第二章 ものをいう猫
深夜の開発室。
浅見はひとり残っていた。
灯りは彼の席だけで、周囲は暗闇に包まれていた。
机の上にはノートパソコン。画面には赤い文字が浮かんでいる。
「致命的エラーが発生しました」
浅見は額に手を当てた。
「まただ。直らない……」
視線を横に動かすと、机の端に写真立てが置かれている。中には小さな鈴をつけた黒猫の写真。フレームの下には小さな文字で「クロ」と記されていた。
「なにが直らないのさ」
いきなり声がした。
浅見の胸の奥が、言葉にならない違和感で揺れた。
次の瞬間、チリンと鈴の音がした。
浅見は顔を上げ、周囲を見回したが、深夜の開発室に人影はなかった。
「よそ見か? よくないぞ」
再び声がした。今度ははっきりと足元から。
浅見はそっと視線を落とすと、黒猫がいた。首には小さな鈴をつけている。
「……動物と会話すると、心が病む」
浅見は見なかったことにするように、ノートパソコンに視線を戻した。
黒猫はのんびりとした声で言った。
「因果関係が逆だよ。心が病んだから動物と会話できたように感じるんだよ」
浅見は頭を振った。
「どうでもいい。今大事なのは、朝までに納品できなきゃクビになるかもしれないという因果関係だ」
黒猫は静かに尻尾を揺らした。
「なるほど、深刻な事情だ」
「間に合えば、その後二、三日の徹夜だってしてやる」
「未来を犠牲にしても、今を優先したいのかな?」
「違う。遠い未来のために近い未来を犠牲にすることが必要なんだ」
「なるほど」
黒猫が机に飛び乗り、浅見の腕に軽く触れた。
その瞬間、浅見の頭の奥に閃光が走った。
頭の中で複雑に重なり合っていたバグの姿が、一か所に収束したように感じた。
「……バグは……ここか!」
浅見はキーボードを叩き始めた。
画面に「正常動作」と表示される。
浅見は息を吐いた。
「直った……送信。納品完了……」
黒猫は目を細めて言った。
「うまくいったようだね。でも代償はある。覚悟しておきな」
浅見が机の上に視線を落とすと、そこにはもう何もいなかった。
「おい……猫?」
◇ ◇ ◇
浅見は隅々まで探し、最後は別室の社員ロッカーまで開けて回ったが、どこにも黒猫の姿はなかった。
「夢だったのかな……」
浅見はひとりつぶやいた。




