第6章 信じるか、信じないか
第六章 信じるか、信じないか
人間は、理解できないものを目の前にすると、まず名前をつけたがる。
名前があれば安心できる。
病気。
犯罪。
災害。
事故。
あるいは、怪物。
だが、名前をつけたからといって、本質まで理解したことにはならない。
それはただ、知らないものにラベルを貼っただけに過ぎない。
*
午前九時十八分。
PMC本部。
大会議室の扉には、赤い紙が貼られていた。
《関係者以外立入禁止》
その下に、久世冬馬が油性ペンで付け加えている。
《本当に入るな》
さらにその下。
《特に神代》
「俺だけ名指し?」
神代蓮司が紙を見ながら言った。
「お前が一番開けそうだからだろ」
真壁仁が答えた。
「偏見ですよね、それ」
「実績だ」
「みんな同じこと言うなあ」
神代はドアノブへ手を伸ばす。
「入るなって書いてあるぞ」
「会議の参加者なんで」
「なら最初からそう言え」
二人が室内へ入る。
会議室にはすでに多くの人間が揃っていた。
九条ホオズキ。
榊原宗一郎。
久世冬馬。
御影紗夜。
篠宮レイナ。
黒崎剛士。
警察側から、黒崎が信頼できると判断した数名。
そして本部医務担当。
全員の顔に疲労が残っている。
ホオズキは昨夜と同じ黒いパンツに、上だけ着替えた白いシャツ。
右手首は固定されたまま。
サヤの左肩にも包帯。
神代は椅子へ座りながら、机上の資料を見る。
「ずいぶん増えたな」
「増やした」
久世が答える。
「資料だけで百六十二ページ」
「嫌がらせ?」
「事実整理」
「読むの?」
「読め」
「要約ない?」
「三ページ目」
「あるんじゃん」
久世は無視した。
机の中央。
透明なケース。
その中に、小さな試料容器が三つ。
血液。
組織片。
髪の毛。
Vesperから持ち帰ったものだった。
まだ誰も、それを「吸血鬼の試料」とは呼んでいない。
資料上の表記は。
《正体不明人型個体由来試料》
長い。
しかし意図的だった。
余計な先入観を排除するため。
榊原が時計を見る。
「全員揃いましたな」
黒崎が腕を組む。
「始めろ」
ホオズキが彼を見る。
「ここ私の会社」
「なら始めろ」
「偉そう」
「お前が昨日勝手に突入した話から始めてもいいぞ」
「久世、お願い」
「逃げた」
レンジが笑う。
久世は立ち上がり、大型モニターを点けた。
「まず現時点で確定している事実と、推測を分けます」
最初のスライド。
《確定事項》
「昨夜二十三時五十三分ごろ、代表以下四名がVesperへ潜入」
店内写真。
「地下施設で複数の若年女性を確認」
次。
「森川奈緒さんを救出」
次。
「失踪者のうち長谷川美月さんを含む複数名の管理資料を確認」
ホオズキの目が少し細くなる。
「次」
久世が映像を再生する。
通路。
男。
銃撃。
着弾。
倒れる。
起き上がる。
傷が閉じる。
無音にしてある。
映像だけ。
黒崎は昨夜も見ている。
それでも眉間に皺が寄った。
「映像解析の結果、編集痕跡なし」
久世。
「ボディカメラ本体にも異常なし」
「CGじゃないのか」
警察側の一人が言った。
三十代後半の刑事。
名前は安西。
黒崎が同行させた。
「現場映像だぞ」
黒崎。
「分かっています。ただ、これを上へ持っていけば最初に言われます」
「だから先に潰している」
久世が答えた。
「映像処理担当二名に元データを見せました。事情は伏せて」
「結果は」
「加工の可能性は極めて低い」
「極めて低い、か」
「ゼロとは言わない。そこまで断言する奴の方が信用できない」
久世は次の映像。
銀髪の女。
胸部へ弾丸。
頭部へ弾丸。
再生。
「こちらも同様」
次。
警察車両の作業灯。
黒髪の女が顔を覆って後退する。
「人工光への異常反応」
次。
夜明け。
地下階段。
日光へ足を出した男が跳ね下がる。
「自然光への異常反応」
久世は映像を止めた。
「ここまでは記録があります」
榊原が言う。
「逆に、記録がないものは?」
「赤い眼球の変化。これは映像に十分残ってない」
「壁や天井を走る」
「一部だけ。速度解析には足りない」
「異常筋力」
「警察官を投げた場面は残ってます」
「映せ」
映像。
黒髪の女。
成人男性。
警察官が車両へ叩き付けられる。
「映像から推定する限り、少なくとも一般成人女性の筋力では説明困難」
「薬物」
安西。
「可能性はある」
「アドレナリン系の薬物で痛覚が鈍っているとか」
「それだけなら頭部銃創の回復が説明できない」
「防弾材」
「皮下に仕込んでいたとしても、傷口が閉じることはない」
「映像と実際に起きたことが違う可能性」
安西は食い下がる。
久世は嫌な顔をしなかった。
むしろ頷いた。
「それ、重要です」
黒崎が彼を見る。
「何がだ」
「疑うこと」
久世。
「俺たち全員、昨夜から同じ方向へ引っ張られてる」
「吸血鬼」
レイナが言う。
「そう」
久世はホワイトボードへ書いた。
《吸血鬼》
大きな文字。
「この単語が便利すぎる」
レンジが椅子にもたれる。
「便利?」
「何でも説明できるだろ。銃が効かない。吸血鬼だから。速い。吸血鬼だから。血を飲む。吸血鬼だから。日光を嫌う。吸血鬼だから」
「全部それっぽいけど」
「だから危ない」
久世は文字の下へ線を引く。
「便利な説明は、思考停止になりやすい」
榊原が頷く。
「我々が相手にしているものが、伝承上の吸血鬼と同一である証拠はない」
「そういうことです」
ホオズキが聞く。
「じゃあ何て呼ぶ?」
「当面は未知個体」
レンジ。
「呼びにくい」
「仮称V個体」
「余計研究所っぽい」
レイナが笑う。
「VampireのV?」
「VesperのV」
久世は少し考える。
「どっちでもいい」
榊原。
「そこはどうでもいいでしょう」
「ですよね」
久世はホワイトボードの《吸血鬼》という文字を四角で囲む。
「仮説としては残します」
*
会議は二時間を超えた。
誰も疲れたとは言わない。
むしろ時間が経つほど議論は細かくなった。
「銀について」
レイナ。
「まだ試してない」
久世。
「ニンニク」
「未検証」
「十字架」
「未検証」
「聖水」
「そもそも定義が曖昧」
「木の杭」
「未検証」
「鏡」
「普通に映ってた?」
「店内に鏡ほとんどなかった」
「偶然?」
「不明」
「写真」
「写る」
「じゃあ昔の伝承とは違う」
「伝承による」
「招待されないと家に入れないって話」
レンジ。
「ライブハウス側が招待制だったのは、人間側のシステムとして説明できる」
「流れる水が苦手」
「試してない」
「変身」
「未確認」
「狼とか蝙蝠」
「見てない」
黒崎がため息をつく。
「警察の会議でこんな話をしたら病院を紹介されるな」
ホオズキ。
「じゃあしなきゃいい」
「いつかはする」
「信じてもらえる?」
「それを今考えてる」
黒崎の前には別の資料。
警察側で確認されていた事案。
身元不明遺体。
失踪者。
暴行事件。
不可解な侵入記録。
黒崎は一枚を机上へ出した。
「これを見ろ」
写真。
若い男性。
遺体。
「先月の件だ」
久世。
「失血?」
「そうだ」
「首」
「二つの創」
「同じ」
サヤ。
「同じ?」
黒崎。
「Vesperの奥にいた人たちの犬歯の間隔と近い」
部屋が静かになる。
「測ったのか」
「目測です」
「後で画像比較」
久世が言う。
黒崎は別の写真。
「これは三か月前」
女性。
路地。
「死因は転倒による頭部外傷とされている」
「何が変?」
「血液検査」
「……」
「死後採血で、異常な貧血状態が確認されている」
「出血」
「現場に大量出血なし」
次。
「半年前」
「また?」
「これは生きている」
二十代男性。
病院。
「深夜、意識不明で発見。大量失血状態」
「傷」
「首」
久世が資料へ顔を近づける。
「二点」
「当時は何と判断」
「暴行事件」
「犯人」
「不明」
「本人の証言」
「覚えていない」
黒崎は椅子へ戻る。
「こういう事案が、単発で埋もれている可能性がある」
榊原が言う。
「過去何年まで遡れる」
「記録そのものは相当ある。だが条件検索が難しい」
「死亡原因ではなく、血液量や創傷形状で見る必要がある」
「分かっている」
「人手が足りないな」
「だから困ってる」
久世が手を挙げる。
「こっちで公開情報を洗います」
黒崎が彼を見る。
「違法なことはするなよ」
「代表と同じこと言いますね」
「信用されてないんだろ」
「悲しい」
*
午前十一時四十二分。
同じ頃。
警視庁。
黒崎が席を外している間にも、別の問題が動いていた。
昨夜の現場。
警察官二名負傷。
建物への立入中止。
周辺封鎖。
理由が曖昧。
当然、説明を求められる。
「黒崎警視」
午後に戻った黒崎は、上司の部屋へ呼ばれた。
「座れ」
「失礼します」
机の向こう。
警視庁幹部。
黒崎より年上。
顔には明らかな不満。
「昨夜の件だ」
「はい」
「建物内に複数の監禁被害者がいる可能性がありながら、進入を止めたそうだな」
「はい」
「理由を聞こう」
黒崎は少し黙った。
そのまま言えばいい。
吸血鬼がいる。
銃弾が通じない。
日光を嫌う。
そう報告する。
結果は見えていた。
「未知の危険要因が存在したためです」
「未知の危険要因?」
「通常の武装犯とは異なる」
「具体的に」
「身体能力が異常です」
「薬物使用者か」
「可能性は否定できません」
「銃器」
「確認されていません」
「爆発物」
「確認されていません」
「では何が危険なんだ」
黒崎は相手を見る。
「警察官二名が、素手の女性一名によって負傷しました」
「聞いている」
「一名は盾ごと押し戻され、もう一名は車両へ叩き付けられています」
「だから薬物だろう」
「それだけでは説明が難しい」
「何が言いたい」
黒崎は一度息を吸った。
「映像があります」
タブレット。
再生。
地下から出てきた女。
警察官。
高速移動。
投げる。
作業灯。
後退。
幹部は黙って見た。
「……倍速か」
「通常速度です」
「映像がおかしい」
「元データです」
「ならカメラのフレームレートの問題だ」
「その可能性は解析中です」
「黒崎」
「はい」
「お前は何だと思ってる」
それが一番答えづらい。
「分かりません」
「分からない?」
「現時点では」
「ではなぜ進入を止めた」
「分からないものに部下を送り込めなかったからです」
部屋が静かになる。
黒崎は続ける。
「敵の人数不明。地下構造不明。通信不能。現場の通常火器で制圧可能かも不明」
「人質がいる」
「承知しています」
「なら警察は行くしかない」
「全滅する可能性があってもですか」
幹部の目が鋭くなる。
「言葉を選べ」
「選んでいます」
黒崎は視線を逸らさない。
「今夜もう一度突入するなら、私は反対します」
「根拠を示せ」
「示すために時間をください」
「どれくらい」
「分かりません」
「それでは困る」
「分かっています」
「世間に知れたらどうする。監禁事件を把握しながら警察が動かなかったとなれば――」
「責任は私が取ります」
「そういう話ではない」
「では部下を送れと?」
「……」
「私は送りません」
長い沈黙。
やがて幹部は椅子に深く座った。
「四十八時間」
「は?」
「四十八時間だ」
「……」
「その間に、俺が納得できる説明を持ってこい」
「承知しました」
「それから」
「はい」
「“分からない”は説明ではない」
黒崎は立ち上がる。
「分かっています」
*
午後一時十三分。
ヤタガラス本部。
検査室。
ホオズキたち四名の血液検査結果が届いていた。
明らかな異常なし。
未知の感染症については、当然ながら検査手段そのものが存在しない。
それでも、現時点では発熱もない。
白血球数。
炎症反応。
肝機能。
腎機能。
大きな異常はなかった。
「隔離解除?」
レンジ。
「完全解除はまだ」
医務担当。
「何で?」
「未知だから」
「便利だな、その言葉」
「文句あるなら地下に戻る?」
「隔離大好き」
レイナが笑う。
ホオズキは自分の検査票を見る。
「森川奈緒は?」
「警察病院側から共有が来ています」
久世が答える。
「複数の鎮静系薬物が検出」
「違法薬物?」
「一般医療でも使われる成分が混ざってる。ただ濃度がおかしい」
「血液は」
「そこ」
久世の表情が変わる。
「何」
「奈緒さん、かなり採血されてる」
全員が静かになる。
「どれくらい」
「正確には分からない。点滴で補液もされていたから」
「輸血?」
「されてない」
「生きたまま血を抜いてた?」
「可能性高い」
ホオズキの顔が硬くなる。
「何のため」
レンジが言いかけて止まる。
答えは。
誰もが考えている。
久世は口にしなかった。
「あと」
「まだある?」
「血液型」
「何」
「失踪者資料に全員書いてあった」
「それは見た」
「病歴も」
「うん」
「健康状態も」
「うん」
「薬物使用歴も」
久世は椅子を回す。
「つまり、あいつらは人を無差別に攫ってない」
レイナ。
「選んでる」
「そう」
「商品みたいに」
サヤ。
「あるいは食材」
レンジが言った。
誰も咎めなかった。
冗談に聞こえなかったからだ。
*
午後二時四十六分。
久世は地下にある簡易分析室へいた。
白衣姿ではない。
いつものシャツ。
ただし手袋。
保護眼鏡。
試料は外部の検査機関へも回している。
ここでできるのは限定的な観察だけ。
「顕微鏡って久々」
レイナ。
「学校以来?」
「中学」
「それ以来で横から口出さないで」
「はい」
モニター。
組織片。
人間の細胞に見える。
久世は比較用データと並べた。
「形態としては人間に近い」
「近い?」
「俺は病理の専門家じゃないから断定しない」
「じゃあ専門家呼べば」
「呼ぶ」
「誰」
「今探してる」
ホオズキも入ってくる。
「結果」
「まだ」
「血液は?」
「外部検査待ち」
「光の実験」
「試料相手にできる範囲なら今日中」
「日光に当てる?」
「まずはそれ」
透明な容器。
小さな組織。
久世はタイマーを置く。
「外へ」
本部屋上。
午後の日差し。
容器を置く。
三人が見る。
一分。
変化なし。
二分。
変化なし。
三分。
「何も起きない」
レイナ。
「まだ」
五分。
「変わらない」
十分。
久世が容器を回収する。
「生体じゃないと反応しない?」
ホオズキ。
「可能性」
「そもそも日光が弱点じゃない」
「それも」
「じゃあ朝の反応は」
「眩しかっただけ」
「煙出てた」
「警察の作業灯のときは」
「じゃあ波長」
「だからこれから切り分ける」
久世は少し苛立った。
ホオズキが笑う。
「楽しそう」
「どこが」
「久世、分からないこと好きでしょ」
「好きじゃない」
「嘘」
「分からないことを分からないまま放置するのが嫌いなだけ」
「同じようなもの」
久世は試料を持って戻る。
「代表」
「何」
「先に言っときますけど」
「うん」
「十字架当てて煙出るとか、そういう分かりやすい結果期待しないでくださいね」
「ちょっと期待してる」
「やめて」
*
午後三時二十分。
会議室。
真壁仁は一枚の古いコピーを机へ置いた。
「これが一番古い」
ホオズキ。
「何?」
「二十七年前」
「Vesper?」
「名前は違う」
紙。
当時の週刊誌記事。
《若い女性連続失踪 歓楽街に謎の秘密クラブ》
「週刊誌?」
「馬鹿にするな」
「してない」
「新聞じゃ扱わなかった」
真壁は記事を指す。
「当時も若い女が何人か消えた」
「人数」
「記事じゃ六人」
「警察」
「関連なしと判断」
「真壁さんは?」
「俺らの世界でも噂になった」
「人身売買」
「最初はな」
「違った?」
「金がない」
前にも聞いた話。
「それと」
真壁が次の紙。
古い写真。
荒い。
歓楽街。
夜。
数人の若者。
奥。
一人の女性。
白い髪。
ホオズキが写真を取る。
「……この人」
久世。
「似てる」
「似てるどころじゃない」
レイナ。
「今の女と同じ」
「二十七年前だぞ」
レンジ。
「母親?」
「可能性はある」
榊原。
「同一人物と断定するな」
久世が写真をスキャンする。
「顔認証かける」
「古すぎて精度低いぞ」
「分かってる」
真壁は椅子へ深く座る。
「俺が気になるのは、もっと別だ」
「何」
「この写真を持ってた男」
「誰」
「昔の知り合い」
「今は」
「死んでる」
「事故?」
「いや」
真壁が少し黙る。
「自殺扱い」
全員が見る。
「扱い?」
「俺は信じてない」
「理由」
「死ぬ前の日に会ってる」
「何て」
「“見つけた”って」
「何を」
「女を」
「白髪の?」
「多分な」
真壁は煙草を吸いたそうに指を動かす。
「そいつ、興奮してたよ。二十年前から同じ顔の女がいるって」
室内が静かになる。
「翌日死んだ」
「方法は」
「首吊り」
「遺書」
「ない」
「事件性」
「当時はなし」
「真壁さんは調べなかった?」
「調べた」
「結果」
「何も出なかった」
「Vesperに繋がるものは」
「当時の店は名前が違う」
「何て?」
真壁は資料を見る。
「《Nocturne》」
久世の指が止まる。
「夜想曲」
「洒落てるだろ」
「場所」
「今のVesperから二駅ぐらい離れたところ」
「建物」
「もうない」
「いつ閉店」
「記録上は十九年前」
「経営者」
「死んでる」
「また?」
「今度は本当に死んでる。戸籍上な」
「年齢」
「七十二」
「店をやってた頃は」
「五十前後」
「白髪の女との関係」
「分からん」
ホオズキが写真を見る。
二十七年前。
同じ顔。
もし。
本当に同一人物なら。
説明がつかない。
「久世」
「今やってる」
画像。
現在の銀髪女性。
昔の写真。
輪郭。
目。
鼻。
口。
解析。
数値。
久世が画面を見る。
「精度悪いけど」
「結果は」
「同一人物の可能性、高い」
誰も声を出さない。
「どれくらい」
「断定できる数字じゃない」
「でも?」
「親子や姉妹より、同一人物の方が一致度高い」
レンジが椅子から身を起こす。
「二十七年前と同じ顔?」
「写真が正しいなら」
レイナ。
「若返り?」
「美容整形?」
サヤ。
「不可能ではない」
久世。
「でも毎回、同じ顔を維持する意味がない」
「本人が気に入ってる」
レンジ。
「黙って」
「はい」
榊原が言う。
「過去資料をさらに掘る」
「どこまで」
真壁。
「可能な限り」
「戦前まで?」
「できるなら」
真壁が笑う。
「鬼でも探す気か」
榊原は真顔だった。
「必要なら」
*
午後五時〇七分。
黒崎が再びヤタガラスへ来た。
顔が悪い。
「怒られた?」
ホオズキ。
「うるさい」
「当たり」
「四十八時間だ」
「何が」
「上を納得させるまで」
「無理じゃない?」
「お前が言うな」
黒崎は資料を机へ置く。
「これ以上の現場対応を止め続けるなら、それなりの根拠が必要になる」
久世。
「映像じゃ足りない?」
「足りない」
「何で」
「映像はいくらでも疑える」
「実物?」
「欲しい」
部屋が静かになる。
ホオズキが黒崎を見る。
「捕まえろって?」
「俺は言ってない」
「でも必要」
「そういうことになる」
榊原の顔が険しくなる。
「非常に危険ですな」
「分かっている」
「生け捕り」
久世が呟く。
「無理じゃね?」
レンジ。
「昨日の装備じゃ」
「だから弱点を探す」
ホオズキ。
黒崎。
「待て。今すぐやるとは言ってない」
「でも四十八時間」
「映像以外の証拠でもいい」
「試料」
久世。
「それが人間では説明できないと出れば」
「使える」
「間に合う?」
「外部検査に急がせる」
黒崎は机へ手を置く。
「ホオズキ」
「何」
「先走るな」
「信用ない」
「あると思うか」
「彼女なのに」
「そこは関係ない」
「ひどい」
黒崎の顔は真剣だった。
「本当にだ」
ホオズキも表情を戻す。
「分かってる」
「昨日の相手」
「うん」
「もしあれが警察の想定外の存在なら」
「うん」
「俺一人で話を通せる規模じゃなくなる」
ホオズキが黙る。
「警視庁だけでもない」
「防衛省?」
「まだ早い」
「厚労?」
「感染性があるなら」
「内閣?」
「そこまで行く可能性もある」
黒崎は低く言う。
「だから間違えられん」
「吸血鬼でした、やっぱり違いました、じゃ済まない」
「そうだ」
部屋の空気が重くなる。
今までは。
ヤタガラスの事件だった。
警察の事件だった。
若い女性の失踪事件だった。
だが。
もし本当に。
人間ではない存在が。
何十年も。
東京の地下で人間を捕食しているなら。
話の規模そのものが変わる。
*
午後六時二十六分。
外部検査機関から、最初の速報が届いた。
久世がメールを開く。
読んで。
動かなくなった。
「久世?」
レイナ。
「何」
「……変」
「何が」
「血液」
全員が集まる。
「人間じゃない?」
レンジ。
「いや」
久世は首を振る。
「人間に近い」
「近い?」
「赤血球、白血球、血小板。基本構成は人間と類似」
「じゃあ人間」
「待って」
久世がスクロール。
「代謝関連の数値が異常」
「どれくらい」
「生きてる状態なら測定機器の異常を疑うレベル」
「何が高い」
「違う。低い」
「低い?」
「細胞活動がほとんど止まってる」
サヤ。
「採取後に死んだ組織だからでは」
「それを加味しても」
「保存状態」
「正常」
「じゃあ」
久世は続ける。
「なのに」
「何」
「再生に関係すると思われる細胞増殖マーカーが異常に高い」
ホオズキが眉を寄せる。
「止まってるのに増える?」
「そう」
「矛盾してない?」
「してる」
「検査ミス」
「向こうもそう思って再検査してる」
黒崎。
「人間の検体として説明可能か」
「今のところ、かなり難しい」
「確定?」
「まだ」
「他に」
「血液型」
「何型」
「判定不能」
「そんなことある?」
「特殊型ならある。でもこれは」
久世は画面を見る。
「凝集反応そのものがおかしい」
「病気?」
「分からない」
また。
分からない。
だが。
少しずつ。
その言葉の意味が変わってきている。
何も知らないから分からないのではない。
調べても。
既存の分類へ入らないから分からない。
榊原が静かに言った。
「面白くなってきた、という顔をしていますな」
久世が振り返る。
「してません」
「してます」
「してないです」
レイナが笑う。
「してる」
「篠宮さん黙って」
*
午後七時十一分。
大会議室。
再び全員。
朝から数えて三度目。
ホワイトボードには、びっしりと文字が並んでいる。
《確認済》
・異常再生能力
・異常筋力
・異常速度
・人工光の一部を忌避
・太陽光を忌避
・血液に関係する行動
・若年かつ健康な人間を選別
・数十年間、同一人物と思われる外見記録
《未確認》
・銀
・特定波長
・熱
・低温
・電撃
・薬品
・心臓破壊
・完全な脳破壊
・再生限界
・宗教的象徴
・感染性
・寿命
・睡眠
・食事
・生殖
・社会構造
そして一番上。
《仮称:吸血鬼》
久世が朝に書いた文字。
誰も消さなかった。
「結論を出します」
榊原宗一郎が言った。
全員の視線。
「我々は、吸血鬼の存在を確認した」
レンジが少し驚く。
榊原は続けた。
「――とは言わない」
「ですよね」
「だが」
榊原はボードを見る。
「吸血鬼という仮説を、笑って排除する段階でもなくなった」
黒崎が腕を組む。
「警察としてはそんな文書出せんぞ」
「出す必要はない」
「なら」
「未知の人型生物、あるいは既知の人類と著しく異なる生理特性を持つ集団」
久世。
「堅い」
「役所は堅い方がいい」
黒崎。
「吸血鬼って書くより百倍マシだ」
ホオズキが椅子へ座ったまま言う。
「私は吸血鬼でいい」
「代表」
「長いし」
「そこじゃありません」
「じゃあ何」
榊原がホオズキを見る。
「呼び方より重要なことがあります」
「どう殺すか?」
「止めるか、です」
「同じようなもの」
「違います」
「真面目」
「仕事ですので」
ホオズキは少し笑う。
榊原は笑わない。
「今後、我々が最優先すべきことは三つ」
一本目の指。
「性質の解明」
二本目。
「失踪者の所在確認」
三本目。
「そして、外部組織へ説明可能な証拠の確保」
黒崎。
「それがないと警察を動かせない」
「警察だけではありません」
榊原。
「この問題が想定以上に大きい場合」
誰も口を挟まない。
「ヤタガラス単独で対処することは不可能です」
ホオズキは頷いた。
認めることに抵抗はなかった。
昨日。
自分の身体で理解した。
あれは勇気や技量だけでどうにかなる相手ではない。
「じゃあ」
ホオズキ。
「研究班を作る」
「誰が」
「久世」
「でしょうね」
「サヤは現場データ整理」
「了解」
「レイナは過去のVesper関係者を追う」
「はい」
「レンジ」
「裏?」
「真壁さんと一緒」
「了解」
「榊原さん」
「全体調整」
「黒崎」
「勝手に俺を配置するな」
「警察との窓口」
「……まあ、そうなる」
ホオズキは立ち上がる。
右手首はまだ痛む。
それでも。
昨日までとは違う。
「私は?」
レンジが聞く。
「代表自身の役割」
ホオズキは少し考えた。
「全部見る」
「雑」
「代表だから」
榊原が呆れたように息を吐く。
「それでは過労死しますぞ」
「吸血鬼に殺されるよりいい」
「全然よくない」
黒崎。
「二人とも似たようなこと言うわね」
「まともな人間ならそう言う」
ホオズキはボードを見る。
吸血鬼。
朝には。
その文字が冗談に見えた。
今は。
誰も笑わない。
「久世」
「はい」
「一個聞いていい?」
「何です」
「本当に吸血鬼だったら」
「はい」
「十字架って、どの宗派のを使うの?」
数秒。
沈黙。
レンジが吹き出した。
レイナも。
サヤまで口元を押さえる。
黒崎は額を押さえた。
「お前な」
「大事でしょ」
「今聞くことか」
「宗教的象徴を検証するなら重要」
久世は真顔になった。
「……確かに」
黒崎が久世を見る。
「乗るな」
「いや、もし効くなら宗派差を調べる必要が」
「お前まで」
「仏具も試そう」
レイナ。
「お札も」
レンジ。
「塩も」
サヤ。
「清めの塩と普通の食塩で比較できます」
黒崎は天井を見る。
「頭がおかしくなりそうだ」
ホオズキは笑った。
「大丈夫」
「何が」
「私たちも同じ」
ほんの少しだけ。
室内の緊張が緩む。
だが。
誰も忘れてはいなかった。
地下には。
まだ少女たちが残っている。
*
午後八時三十二分。
会議終了後。
ホオズキは一人で会議室へ残っていた。
机上。
一枚の写真。
長谷川美月。
依頼人から預かったもの。
笑顔。
十九歳。
父親の誕生日プレゼントを選んでいた少女。
ホオズキはその写真を見ていた。
「まだいたか」
黒崎。
扉のところ。
「帰らないの?」
「お前が帰らないからな」
「監視?」
「そうだ」
黒崎が近づく。
写真を見る。
「この子か」
「最初の依頼」
「生存情報は四日前」
「うん」
「まだ生きてる可能性はある」
「ある」
「なら」
ホオズキが顔を上げる。
「何」
「今度は準備して行け」
「分かってる」
「本当に?」
「本当に」
黒崎は隣の椅子へ座る。
「怖かったか」
突然。
ホオズキは少し驚いた。
「何が」
「昨夜」
「……」
「怖かったのか」
ホオズキは写真へ目を落とす。
「怖かった」
素直な答えだった。
黒崎は何も言わない。
「死ぬかと思った?」
「それより」
「何だ」
「誰かを置いて帰る方が怖かった」
黒崎が小さく息を吐く。
「お前らしいな」
「褒めてる?」
「褒めてない」
「今日みんなそれ言う」
「そうか」
「でも」
ホオズキは続ける。
「あそこで残ってたら、多分サヤもレンジもレイナも死んでた」
「ああ」
「奈緒も」
「ああ」
「だから帰った」
「正しい」
「分かってる」
「ならそれでいい」
ホオズキが首を横に振る。
「よくない」
「何が」
「正しかったからって、置いてきたことが消えるわけじゃない」
黒崎は答えなかった。
「だから戻る」
「……」
「今度は」
ホオズキは右手を見る。
昨日。
細い女の腕に掴まれ。
何もできなかった。
「通じるものを持って」
黒崎が言う。
「一人で行くなよ」
「四人で行った」
「そういう意味じゃない」
ホオズキは黒崎を見る。
「じゃあ?」
「警察も使え」
「使うって言い方」
「自衛隊が必要なら話を上げる」
「そこまで?」
「相手次第だ」
「政府まで?」
「必要なら」
ホオズキは少し笑った。
「大事になってきた」
「最初から大事だ」
「ただの家出かもしれなかったのに」
「そうだな」
二人は写真を見る。
一人の少女。
そこから始まった。
小さな依頼。
報酬も少ない。
警察とは別に娘を探してほしい。
それだけだった。
だが今。
その少女の行方を追った先に。
人間社会が知らない何かがいる。
*
午後九時〇七分。
本部研究区画。
久世冬馬は一人でモニターを見ていた。
新しい検査結果。
血液。
細胞。
タンパク質。
遺伝情報。
画面に。
一つの警告。
《解析エラー》
「またか」
再実行。
《解析エラー》
「何でだよ」
条件変更。
再実行。
今度は進む。
三十パーセント。
五十。
七十。
九十。
完了。
久世は結果を見る。
そして。
動きが止まった。
「……え?」
遺伝子配列。
人間。
ほぼ。
人間。
だが。
完全ではない。
比較。
再確認。
「嘘だろ」
彼は別のソフトを開く。
再解析。
同じ。
久世は電話を取る。
「代表」
『何』
「まだ本部?」
『いる』
「来て」
『どうしたの』
「多分」
一度。
唾を飲む。
「証拠になる」
*
数分後。
ホオズキ。
榊原。
黒崎。
久世。
モニターの前。
「説明して」
ホオズキ。
「この試料」
久世が画面を示す。
「人間と非常に近い」
「前にも言ってた」
「でも完全一致しない」
黒崎。
「何パーセント」
「その言い方だと誤解が出る。DNAの共通率だけでは種差を単純に説明できない」
「じゃあ分かるように言え」
「人間由来の試料として解析すると、複数箇所で説明できない配列が出る」
「突然変異」
「一人なら」
「遺伝病」
「可能性はある」
「なら」
「問題はこっち」
久世が別画面。
「修復関連遺伝子群」
「何」
「普通じゃない」
「具体的に」
「活性化の仕方がおかしい」
榊原。
「再生能力と関係が?」
「可能性はある」
「証明できる?」
「まだ」
「じゃあ証拠にならない」
黒崎。
「それだけじゃない」
久世はさらに表示する。
「これ」
「何」
「細胞年齢」
ホオズキ。
「年齢が分かるの?」
「厳密には違う。老化に関係する指標を見る」
「結果」
久世は少し黙った。
「測定不能」
「また?」
「正確には」
画面。
「新生児に近い指標と、極端に老化した指標が同時に出る」
黒崎が眉を寄せる。
「意味が分からん」
「俺も」
「検査ミス」
「再検査中」
「じゃあ」
「でも」
久世が一枚の画像を出す。
二十七年前の銀髪女性。
現在の銀髪女性。
「もし」
全員が見る。
「もし本当に同じ個体なら」
久世の声が低くなる。
「老化を止めてるんじゃない」
「何?」
「老化しながら、修復し続けてる可能性がある」
ホオズキは銀髪の女を見る。
「つまり」
「細胞は傷む」
「うん」
「でも直す」
「そう」
「ずっと?」
「理論上そんな生物知らない」
「だけど」
「もしそれが可能なら」
久世は言った。
「見た目が変わらない説明にはなる」
誰も声を出さなかった。
黒崎がやがて呟く。
「不老不死」
「違う」
久世は即座に否定した。
「不死かどうかは分からない」
「じゃあ」
「老化が極端に遅いか、損傷を異常速度で修復する」
「同じようなものじゃない」
ホオズキ。
「全然違う」
久世は真剣だった。
「違いが分かれば、殺せるかもしれない」
その言葉。
部屋が静かになる。
榊原宗一郎がゆっくり腕を組んだ。
「ようやく」
「何が?」
ホオズキ。
「怪談から研究対象になった」
久世も頷く。
「そうですね」
黒崎は画面を見る。
「上には何て言う」
榊原。
「そのままでいいでしょう」
「吸血鬼とは言わず?」
「言葉は後です」
榊原は銀髪の女を見る。
「既知の人間と異なる生理特性を持つ集団が、東京都内で組織的に若年女性を拉致監禁している可能性」
「十分やばいな」
レンジならそう言っただろう。
黒崎も似たような顔をした。
「それなら話を上げられる」
「動く?」
ホオズキ。
「動かす」
黒崎の声が変わった。
「警察だけじゃ足りないかもしれん」
「じゃあ」
「まず上を説得する」
「四十八時間」
「残り三十六」
「間に合う?」
黒崎は銀髪の女の画像を見る。
「間に合わせる」
*
その夜。
Vesper。
地下。
赤い照明は消えていた。
ライブハウスとしての営業もない。
静かな空間。
銀髪の女がステージ中央に座っている。
黒髪の女が近づく。
「人間たちが周囲を監視しています」
「知ってる」
「移動しますか」
「どうして?」
「場所を知られました」
銀髪の女は笑う。
「だから面白いんでしょう」
「危険です」
「何が?」
「彼らは調べます」
「そうね」
「弱点も」
「あるならね」
「……」
黒髪の女は少し不安そうだった。
「あなたは人間を甘く見すぎています」
銀髪の女が顔を上げる。
「あなたがそんなことを言うなんて珍しい」
「昨夜の女」
「九条ホオズキ?」
「名前を覚えたんですか」
「面白いもの」
銀髪の女は自分の胸へ触れる。
服の下。
銃撃された場所。
傷は完全に消えている。
「撃ってきた」
「人間は普通そうします」
「違う」
銀髪の女の笑みが深くなる。
「私が何かも知らないのに、逃げながら観察してた」
「……」
「光を嫌がるのも見られた」
「だから危険です」
「だから面白い」
「いつか殺されますよ」
一瞬。
銀髪の女が黙る。
それから。
静かに笑った。
「それも面白いじゃない」
「冗談ではありません」
「私は何百年も」
女はステージから降りる。
「同じ人間を見てきた」
戦争。
疫病。
飢饉。
革命。
繁栄。
崩壊。
「人間はいつも同じ」
「そうでしょうか」
「怖がって」
一歩。
「怒って」
一歩。
「殺し合って」
一歩。
「死ぬ」
黒髪の女は何も言わない。
「でも」
銀髪の女が階段の方を見る。
あの女が逃げた方向。
「少し違う人間もいるみたい」
「九条ホオズキ」
「ええ」
「殺しますか」
銀髪の女は考えた。
そして。
「まだ」
「なぜ」
「見たいから」
「何を」
女は笑った。
「人間が」
赤い瞳。
「自分たちより強いものを知った時、どこまで足掻けるのか」
*
同じ頃。
ヤタガラス本部。
窓の外。
東京の夜。
ホオズキは一人で街を見ていた。
昨日までは。
同じ夜景だった。
今は。
違って見える。
灯り。
ビル。
道路。
家。
駅。
そこに暮らす何百万という人間。
誰も知らない。
自分たちのすぐ近くに。
夜だけを生きる何かがいる。
ホオズキは右手首を動かした。
痛む。
確かに。
あれは現実だった。
「吸血鬼、ね」
自分で言ってみる。
やはり。
馬鹿馬鹿しく聞こえる。
それでも。
笑えなかった。
扉が開く。
榊原。
「まだ帰らないんですか」
「あなたも」
「年寄りは早起きなので」
「まだ夜」
「そうでしたな」
隣へ立つ。
「代表」
「何」
「信じましたか」
「吸血鬼?」
「ええ」
ホオズキは少し考える。
「信じるとか信じないとかじゃないと思う」
「では」
「いるものはいる」
榊原が僅かに笑う。
「実に代表らしい」
「褒めてる?」
「半分」
「残り半分」
「面倒な人だと」
「失礼」
二人は夜景を見る。
「榊原さん」
「はい」
「勝てる?」
珍しい質問だった。
榊原はすぐには答えなかった。
「今のままでは」
「うん」
「勝てません」
「やっぱり」
「ですが」
榊原は続ける。
「我々は昨日より知っている」
ホオズキが彼を見る。
「昨日は、何を撃てば止まるかすら分からなかった」
「今日は?」
「光を嫌う可能性がある」
「うん」
「血液を利用している可能性がある」
「うん」
「再生にも仕組みがある可能性がある」
「うん」
「なら」
榊原は夜の街を見る。
「明日は、今日より多く知る」
ホオズキは少し笑った。
「それで勝つ?」
「それが人間の戦い方でしょう」
しばらく。
二人とも黙っていた。
やがて。
ホオズキが呟く。
「名前はどうでもいい、か」
「何です?」
「昨日言ってた」
「覚えてましたか」
「うん」
彼女は窓の外を見る。
「確かに」
吸血鬼。
怪物。
未知個体。
呼び方など。
どうでもいい。
必要なのは。
彼らが何者なのかではなく。
何が通じるのか。
何を守るべきか。
そして。
どうすれば地下に残した少女たちを連れて帰れるのか。
「じゃあ」
ホオズキは言った。
「明日から本格的にやろう」
「何を」
「吸血鬼研究」
榊原は少し顔をしかめた。
「その呼び方はどうかと」
「短いからいい」
「久世が嫌がりますぞ」
「じゃあ決定」
「嫌がるから?」
「もちろん」
榊原が呆れたように笑った。
夜はまだ続いていた。
だが。
人間側はすでに。
暗闇を恐れて逃げるだけではなくなっていた。
翌朝から。
ヤタガラスは光学。
医学。
化学。
生物学。
民俗学。
宗教史。
そして。
人類が何百年も怪物について語り継いできた、ありとあらゆる迷信に手を伸ばすことになる。
吸血鬼が伝説通りなのか。
伝説のどこまでが真実なのか。
それとも。
人間が昔から彼らを知っていたからこそ。
伝説が生まれたのか。
答えはまだない。
だからこそ。
調べる価値があった。
信じる必要はない。
疑えばいい。
そして。
確かめればいい。
それが。
怪物にはない。
人間の武器だった。




