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第19章 夜を閉じる作戦

第19章 夜を閉じる作戦


 地下深くで、何かが動き始めていた。


 音ではなかった。


 少なくとも、最初は。


 足の裏から骨へ伝わる、低い振動だった。


 九条ホオズキは走りながら、それが巨大な機械の駆動によるものだと理解した。


 壁の向こうを、何十年、あるいは何百年ものあいだ停止していた機構が目を覚まし、歯車と油圧機構を軋ませながら動いている。


 天井を走る配管の中では、赤黒い液体が流れていた。


 血だった。


 人間の血だけではない。


 これまで地下に集められていた者たちから採取された血液、共存派から奪われたもの、保存されていた古い血液。


 それらが巨大施設の奥へと送り込まれている。


 ホオズキの耳元で、久世冬馬の声が響いた。


『中央系統、再起動を確認。九条代表、聞こえますか』


「聞こえてる」


『搬送系も生きています。最深部の休眠槽を上層へ運ぶつもりです』


 ホオズキは走りながら前方を見た。


 赤い非常灯だけが続く長い通路。


 その先に、黒い巨大扉が見えている。


 中央制御室。


 その扉まで、あと百メートルほどだった。


『起動表示、十四』


 久世が続ける。


『さっきまで十二でした。二つ増えています』


 ホオズキの表情は変わらなかった。


「完全覚醒は?」


『現時点で確認できているのは――』


 一瞬、通信の向こうで操作音が鳴った。


『先ほど交戦した個体を除けば、まだありません。ただし全槽で代謝活動が上昇しています。このまま血液が流れ続ければ時間の問題です』


 後ろから荒い息が聞こえた。


 春樹だった。


 肋骨を数本折っている。


 先ほど始祖級の一体に殴り飛ばされ、十メートル近く吹き飛んで石棺に叩きつけられた身体だ。


 それでも彼は走っていた。


 顔色は人間なら病的と言えるほど白かった。


「血の流れを……止めればいい」


 春樹が言った。


「奴らは起きないのね?」


「完全に止まる保証はありません」


 その横を走っていた篠宮レイナが答えた。


「でも少なくとも、覚醒を遅らせられる」


「遅らせるだけじゃ駄目」


 ホオズキが言った。


「止めるわ」


 神代蓮司が前方へ銃口を向けたまま笑った。


「代表。そういうと思いましたよ」


「笑ってる場合?」


「笑えるうちは大丈夫です」


「その理屈、嫌いじゃないわ」


 御影紗夜は何も言わなかった。


 彼女は春樹の手を見ていた。


 握っている。


 震えている。


 痛みだけではない。


 何かに耐えている人間――いや、吸血鬼の手だった。


「春樹さん」


 紗夜が静かに呼んだ。


「何です」


「また呼ばれていますね」


 春樹の足が、一瞬だけ乱れた。


 ホオズキが振り返る。


「……そうなの?」


 春樹は答えなかった。


 その沈黙だけで十分だった。


「強くなっています」


 やがて春樹が言った。


「さっきよりずっと」


「命令されてる?」


「命令とは違います」


 春樹は胸を押さえた。


「もっと原始的なものです。血を持つものなら逆らえない。戻れ、という感じに近い」


「どこへ?」


「下へ」


 全員の視線が一瞬だけ足元へ向いた。


 今、自分たちは地下深くにいる。


 それでも春樹は、さらに下だと言っている。


 ホオズキは前を向いた。


「聞かなかったことにする」


「え?」


「今はね」


 黒い扉が迫っていた。


「目の前の仕事を片付ける。話はそのあと」


 ホオズキは速度を上げた。


     *


 中央制御室の扉には、取っ手がなかった。


 厚さ数十センチはあると思われる鋼鉄製の隔壁だった。


 レイナが脇の操作盤を確認する。


「ロックされています」


「電子?」


「電子と機械式。二重です」


 蓮司が壁に手をついた。


「壊します?」


「時間は?」


『ありません』


 久世が即答した。


『搬送機が動き始めます』


「じゃあ壊す」


 ホオズキが言った。


 蓮司が即座に準備に入る。


 その間にも、床の振動が強くなっていた。


 ゴウン。


 ゴウン。


 一定間隔で響く。


 巨大な何かが、持ち上げられている。


 紗夜が後方を警戒した。


「来ます」


 暗闇の向こう。


 何かが立っていた。


 一体。


 いや、二体。


 人間に見える。


 だが動き方が違った。


 四肢の関節が、人間ならためらう角度まで自然に曲がる。


 捕食派の吸血鬼だった。


 施設の起動に引き寄せられたのか、それとも阻止する者を排除するために来たのか。


 判断する時間はなかった。


「サヤ」


「はい」


「三十秒」


「十分です」


 紗夜が前へ出た。


 静かだった。


 怒っているときほど、彼女の声は小さくなる。


「レイナさん。春樹さんを見ていてください」


「了解」


 最初の吸血鬼が突進した。


 人間の目なら残像しか追えない速度。


 だが紗夜は身体を見ていなかった。


 手を見ていた。


 指。


 手首。


 肩。


 攻撃する直前、人間でも吸血鬼でも、手は嘘をつかない。


 右。


 紗夜が身体を半歩ずらす。


 爪が頬の前を通過した。


 銃声。


 至近距離から撃ち込まれた弾丸が吸血鬼の肩を砕く。


 倒れない。


 二体目が横から跳んだ。


「代表!」


 レイナが叫んだ。


 ホオズキは振り向かなかった。


「サヤがいる」


 それだけ言った。


 紗夜は二体目の腕をかわし、相手の勢いを利用して壁へ叩きつけた。


 蓮司が振り返る。


「あと十秒!」


 紗夜が一体目の脚を撃ち抜いた。


 膝をついた瞬間、二発目。


 頭部ではない。


 首。


 完全に倒す必要はない。


 止めればいい。


「三!」


 蓮司が叫んだ。


「二!」


 紗夜が床へ伏せた。


「一!」


 爆音。


 鋼鉄の扉が内側へ歪んだ。


 白煙が吹き出す。


 蓮司が蹴る。


 一度。


 二度。


 三度目で、歪んだ隔壁が大きく開いた。


「開通!」


「入る!」


 ホオズキが最初に飛び込んだ。


 レイナ。


 春樹。


 蓮司。


 最後に紗夜。


 扉の向こうへ滑り込んだ直後、蓮司と紗夜が破損した隔壁を押し戻す。


 完全には閉まらない。


 だが敵の侵入を数十秒は遅らせられる。


「久世」


『見えました。端末を探してください』


 中央制御室は、人間の研究施設とはまるで違っていた。


 古い。


 そして新しい。


 石造りの壁に、近代的な配線が這っている。


 巨大な機械の中に、明治、大正、昭和、平成、令和――異なる時代に継ぎ足された痕跡がある。


 古代の施設を、人間社会の技術革新に合わせて何度も改修してきた。


 そこにあるのは文明ではなかった。


 執念だった。


 生き延びるための。


 眠り続けるための。


 そしていつか、目覚めるための。


 レイナが中央端末を発見した。


「これ!」


 久世が遠隔接続を開始する。


『……入りました』


 ホオズキは画面を見る。


 表示されている文字の大半は現代のものだった。


 十四の槽。


 そのすべてに赤い表示が灯っている。


 AWAKE。


 数字が上がっていた。


 六十八。


 七十三。


 八十一。


 パーセント表示だろう。


「久世」


『はい』


「止め方」


『血液供給系が三系統あります』


 画面が切り替わる。


『主送血管。循環返送管。それから予備供給槽。この三つを全部止めます』


「中央から切れない?」


『試します』


 数秒。


『駄目です。物理弁が独立しています。中央制御を奪われた場合に止められない構造です』


 蓮司が呆れたように言う。


「悪趣味ですね」


「目覚まし時計に止めるボタンを付けてないようなものね」


 レイナが周囲を見る。


「場所は?」


『一つはここです』


 壁の一部が画面上で点滅する。


『二つ目は中央通路の先。三つ目は――』


 久世が黙った。


「どうしたの」


『搬送縦坑です』


 全員が顔を上げた。


 さきほどから響いている巨大な振動。


 その中心だ。


『そして現在、一基が搬送縦坑へ移動しています』


「どれくらい?」


『三分以内』


 ホオズキは即座に決めた。


「分かれる」


「代表」


 紗夜が見た。


「時間がない」


 ホオズキは三人を見る。


「レンジ。ここを止めて」


「了解」


「レイナ、二つ目」


「任せて」


「春樹は私と来て」


 春樹が目を見開いた。


「私が?」


「搬送縦坑を知ってるのはあなたでしょう」


「しかし――」


「走れる?」


 春樹は少しだけ笑った。


「……さっきも聞かれました」


「答えは?」


「走れます」


「なら来て」


「代表」


 紗夜が言った。


「私は?」


「私と一緒」


 紗夜は短く頷いた。


「了解」


 蓮司が壁面の主送血管へ向かう。


 レイナは反対側の通路へ。


 ホオズキ、紗夜、春樹は搬送縦坑へ向かった。


 その瞬間、通信に別の声が割り込んだ。


『九条』


 黒崎剛士だった。


「黒崎?」


『地上で搬送出口を確認した』


 爆発音が通信の向こうで響いた。


 続いて怒号。


『地下から何か上がってくる』


「一基動いてる」


『久世から聞いた』


 黒崎の声は落ち着いていた。


 いつものように。


 警察幹部として現場を指揮するときの声だった。


 恋人に話す男の声ではない。


 だからホオズキも、恋人として返さなかった。


「止める」


『何分だ』


「三分」


『なら三分持たせる』


「無茶しないで」


『それは俺の台詞だ』


 一瞬だけ、ホオズキの口元が緩んだ。


 だがすぐに消えた。


 黒崎が続ける。


『九条』


「何?」


『地上は俺が持たせる』


 短い間。


『お前は地下を閉じろ』


「了解」


 通信が切れた。


 ホオズキは走った。


     *


 地上。


 夜の東京。


 道路は封鎖され、周辺地区から住民は退避していた。


 巨大な地下施設の搬送口を囲むように、防護装備の警察部隊と自衛隊が配置されている。


 その中央に黒崎は立っていた。


 地面が揺れている。


 舗装路の一部が亀裂を生じ、地下から機械音が近づいていた。


 巨大なエレベーターが上がってくる。


 その上に何が乗っているのか。


 全員が知っていた。


「距離を取れ!」


 黒崎が叫ぶ。


「絶対に近づくな! 相手は人間の速度じゃない!」


 隊員たちが展開する。


 これまでの数日間で、人類は学んだ。


 銀。


 紫外線。


 強い光。


 大量出血。


 神経系の損傷。


 完全な殺害方法が確立されたわけではない。


 だが足止めはできる。


 少なくとも、普通の吸血鬼なら。


 問題は――。


「始祖級……」


 誰かが呟いた。


 黒崎は振り返らなかった。


「名前を付けて怖がるな」


 低い声だった。


「やることは同じだ」


 拳を握る。


「出てきたら止める」


 地面が持ち上がった。


     *


 地下。


 蓮司は巨大な赤い配管の前にいた。


「久世!」


『そこです』


「これを?」


『閉鎖してください』


「ハンドルありませんけど」


『壊してください』


「最初からそう言ってくださいよ」


 蓮司が笑った。


 工具を突き込み、制御部を破壊する。


 だが弁は動かない。


「硬い!」


『圧力が高すぎます』


「なら圧を抜く!」


『待ってください、それをやると――』


 蓮司はすでに隣の細い配管を撃ち抜いていた。


 赤い液体が噴き出す。


「うおっ!」


『……だから言ったんです』


「先に言ってください!」


『言いました!』


 圧力表示が落ちていく。


 蓮司は全身を使って非常弁を回した。


 一回転。


 二回転。


 三回転。


 配管内部の音が変わる。


『主送血管、流量低下』


「止まれ……!」


 さらに回す。


『五十パーセント』


「止まれって!」


『二十』


 最後の一押し。


 金属音。


『ゼロ』


 蓮司は壁にもたれた。


「一個」


     *


 別の通路。


 レイナは一人で走っていた。


 目の前には複数の配管。


 どれも同じ色。


 どれも古い。


「久世、どれ」


『左から三番目』


「全部左に見えるんだけど」


『あなたから見てです』


「私がどっち向いてるか分かるの?」


『分かりません』


「馬鹿!」


『すみません!』


 レイナは端末を取り出し、久世が送った簡易図と見比べる。


 足元。


 床に刻まれている古い溝。


 血液が漏れた跡。


 長年使われていたものだけ、色が違う。


「これだ」


『確認します』


「待ってられない」


 レイナは配管を辿った。


 行き着いた先に、巨大なレバーがある。


 だがその前に、人影が立っていた。


 吸血鬼。


 施設を守る残存者。


 互いに動かなかった。


 レイナは銃を向ける。


 相手も身構える。


 ほんの数秒。


 やがて吸血鬼が口を開いた。


「止めるのか」


「そうよ」


「我々も死ぬかもしれない」


 レイナの指が引き金にかかる。


「だから?」


 吸血鬼はしばらく彼女を見ていた。


 やがて、レバーから離れた。


「なら止めろ」


 それだけ言って、暗闇へ消えた。


 レイナは追わなかった。


 レバーを掴む。


「久世」


『はい』


「二つ目、閉じる」


     *


 ホオズキたちは搬送縦坑へ到着した。


 巨大だった。


 直径数十メートル。


 天井が見えない。


 その中心を巨大な昇降床がゆっくり上昇している。


 その上。


 石棺が載っていた。


 一基。


 さきほど戦った始祖級を収めていたものよりも大きい。


 内部から。


 ドン。


 音がした。


 紗夜が銃を構える。


 ドン。


 石棺が揺れた。


 春樹が後ずさる。


「まずい」


「どのくらい?」


「近い」


「何が」


「起きる」


 ホオズキは周囲を見る。


「予備供給槽は?」


『縦坑基部です!』


 久世が叫ぶ。


『昇降床の下!』


 ホオズキは下を見た。


 数メートル下。


 巨大な機械群の向こうに赤いタンクが見える。


「降りるわよ」


 紗夜が即座にロープを確認する。


 春樹がホオズキを掴んだ。


「待ってください」


「何?」


「来る」


 暗闇から無数の足音。


 人間ではない。


 吸血鬼たちだった。


 施設の停止を阻止するためなのか。


 覚醒する始祖に呼ばれたのか。


 その両方なのかもしれない。


 紗夜が静かに言った。


「代表。行ってください」


「サヤ」


「ここは私が」


「一人じゃ――」


「一人ではありません」


 春樹が前へ出た。


 紗夜が彼を見る。


 春樹は震えていた。


「私も残ります」


「肋骨」


「折れてます」


「知ってます」


「でも吸血鬼です」


 春樹は苦笑した。


「こういうときくらい、便利でしょう」


 ホオズキは二人を見た。


 迷ったのは一秒だった。


「死なないで」


「代表も」


 紗夜が答える。


 ホオズキはロープを掴んだ。


 縦坑へ飛び降りる。


     *


 地上まで、残り二十メートル。


 巨大な昇降床が上がる。


 石棺が揺れる。


 黒崎の前で、搬送口の扉が開き始めた。


「来るぞ!」


 夜空へ、地下の冷気が噴き出した。


 機械の隙間から白い蒸気。


 そして――。


 石棺の上部が見えた。


 黒崎が時計を見る。


 二分五十秒。


「九条」


 届くはずのない声で呟く。


「三分だぞ」


     *


 地下。


 ホオズキは機械群の間を走っていた。


『代表、あと四十秒です!』


「分かってる!」


 予備供給槽。


 目の前にある。


 だが制御盤がない。


「どう止めるの!」


『手動弁があるはずです!』


「どこ!」


『図面が古いんです!』


「役に立たないわね!」


『すみません!』


 ホオズキは配管を目で追う。


 巨大タンク。


 送血管。


 ポンプ。


 そこから伸びる太い管。


 なら弁は――。


「下」


 タンクの下へ潜る。


 あった。


 大きな鉄輪。


 ホオズキは掴んだ。


 回らない。


「くっ……!」


 両手で力を込める。


 動かない。


 上では銃声が聞こえている。


 紗夜と春樹。


 何かが落下する音。


 叫び声。


『二十秒!』


「分かってる!」


 ホオズキは足を配管へ掛けた。


 全体重を使う。


 動いた。


 ほんの数センチ。


「動け……!」


 歯を食いしばる。


 軍にいた頃。


 国外任務。


 救助を待っていた人々。


 上層部の決定。


 許可。


 確認。


 再確認。


 救出命令が届いたときには遅かった。


 あの日から。


 彼女は決めていた。


 目の前で救える命を、決断の遅さで死なせない。


 自分が決める。


 間違えば自分が責任を取る。


「動けええっ!」


 鉄輪が回った。


『流量低下!』


 さらに回す。


『十秒!』


 血液ポンプの音が変わる。


『七!』


 ホオズキの手の皮が裂ける。


『五!』


 血が鉄輪につく。


『三!』


 最後の一回転。


『ゼロ!』


 その瞬間。


 施設全体が揺れた。


     *


 地上。


 石棺が停止した。


 搬送口から上半分だけを出した状態で。


 黒崎は動かなかった。


 全員が石棺を見ている。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 何も起きない。


「……止まった?」


 誰かが言った。


 直後。


 石棺の中から。


 ドン。


 全員が構えた。


 もう一度。


 ドン。


 黒崎が盾を前へ出した。


 だが三度目は来なかった。


 沈黙。


 夜風だけが吹いていた。


     *


 地下。


 中央制御室。


 久世が画面を凝視していた。


 一つ。


 また一つ。


 赤い表示が消えていく。


 AWAKE。


 SLEEP。


 AWAKE。


 SLEEP。


 十四。


 十三。


 十二。


 十一。


 数字が減っていく。


「いけ……」


 久世が呟く。


 九。


 七。


 五。


 三。


 二。


 そして。


 一。


 久世の手が止まった。


「……何でだ」


 キーを叩く。


「何で一つ残る」


 中央系統。


 停止。


 主送血管。


 停止。


 循環返送管。


 停止。


 予備供給。


 停止。


 搬送設備。


 停止。


 すべて止まっている。


 それなのに。


 一基だけ。


 覚醒率が下がらない。


 九十三。


 九十四。


 九十五。


「代表」


 久世の声が変わった。


     *


 ホオズキは縦坑を登っていた。


「何?」


『一基だけ止まりません』


 ホオズキの手が止まる。


「血は?」


『止まっています』


「電力」


『切っています』


「搬送」


『停止』


「じゃあ何で動いてるの」


 久世は答えられなかった。


 上へ戻る。


 紗夜がいた。


 戦闘服が裂け、頬に血がついている。


 その横で春樹が壁にもたれて座っていた。


「生きてる?」


 ホオズキが聞いた。


「たぶん」


 春樹が答えた。


「確認は病院で」


「そうして」


 レイナと蓮司も戻ってくる。


「代表!」


「こっちは止めました!」


 全員が中央制御室へ集まった。


 画面を見る。


 十四のうち十三が、青い表示へ戻っている。


 ただ一つ。


 最下層。


 一番深い位置にある休眠槽だけが赤いままだった。


 九十六。


 春樹の顔から表情が消えた。


「……これ」


 ホオズキが見る。


「知ってる?」


 春樹は首を振った。


「知っているんじゃない」


 震える声。


「覚えている」


「何を?」


「怖いということを」


 九十七。


 施設の下から。


 また振動が始まった。


 今までよりゆっくり。


 しかし重い。


 まるで巨大な心臓が、地下そのものを身体として鼓動しているようだった。


 ドン。


 間。


 ドン。


 誰も喋らなかった。


 そのとき。


 中央制御室の入口から声がした。


「だから言ったでしょう」


 全員が銃を向ける。


 銀色の髪。


 白い肌。


 衣服は裂け、身体のあちこちに傷がある。


 それでも彼女は笑っていた。


 アウレリア・セレスティン。


「アウレリア」


 ホオズキが銃口を向ける。


「何を知ってるの」


 アウレリアは画面を見た。


 九十八。


 その笑みが。


 初めて消えた。


「あなたたちは勘違いしている」


 静かな声だった。


「ノアとは王ではない」


 アウレリアが歩み寄る。


「神でもない」


 九十九。


 春樹が身体を震わせる。


 アウレリアは画面から目を離さなかった。


 そこには恐怖があった。


 これまで人間を玩具のように扱い、自分の娘たちの死すら笑って見ていた女が。


 本当に恐れていた。


 ホオズキは初めて、それを見た。


「じゃあ、何なの」


 問いかける。


 アウレリアはゆっくりとホオズキを見た。


 そして答えた。


「私たちの始まりよ」


 施設の最深部で。


 何かが。


 目を開いた。


 アウレリアは言った。


「――あれは、私の母よ」


 画面の数字が。


 100


 に変わった。


             第19章 了

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