カルネ・ド・バル、ある貴族令嬢の貪欲な遍歴 その2~二人の青年が失踪した令嬢邸宅を訪れる~
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レオポルト・アントン・フォン・グリュンタールは、ウィーン大学の学生で、無造作に整えられたライトブラウンの髪が目を覆い隠すほど伸びた、物憂げな青年だった。
「ここが失踪したヘレーネ・フォン・モースハム嬢の住まいだ」
レオポルトが呟くと、オリエンタルな漆黒の短い髪と、漆黒の瞳を輝かせたフランツ・バウアーが感嘆の声を上げた。
「すばらしい!
典型的な歴史主義様式の、中でもゴシック・リヴァイヴァル建築だね!
中世ヨーロッパの本物のゴシック建築とは違い、建築材料は木や石だけでなく煉瓦やセメントや鉄骨を駆使してる。
この植物レリーフも手彫りではなく型取りした装飾パーツを張り付けているね。」
そこは貴族の豪壮な邸宅で、特徴的な尖頭アーチ型のファサード(*1)や窓があり、尖塔を二階の屋根に配置した造形で、外壁は白い化粧漆喰で美しく塗り固められていた。
古めかしく重苦しい、背の高い針葉樹が立ち並ぶ鬱蒼とした森を思わせる中世ゴシック建築に似せているが、化粧漆喰の明るい白さは、重厚な石造りとは根本的に異なり、ロココ的な軽薄さを思わせた。
レオポルトはさっさと豪華な玄関ホールを抜け奥の部屋へと、ためらうことなく進んだ。
フランツがキョロキョロしながらついていくと、まず玄関ホールの巨大な石造りの暖炉やその周囲に彫刻されているグロテスクなアウスグス(*2)に度肝を抜かれた。
両手を広げたぐらい直径のありそうな豪華なシャンデリアや、壁一面に飾られた先祖の肖像画や、おどろおどろしいタッチで『黒い雄山羊を取り囲む民衆の女性たち』が描かれた絵画に見とれて足を止め、レオポルトを見失いそうになった。
慌ててレオポルトの向かった方向へ玄関ホールを抜けて進み、廊下の突き当りの部屋へ入ると、そこは天蓋付きベッドのある、カーテンやベッドカバーやソファの布張り、毛足の長い絨毯まですべて、『ボルドー色』で統一された寝室だった。
オールドオークの家具とボルドー色のおかげで全体的に暗い印象だが、壁面の白っぽいベージュに金で植物モチーフが描かれた壁紙のおかげでシック(*3)で上品な洗練された豪華さが演出されていた。
フランツが驚いたことに、ベッドカバーの上には女性の舞踏会用ドレスが無造作に放り出され、オールドオークの丸テーブルの上には銀製のカルネ・ド・バル、懐中時計、香水瓶、ミラー、パウダーケースのついたシャトレーン(*4)が置かれていた。
銀製のそれらは、すべて同じ薔薇や薊やつる性の植物模様が表面にあしらわれていた。
フランツはさらに部屋の隅にある衣服収納部屋に近づき、マホガニーの重厚な扉を開き、中を確認し
「舞踏会で身に着けるようなドレスや扇子やダンス靴は手つかずだ。」
戻ってきてドレッサーの引き出しを開け中を確認しながら
「だが貴金属や宝石のたぐいは残ってない。」
と呟いた。
レオポルトが肩をすくめ、冗談めかして
「もしかしたらクリノリン(*5)がベッドの下から出てくるかもしれないぞ!
この部屋の主であるモースハム嬢はひどく慌てていたらしいね。
舞踏会の直後に突然思い立って失踪したようだな!」
フランツが眉をひそめ、納得できないような声で
「君の母君がこの屋敷を購入したんだよな?
なぜ前の持ち主のモースハム嬢の私物が残ってるんだ?
片づけもせず屋敷を売りに出したのか?」
レオポルトは丸テーブルの上からカルネ・ド・バルを取り上げ、シャトレーンのフックからはずした。
鍵がわりに表紙の留め金に差し込んでいたペンを取り出し、銀細工の表紙を開きページをめくりながら
「母はモースハム嬢の母君と生前、付き合いがあったらしい。
先日、モースハム嬢の代理人を名乗る男が現れ、モースハム嬢の直筆の手紙を見せた。
その内容は要約すると
『外国で暮らすから、ウィーンのモースハム嬢の屋敷を家財道具一式と合わせて、ある金額で買い取ってほしい』
とのことだった。
母はモースハム嬢の筆跡を知っていたので、本人だと思い、困っているならと言い値で買い取った。
早く現金が欲しかったのか提示された金額は相場よりもかなり安く、お得な買い物だったと言ってたよ。」
手帖に目を走らせながらレオポルトは答えた。
ジャランッ!とフランツはシャトレーンをつけたままのマザーオブパール(*6)の香水瓶を取り上げた。
銀で装飾された蓋を開け鼻を近づけて匂いを嗅ぎ、強烈な芳香に顔をしかめ
「だが、舞踏会用のドレスや、これらの身の回りの持ち物まで放置して、急いで出ていくなんて異常じゃないか?
もしかして誘拐され脅されて手紙を書かされたあと、金を強奪された『事件』かもしれないぞ!」
レオポルトは難しい顔つきで眉根を寄せ、
「いや、これはもっと・・・・・超自然的な、怪奇的な事件かもしれないぞ。
これを見てみろ」
と最後のページを開いたカルネ・ド・バルをフランツに手渡した。
フランツが見た最後のページには、か細い繊細な筆跡で
「Luzifer」
という名前だけが記してあった。
フランツは眉を上げ、目を丸くして
「どういう意味だ?
ルーツィフェルとは神に背いた堕天使、つまり悪魔のことだろう?
なぜ名を記したんだ?」
(その3へつづく)
(*1:建築物正面部のデザインを指す)
(*2:ガーゴイルのこと。本来は雨樋の機能をもつ、怪物などをかたどった彫刻)
(*3:フランス語を語源とする。派手さを抑えつつ、大人の魅力やあか抜けた雰囲気を表す言葉)
(*4:シャトレーンは、ポケットがない時代の18世紀から19世紀初期にかけて流行した時計や鍵などの身の回り品を携帯するために腰から下げていた装身具で、ベルトなどにフックをかけ、その先のチェーンに吊り下げて、腰に下げて使用した。)
(*5:クリノリンは1850年代後半にスカートを膨らませるために発明された下着で、鯨ひげや針金を輪状にして重ねた骨組みである(後に材質は変化)。)
(*6:真珠を作り出す貝(真珠母貝)を美しく加工したもの)




