終点保留都市ーー勾留所にて
薄暗い石造りの牢。
鉄格子の向こう、揺れる蛍光灯の光が俺達を鈍く照らしている。
湿った空気。血と鉄の匂い。最悪だ。
しかも——
「……何で俺だけこっち?」
ぎし、と鎖が鳴る。
「気持ちそっちより拘束キツくない?
これ拷問の一歩手前なんだけど」
両腕を上に吊られ、ほぼ磔。
対面の牢に入れられているイエナとネリュスが、なんとも言えない顔をした。
「知らねぇよ」
「私はむしろ納得しかないけどね」
「えぇ……」
納得いかない。
理不尽だ。
すると、ネリュスが小さく息を吐いた。
「……順番に整理してようか」
「整理?」
「どうしてこうなったのか。罪状と原因」
その目は完全に“原因追及モード”だった。
「よろしくお願いします……」
「じゃあまず罪状ね」
指を折りながら、淡々と並べていく。
「私とイエナちゃんは、不法侵入。廃棄区画への無断侵入」
「まぁそれはいい」
「よくはないけどね」
ぴしゃりと返される。
「モチャルカは——無許可観測、記録行為、長期不法滞在。
それと“境界侵食適応個体”として観察対象扱い」
「……あいつ結構ヤバいな
解剖とかされてねぇだろうな」
「で、問題は君」
嫌な予感しかしない。
「誠一郎君は——」
一拍。
「危険個体の無断搬出及び首都圏への持ち込み」
「うん」
「加えて、輸送を認めている」
「……うん?」
ネリュスが真っ直ぐこちらを見る。
「つまり、テロ未遂」
「なんでさ!!」
思わず鎖を引っ張る。無駄にギチギチ鳴る。
「だって聞かれたでしょ。“お前が運んできたのか”って」
「聞かれたけど……」
「なんて答えたの?」
「……運んできたって」
沈黙。
イエナは顔を覆った。
「アウトだな」
「アウトだね」
「いや待って!? 事実じゃん!!」
「事実でも言い方ってものがあるの」
ネリュスがため息をつく。
「“勝手についてきた”ならまだ言い逃れできたのに」
「咄嗟にそんな嘘つけないよ俺……!」
「つく場面なのそこは」
ぐうの音も出ない。
しばらく沈黙が落ちて——
イエナがぽつりと呟いた。
「……で、結局さ」
「ん?」
「なんでこんな事になったんだっけな」
その一言で、空気が少しだけ緩む。
俺も、ぼんやりと天井を見上げた。
鎖が、微かに揺れる。
「……あぁ」
思い出す。
モチャルカの歪みを切除し帰路に着こうとしたあの時のことを。
視界が、夜の空に切り替わ離、風が頬を叩く。
身体が浮いている感覚。
——あの時だ。
全部、狂い始めたのは。
記憶が夜の空へと引き戻される。
あぁ……まさか、こんな日が来るとは思わなかった。
空を飛びながら、女の子を前後に抱えている状況なんて——普通なら一生縁がない筈。
これが両手に花、一挙両得、両手に梅と桜を持つってやつなのか。
……いや、違うな。
どちらかというと前門の触手、後門の獣。
そして、眼下には異形。
通りを埋め尽くす様に彷徨ってる……数も昼とは大違いだ。
瓦礫の隙間や建物の影から、湧き出るみたいに数を増やしてる。
地獄だな……。
「……空路で正解だったね」
前方から、ネリュスの声。
マリィを抱えたまま、翼をはためかせて先導している。
「夜は増えますからな」
「みたいだね……」
思わず呟く。
あの中を突っ切るのは、さすがに現実的じゃない。
——だからこそ、今こうして飛んでいるわけだけど。
「おいベタベタすんな!! 離れろっての!!
コイツはアタシの番なんだぞ!!」
「無茶言わないでくだされ〜〜
離れたら拙者、真っ逆さまですぞ〜〜」
背中と前で、騒がしい。
というか——近い。
「つまりこれは不可抗力なのです そう、致し方ない
ついでに誠一郎様に拙者の身体を堪能して頂く所存」
「やめて!! 色々と当てないで!! 集中切れるから」
ぎゅう、と腕に力が入る。
影を喰らって、現実感なんてとっくに薄れてるはずなのに——
背中に押し付けられるイエナの体温は、やけに鮮明で。
前から絡みついてくるモチャルカの触手は、嫌になるくらい生々しい。
「ッ……!」
逃げ場が、ない。
物理的にも、精神的にも。
「……ほんと、元気ねあなた達」
呆れたような声が、前から流れてくる。
視線をやると——
ネリュスに抱えられたマリィの視線が、真っ直ぐに突き刺さった。
無表情な筈なのに、その目は妙に冷たい。
……多分、睨まれてる。
「誠一郎」
短く、名前を呼ばれる。
「前、見てなさい。落ちるわよ」
「……はい」
素直に返事をする自分に、少しだけ苦笑してしまう。
しばらくしてネリュスの羽ばたきがわずかに緩み、風の音が変わった。
「……大分近づいたね」
前方。
それは夜の闇の中に、異様な存在感でそびえ立っていた。
帝都と首都を隔てる、巨大な壁。
「……でか」
思わず、声が漏れる。
近づけば近づくほど分かる。
あれはただの壁じゃない。
高いとか厚いとか、そういう次元じゃない。
継ぎ目の見えない構造。
無機質すぎる表面。
まるで“そこにあるべきもの”として、世界に貼り付けられているみたいな違和感。
「こうして見ると、やっぱデカいな」
「うん……本当に」
イエナも、珍しく素直に呟く。
その時。
「……」
前から絡みついていた触手の力が、わずかに緩んだ。
「……モチャルカ?」
呼びかけると、返事が遅れる。
「……あ、あぁ……」
さっきのの調子と違う。
「……あんなの……」
ぽつり、とどこか他人事みたいに——けど、引っかかる声音で。
「……ただの、木偶の坊でござるよ」
その瞬間、なぜか背筋に冷たいものが走った。
理由は、分からない。
けど、今の言葉は、“軽口”じゃない気がする。
「大丈夫?」
思わず呼びかける。
「——そんなことよりそろそろでござるな!!」
わざとらしい程軽い声。
だけど、ほんの一瞬だけ、触手の巻きつきが強くなったのを俺は見逃さなかった。
「……うん。」
前を見る。
壁の根本。
瓦礫と崩れた石畳の隙間にぽっかりと暗い穴が空いている。
「戻って来た。」
俺達がこの帝都に”入って来た”場所——排水路。
排水路の断面に向けてネリュスは高度を落とし、次第に風が弱まり、代わりに地面の気配が近づいてくる。
ふわりと衝撃を殺して地面に着地。
ざらりと乾いた砂を踏む音が、やけに大きく響いた。
「異形の姿は無し……」
俺の呟きにネリュスとイエナは頷き、周囲を警戒する
マリィは既に排水管の断面を撫でる様に触れて何かを確認しており、モチャルカはそんなマリィの後ろで待機していた。
「丁度ここが半狭間と現実の境目の様ね
モチャルカ タイミングはあなたに任せるわ
もし異常を感じたらすぐに——」
そうマリィが全て言い終える前にモチャルカは頭から躊躇なく突っ込む。
「な」
「え」
あまりの躊躇のなさにマリィの眠た気な目が見開かれる。
俺達はネリュスと共に半ば反射的にモチャルカの身体を境目から引っ張りだした。
「何やってんだよお前!!」
「大丈夫!? 頭消えてない?」
「頭は付いてるけど………なんか様子が……」
モチャルカの様子がおかしい
ぬるりと立ちあがったモチャルカはプルプルと身体を震わせながら息が荒げ、茹蛸の様に顔も赤くなっていた。
「……成功でござる」
「え?」
聞き返した瞬間、彼女は爆発する
「成功でござる!! 中度境界侵食症状の無害化及び半狭間区域からの帰還が可能でござる!!
誠一郎様本当に凄いですぞ!! ほんと拙者の初めてを捧げたい程に尊敬してますぞ!!愛してますぞ!!」
「ちょっと何言ってるかわからない! つまり君は?」
「外に出られますぞ!!皆様と共に」
その一言で、空気が変わった。
「……よし」
イエナもどこか嬉しそうに息を吐きながら笑った。
「じゃあさっさと抜けるぞ。こんなとこ長居したくねぇ」
「同感」
ネリュスも頷く。
マリィは何も言わないまま、ただ排水路の奥を見ていた。
「先、行くでござる」
モチャルカが、今度は迷いなく中へ滑り込む。
さっきと違って、止まらない。
「……大丈夫そうだね」
「行こう」
俺達も続く。
一歩。
境界を越えた瞬間——
「……っ」
一瞬だけ、感覚がズレた。
重力が反転したみたいな、上下が曖昧になる感覚。
皮膚の上を、何かが撫でていく。
けど、それも一瞬。
次の瞬間には——
「……普通、だな」
ただの、暗い排水路だった。
石造りの壁にぬるい水の流れる音と湿った空気。
けど。
「……空気、違うな」
イエナが鼻を鳴らす。
「血の匂いが薄い」
「それに……音も少ない」
ネリュスが周囲を見回す。
確かに。
帝都の中みたいな、あの不気味なざわつきがない。
「……戻ってきた、でござるな」
前を行くモチャルカが、ぽつりと呟く。
その声は、どこか安堵していて——
少しだけ、寂しそうにも聞こえた。
「出口は……こっち」
俺は記憶を頼りに、先導する。
曲がり角を一つ、二つ。
崩れかけた壁を抜けて——
やがて、頭上に丸い鉄板が見えてきた。
「……あった」
マンホール。
俺が最初に“落ちてきた”場所。
「外だ」
自然と、声が低くなる。
ここを開ければ——
完全に、帝都の外。
「……静かだな」
イエナが呟く。
「逆に怖いね」
ネリュスも同意する。
「開けるぞ」
誰にともなく言って、手をかける。
鉄は冷たい。
ぎ、と力を込めて——
持ち上げる。
重い音。
わずかに隙間が開いて、外の空気が流れ込んでくる。
夜の匂い。
「……よし」
そのまま、押し上げる。
ガコン、と音を立ててマンホールが外れる。
俺は、ゆっくりと顔を出して——
「——……は?」
思考が止まった。
視界いっぱいに広がるのは——
黒。
整然と並ぶ、影。
そして。
一斉に、こちらへ向けられる——
銃口。
「動くな」
低く、鋭い声。
「そのまま両手を上げろ」
理解が、追いつかない。
けど。
分かることが一つだけある。
「……囲まれてる」
完全に。
逃げ場なく。
上も、左右も。
全方位から。
「……マジかよ」
思わず、呟く。
その瞬間。
ガチャ、ガチャ、と。
安全装置の外れる音が、夜に重なった。
「繰り返す。動くな」
無機質な声。
けど、その奥にあるのは明確な殺意。
「抵抗した場合——射殺する」
背筋に、冷たいものが走る。
ゆっくりと、手を上げる。
その動きに合わせて、銃口が微調整されるのが分かった。
完全に、狙われてる。
「……誠一郎?」
下から、ネリュスの声。
「どうしたの?」
一瞬、迷って——
苦笑する。
「……大当たり」
「え?」
「出待ち、されてた」
その言葉と同時に。
「後続も出てこい」
上から、命令が落ちる。
「ゆっくりだ。一人ずつ」
逃げ道は、ない。
俺は小さく息を吐いた。
「……どうやら」
夜空を見上げる。
さっきまで見ていた地獄とは、また違う色の空。
「ただいま、ってわけにはいかなそうだな」
銃口は、微動だにしなかった。
——そして。
「……確保」
短い一言。
その瞬間。
視界が——
ぶれた。
「——ッ!?」
衝撃。
腹に何かがめり込む。
息が、抜ける。
「がっ……!」
膝が折れた。
そのまま地面に引きずり出される。
「抵抗なし。拘束に移る」
「魔力反応、異常値。優先対象、こっちだ」
「了解」
——やばい。
そう思った時には、もう遅かった。
「待っ——」
言い切る前に。
首元に、冷たい何かが押し当てられる。
次の瞬間。
視界が、暗転した。
⸻
「——で」
ネリュスの声で、意識が引き戻される。
「こうなった、と」
「いやなんか後半雑じゃなかった!?」
叫ぶと同時に鎖がガシャガシャ鳴る。
「もっとあるでしょ!? 途中!!」
「大事なとこ全部すっ飛ばしてるよね!?」
ネリュスは肩をすくめた。
「事情聴取ミスった君はテロリスト。
私達はコソ泥。——それで終わりの話じゃない?」
「終わらせないで!」
イエナがくつくつと笑う。
「まぁでもよ」
ちらり、と俺の拘束を見る。
「お前だけ厳重なのは納得だな」
「納得しないで!! 君の番のピンチだよ!?」
その時。
——コツ、コツ。
足音。
三人同時に、口を閉じた。
鉄格子の向こう。
暗がりの奥から、誰かが近づいてくる。
「……来たね」
ネリュスが小さく呟く。
俺は、息を飲んだ。
——ここからが、本番だ。




