カルネ・ド・バル、ある貴族令嬢の貪欲な遍歴 その1~高慢と貪欲にとらわれた貴族令嬢~
ヘレーネ・フォン・モースハムは焦っていた。
両親を亡くした3年前から、なりふり構わず婚活に奔走してるのに、一向に結婚前契約に至らないことに。
男爵だった父の死後、実家の屋敷や爵位・領地は親せきの男子が相続したが、別邸や母の持参金や貴金属・ドレスといった身の回りのもの、美術品や家具はヘレーネが受け継いだ。
ヘレーネがひとりで暮らしていくには十分な財産だったが、この先もずっとひとりきりで生きていけるほど、ヘレーネの精神は鋼じゃなかった。
上流階級の貴族が主催する舞踏会に欠かさず参加し、結婚適齢期のめぼしい殿方にそれなりにアプローチするが、二十代後半に差し掛かったヘレーネを喜んで妻にしようという夫候補は数少なかった。
母の存命中は、交際相手について何度も相談した。
すると家柄や経済状態はもちろん、容姿や知性が優れていること、かつ性格が穏やかで優しく、浮気や賭け事を絶対にしないこと、などという『完っ璧な条件!』のそろった男性でなければ、『結婚する価値はないっっ!!』と口酸っぱく言われ続けてきた。
母の意見に『完っ全に同意!』したヘレーネもまずかった。
その理想を追い求めて、ウィーン中の貴族の私邸で開かれる舞踏会には招待状がある限りすべて参加したし、結婚相手候補として貴族だけではなく、新興富裕市民層の中からも選ぶようにした。
母の遺品のカルネ・ド・バル(舞踏会の手帖)(*1)を手に取りヘレーネは物思いにふけった。
銀細工の表紙には薔薇が、裏表紙には薊とそれに巻き付いた蛇が繊細なタッチで彫刻されている。
ヘレーネが表紙を開くと最初のページには
『David von Moosham』
という父の名前が記されていた。
これは母から受け継いだときに残っていたページ。
そのあとにはヘレーネが数多くの舞踏会でウィンナ・ワルツを踊った、様々な男性たちの名前と特徴が記されていた。
一枚ずつページをめくりながら、ひとりずつ記憶を手繰り寄せた。
そのうちの十数人とは、何度かデートするぐらいの交際までには至ったが、結婚の話は出なかった。
ある軍人将校貴族は嫉妬深く、
「私の妻になったら男友達を持つのは言語道断!女友達とであっても遊びに出かけてはいけない。
観劇や行楽や舞踏会へは夫である私と同伴すること。」
と『束縛』宣言をした時点で、燃え上がりかけた恋心に冷水を浴びせられ、すっかりに冷めた気持ちになり、お別れした。
父である伯爵の政策秘書を務めるある貴族は
「政治家同士や有権者との良好な関係維持のための交際の、出費や労力はくれぐれも惜しまないように。
夫のために妻が自分の生活を犠牲にするのは当たり前。」
と『妻は夫の奴隷』宣言をしたときに、丁重にお付き合いをお断りした。
莫大な財産の一部を使い邸宅の一画に私的研究室を建設し、籠りきりで化学研究に励む伯爵次男の化学者は
「研究の合間にちゃんと家族としての務めを果たすよ。
実験室は危険な薬品や器具がたくさんあるし、僕にとっての『聖域』だから君も入ることはできないと了承してくれるね?」
と『妻は子供製造機』宣言したときに、この根暗な鼻眼鏡男と寝室だけの付き合いをするより、ひとりで暮らしたほうがよっぽどマシだと痛感して、二度と会わないと誓った。
こんな風に、ヘレーネはいつも最初は好ましく素敵だと思えた男性ですら、ひとつでも嫌なところが見えると即座に、どうしようもなく重大な欠点に思え、この先の夫婦生活を想像することさえできなくなった。
ヘレーネは自問自答した。
『もしこのまま理想の男性が現れなかったらどうなるの?
母さまが仰るには、三十歳になれば、結婚は絶望的にムリだって!!
あと数年で何もかも終わってしまう!!
もし結婚できなければ、一生ひとりぼっち??
このまま誰かを愛することも、誰かに愛されることもなく、ひとりっきりで寂しく年老いていくの?
そんなの嫌っ!
きっと女友達に馬鹿にされる!
誰にも必要とされない、行き遅れの、惨めな『オールドミス』(*2)だって!
良くて同情と憐み、悪くて嘲笑と侮蔑!!
そんなの耐えられないっ!
一刻も早く結婚しなくちゃ!
理想を追求せずに、欠点があっても妥協して!
舞踏会で次に踊った相手と結婚する?
それとも次に告白してくれた男性と?!』
焦り散らかしたヘレーネは半ばヤケクソになった。
しかし、ひとつだけ不思議なことがあった。
それは、この薔薇模様が刻まれている銀のカルネ・ド・バルにヘレーネが名前を書いた男性たちは、その直後、ことごとくヘレーネを好きになり、愛を告げてくることだった。
舞踏会で踊った相手の中で、特にヘレーネにとって好印象だった男性の名前と特徴を細かく記しているのだが、その後、少なくとも一週間以内には相手からのアプローチがあり、数度目のデートで結婚を視野に入れた交際を申し込まれるのだった。
ヘレーネは思った。
『これはもしかして魔法のカルネ・ド・バルなの?
母さまも父さまの名前を書いたから結婚できたの?』
ヘレーネは自分のことを嫋やかで妖艶な美女だとも、奔放で躍動的な舞踏家だとも、知的で教養豊かなブルー・ストッキング(*3)だとも思わなかった。
だから生来の魅力だけで男性たちを惹きつけうるとは、とても信じられなかった。
だが、本当にこれが魔法のカルネ・ド・バルだとしたら、次に名前を書く男性は慎重に選ばなければならないと心に誓った。
(その2へつづく)
(*1:舞踏会でダンスの申し込み(予約)を受けた際、相手の名前や踊る順番、曲目などを書き留めておくための手帖)
(*2:一定の年齢を過ぎても結婚していない女性を指す言葉)
(*3:教養のある知的な女性を指す英語の言葉)




