からない」
「また」
「だから実物が要る」
部屋が静かになる。
黒崎が腕を組む。
「生け捕り」
「必要になる」
三島が言った。
全員が彼を見る。
「俺が言うのも何だけど」
「何」
黒崎。
「組織片じゃ限界がある」
「生体反応」
「そう」
「心拍、呼吸、体温、光反応、銀反応、再生速度」
「全部」
「生きている個体じゃないと分からない」
黒崎はホオズキを見る。
「変な顔するな」
「何もしてない」
「絶対する気だろ」
「必要って先生が」
「先生のせいにするな」
三島が手を挙げる。
「俺、捕獲作戦には参加しないからね」
「大丈夫」
レンジ。
「研究室で待っててください」
「そういう問題じゃない」
*
午後九時十五分。
その日の最後。
一つの実験が残っていた。
銀。
紫外線。
組み合わせ。
久世が言う。
「単独効果より組み合わせを見る」
試料A。
紫外線のみ。
試料B。
銀のみ。
試料C。
銀と紫外線。
時間。
五分。
十分。
三島が数値を確認する。
久世の手が止まる。
「……先生」
「見てる」
「これ」
「うん」
ホオズキ。
「何?」
三島が画面を見る。
「組み合わせると」
「どうなる」
「再生反応がほぼ止まってる」
部屋の空気が変わる。
「完全に?」
「試料レベルでは」
「偶然」
「再検証」
久世。
二回目。
同じ。
三回目。
同じ。
「銀で再生を抑えて」
サヤ。
「紫外線で損傷を与える」
久世。
「あるいは逆」
ホオズキ。
「なら」
「まだ生体じゃない」
「分かってる」
「本当に?」
「分かってる」
ホオズキの声は。
昨日までと違った。
地下で。
何をしても止まらなかった相手。
銃弾を撃ち込んでも。
関節を壊しても。
傷が閉じた。
それが。
初めて。
止まるかもしれない。
「久世」
「はい」
「この条件」
「うん」
「装備にできる?」
「簡単じゃない」
「できる?」
「時間あれば」
「作って」
榊原。
「代表」
「殺すためじゃない」
ホオズキは続ける。
「止めるため」
榊原が黙る。
「一体捕まえれば」
ホオズキ。
「今よりずっと分かる」
黒崎。
「そして上に見せられる」
「そう」
「証拠になる」
「そう」
榊原は長く考えた。
「条件があります」
「何」
「第一。単独行動禁止」
「当然」
「第二。Vesperへ再突入しない」
「……」
「代表」
「分かった」
「第三。標的は孤立個体」
「うん」
「第四。交戦時間を限定」
「うん」
「第五。撤退基準を事前に決める」
「了解」
「第六」
「まだある?」
「あります」
「何」
「代表が現場に出る必要がない場合は出さない」
「却下」
「即答しないでください」
「そこは無理」
「九条」
黒崎まで。
ホオズキは二人を見る。
「私が最初に接触した」
「だから?」
「動きも見てる」
「他の三人も」
「指揮する」
「本部からでもできる」
「現場の判断が必要」
「榊原さんが」
「あなたたち二人、私を外したいだけでしょ」
沈黙。
レンジが小さく言う。
「愛されてますね」
ホオズキ。
「レンジ」
「黙ります」
*
午後十時四十二分。
研究区画。
ほとんどの人間が帰った。
三島だけは。
まだ帰らなかった。
顕微鏡。
モニター。
試料。
久世が横にいる。
「先生」
「何」
「帰らないんですか」
「君も」
「俺は職員」
「俺は科学者」
「それ理由?」
「十分」
二人は画面を見る。
銀と紫外線を受けた試料。
修復反応。
ほぼ停止。
三島が呟く。
「変だな」
「何が」
「こういうのを見ると」
「うん」
「怪物じゃない」
「じゃあ」
「生物だ」
久世が彼を見る。
「当たり前じゃないですか」
「違う」
三島は画面を指す。
「仕組みがある」
「……」
「魔法じゃない」
「今のところ」
「銀が効く」
「はい」
「紫外線が効く」
「はい」
「伝承と一致する」
「はい」
「でも」
三島は少し笑う。
「理由がある」
久世も画面を見る。
「銀が聖なる金属だからじゃない」
「たぶんな」
「紫外線が太陽の神聖な光だからでもない」
「多分」
「細胞がそういう性質だから」
「そう」
三島。
「それが一番怖い」
「何で」
「存在できるから」
久世が黙る。
「魔法なら」
三島は続ける。
「この世の外側の話として逃げられる」
「でも生物なら」
「この世界に普通に存在している」
「昔から」
「何百年も」
久世は銀髪の女の写真を見る。
二十七年前。
現在。
「人類が知らなかっただけ」
三島。
「あるいは」
「何」
「知ってた」
久世が彼を見る。
「昔の人間は」
三島。
「見てたのかもしれない」
「吸血鬼を?」
「その呼び方だったかは知らない」
「じゃあ」
「木の杭。銀。日光。血」
三島は一つずつ言う。
「全部が正しくなくても」
「一部は観察記録」
「そう」
久世は椅子へ深く座った。
「迷信の中にデータが埋まってる」
「厄介だな」
「でも面白い」
三島が笑う。
「今、顔に出てるよ」
「先生も」
*
翌朝。
午前六時三十八分。
ホオズキは本部屋上にいた。
昨日と同じ場所。
朝日。
東京。
ビル群。
遠く。
人々が動き始める。
彼女は右手首をゆっくり動かす。
まだ少し痛い。
だが。
地下で感じた無力感は。
昨日より薄れている。
あの夜。
銃弾は効かなかった。
正確には。
効かなかったのではない。
傷はつけられた。
ただ。
治された。
なら。
治させなければいい。
強い。
なら動きを止める。
速い。
なら視界を奪う。
夜に強い。
なら光を持ち込む。
一つ一つ。
圧倒的だった怪物が。
少しずつ。
性質の集まりに変わっていく。
「いた」
後ろ。
レイナ。
「何」
「代表探してた」
「どうしたの」
「久世から」
タブレット。
新しい資料。
《対V個体試験装備 概念案》
ホオズキが見る。
高出力紫外線照射器。
銀を利用した再生阻害手段。
防護装備。
視覚保護。
携行電源。
拘束器具。
「もう作り始めてるの?」
「久世だから」
「寝てる?」
「多分寝てない」
「怒らないと」
「代表が?」
「何」
「昨日四時間睡眠だった人が?」
「今日は五時間」
「自慢にならない」
ホオズキは資料を見る。
その最後。
赤字。
《注意:殺傷効果未確認。生体試験必須》
ホオズキは少し笑った。
「生け捕りね」
「やる?」
「やることになる」
「怖い?」
レイナが何気なく尋ねた。
ホオズキは朝日を見る。
「怖い」
素直に。
「でも」
「うん」
「前よりはマシ」
「何で」
「知らないものじゃなくなってきたから」
レイナも街を見る。
「吸血鬼なのに?」
「吸血鬼でも」
ホオズキ。
「細胞があって」
「うん」
「傷ついて」
「うん」
「修復して」
「うん」
「それを止められる可能性がある」
レイナは笑う。
「夢がないね」
「いいの」
ホオズキも笑った。
「怪物なんて」
朝日が街を照らしていく。
「夢の中にいるから怖いのよ」
昨日まで。
吸血鬼は。
夜。
伝説。
怪談。
人間の理解の外側にいるものだった。
だが今。
顕微鏡の下にある。
数値になっている。
波長になっている。
化学反応になっている。
それでもなお。
分からないことは多い。
むしろ。
調べれば調べるほど謎は増えていた。
なぜ何百年も存在できたのか。
なぜ人間社会に見つからなかったのか。
どうやって増えるのか。
どこから来たのか。
どれだけいるのか。
そして。
人間の歴史のどこまで。
彼らは紛れ込んでいたのか。
だが。
一つだけ。
ヤタガラスは確信し始めていた。
怪物にも。
仕組みがある。
仕組みがあるなら。
弱点もある。
弱点があるなら。
戦える。
ホオズキはタブレットを閉じた。
「レイナ」
「何」
「みんな起こして」
「久世は起きてる」
「じゃあ寝かせて」
「どっち」
「一時間だけ」
「短い」
「二時間」
「まだ短い」
「三時間」
「代表も」
「……分かった」
二人は屋上を出る。
東京には。
朝が来ていた。
地下の怪物たちが嫌う。
人間には当たり前の。
ただの朝。
その光を。
今度は。
人間の側が武器にしようとしていた。




