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第三話 獣は光に支配される

色鮮やかな光が大理石の床を染めていた。


天井は見上げるほど高く、幾本もの白い柱が大聖堂を支えている。


壁一面を飾る巨大なステンドグラスには、父が読み聞かせてくれた神々の奇跡と英雄たちの伝承が描かれていた。


その荘厳な光景に、思わず息を呑む。


「ここが……箱庭なのですね。」


空に浮かぶ孤島。


暦信教の総本山。


世界中の信徒が一度は訪れることを夢見る聖地。


そして――私が司祭となるために辿り着いた場所。


聖堂の両脇には純白の鎧を纏った聖騎士達”殲聖隊”が整然と並んでいた。


誰一人として微動だにせず、まるで神殿を守護する彫像の様に。


その中央。


祭壇へ続く赤い絨毯の先に、一人の女性が腰掛けている。


ステンドグラスから差し込む陽光が、彼女を神話の一場面のように照らしていた。


純白の長い髪、純白の法衣と頭上には黄金の冠。


暦信教の頂点に立つ者。


――教皇エレノア。


なんて綺麗な人なんだろう……。


その若さで教皇の座にまで上り詰めた偉才だとベルナルド司教は教えてくれた。


世界中にその名を知らぬ者はいないと。


けれど――。


「……?」


小さな違和感。


初めて会うはずなのに……初めて見るはずなのに。


なぜかその横顔に、どこか懐かしさにも似た感覚を覚える。


まるでずっと昔から知っている誰かを見ているような――そんな不思議な感覚


教皇エレノアがゆっくりと玉座から立ち上がり、同時に自然と背筋が伸びた。


周囲の空気まで変わったような気がする。


その動き一つで、大聖堂にいた全員の意識が彼女へ向き、エレノアはただ静かに微笑みながらその瞳を私へ向ける。


「よくぞ参られました」


透き通るような声。


「勇者クリフトの娘――」


そこで一度だけ言葉が途切れた。


エレノアの視線が私を見つめ、ほんの一瞬。


本当に一瞬だけ。


その瞳が揺らいだように見えた。


懐かしむような。


確かめるような。


あるいは――安堵したような。


けれど次の瞬間には消えていた。


「……いえ」


静かに言葉を継ぐ。


「勇者セレナよ」


心臓が跳ねた。


勇者セレナ。


その呼び名には未だ慣れないけれど、私は確かに認められたのだ。


もう勇者クリフトの娘というだけの存在ではない。


私自身が勇者として。


「お会いできて光栄です。教皇エレノア様」


胸に手を当て、深く頭を下げると。


ガシャンッ――!


大聖堂の左右に並ぶ殲聖隊が一斉に剣を掲げ、重なる金属音が高い天井へ反響し、聖堂全体を震わせる。


「暦の導きがあらんことを」


唱和。


まるで歓迎の儀式。


思わず胸が熱くなる。


ここまで来られた。


本当に。


ここまで来られたのだ。


父が最後まで辿り着けなかった場所。


私がずっと目指してきた場所。


司祭への道が。


真なる勇者としての道が。


その第一歩が今まさに始まろうとしている。


エレノアは穏やかな笑みを浮かべたまま口を開く。


「本来であれば、すぐに成人の儀へ移るところですが」


柔らかな声音。


けれど。


次の言葉に、僅かな違和感を覚えた。


「その前に、一つだけ確かめておきたいことがあります」


聖堂の空気が少しだけ変わる。


張り詰めるような感覚。


聖騎士たちの表情は変わらないが、先ほどまでの歓迎の空気が静かに遠ざかっていくのを感じる。


「勇者セレナ」


エレノアがゆっくりと問いかける。


「貴女は我々暦信教が何を崇拝しているか知っていますか?」


突然の質問だった。


けれど迷う理由はない。


「もちろんです」


胸を張って答えられる。


「我々は神の定めた暦を信じています。人の生も死も、出会いも別れも、全ては暦の導きによるものです」


幼い頃から何度も聞いてきた教えだ。


間違えるはずがない。


エレノアは静かに頷く。


「その通りです」


そして。


ほんの少しだけ目を細めてわたしを真っ直ぐと見る


「では――その神とは何ですか?」


「……はい?」


思わず聞き返してしまった。


神とは神だ。


それ以外に何があるのだろう。


しかしエレノアは微笑みを崩さない。


「神は何者ですか?」


「何をもって神なのですか?」


「何故、人は神を信じるのでしょう」


まるで答えを知っている者が、確認するような問い方で戸惑いながらも答える。


「神は……神です」


あまりにも当たり前の答え。


自分でもそう思った。


だがエレノアは否定しない。


「では」


静かな声が響く。


「もし神が明日、別の姿になったとしても貴女はその神を信じられますか?」


胸の奥がざわつく。


明らかにその問いはどこか奇妙で。


まるで神が人のように移り変わると言っているようなものだ。


「神は……変わるのですか?」


思わずそう聞き返すと、エレノアは少しだけ空を見上げる。


「人は変わります。

 国も変わります。

 歴史も変わる。

 価値観も、思想も、信仰さえも」


小さく微笑む。


「ならば神だけが永遠に変わらないと、何故言い切れるのでしょう」


その言葉に私は答えられなかった。


教本にそんな記述はない。


神は永遠であり絶対だと、そう教わってきた。


なのに。


エレノアの言葉は不思議と間違っているようには聞こえなかった。


「ですが」


私はゆっくりと言葉を探す。


「たとえ姿が変わったとしても……人々を導き、見守る存在であるなら。

 それは神なのだと思います」


沈黙。


聖堂が静まり返り、エレノアはゆっくりと目を閉じる


「そうですか」


静かな声。


「ならば貴女は、神の姿ではなく――その願いを信じるのですね」


その言葉の意味はよく分からない。


けれどなぜだろう。


胸の奥に、小さな棘が刺さったような感覚だけが残る。


エレノアはゆっくりと目を開けて微笑む。


どこか寂しそうに。


「結構です」


そう告げると、背後に控えていた聖騎士へ視線を向けた。


「では始めましょう」


その声と共に。


大聖堂の奥にある巨大な扉が、重々しい音を立てながらゆっくりと開かれた。


ギギギギ……。


鈍く響く音が聖堂の静寂を揺らし、扉の先は薄暗かった。


先ほどまでの荘厳な空間とは違う。


光が届かない石造りの回廊。


その奥から、鎖を引きずる音が聞こえてくる。


――ジャラリ。


思わず眉をひそめた。


何だろう。


成人の儀とはこんな場所で行うものなのだろうか。


「どうぞ」


エレノアが静かに促す。


私は一礼し、その回廊へ足を踏み入れた。


聖騎士たちが後ろに続く。


扉が閉まる音が響いた瞬間、外の光は完全に消えた。


代わりに壁に灯された魔導灯が青白い光を放っていて、少し肌寒い。


コツコツと靴の音だけが響くほど静かで、そんな中、しばらく歩くとやがて一つの広間へ辿り着く。


そこには。


一人の男が膝をついていた。


両手両足が拘束され、首には封印の首輪を付けられている。


髪は乱れ、頬はこけた痩せ細った中年の男。


だがその瞳だけは不思議なほど真っ直ぐ。


「……彼は……なぜこんな……」


エレノアは男を見下ろして答える


「罪人だからです」


男は何も言わない。


ただ静かに前を見ていた。


まるで全てを受け入れているように。


「この者は暦に背いた者」


エレノアの声が響く。


「神の定めた運命を否定し、多くの人々を惑わせた。

 本来であれば既に浄化されているはずの存在です」


男は俯いたまま動かない。


弁明もしない。


命乞いもしない。


その姿が逆に胸をざわつかせた。


「勇者セレナ」


エレノアが私を見る。


「貴女に問います」


静かな声。


けれど先ほどまでとは違う。


試されているというそんな感覚が伝わった


「もし暦がこの者の死を定めていたとしたら、貴女はそれを受け入れられますか?」


男を見ると男もこちらを見ていた。


怯えも怒りもなく、ただ――諦めだけがあった。


「……私には分かりません」


正直に答えた。


エレノアは何も言わない。


「この人が何をしたのかも本当に罪人なのかも知りません。

 けれど――」


そこで言葉を止める。


聖騎士たちの視線が集まり、息苦しいほどの沈黙が場を包み込む。


それでも。

 

それでも私は続けた。


「かの者に赦しを与える者こそが神なのだと思います。」


広間が静まり返る。


エレノアの表情は変わらないが、ほんの僅かに。


その瞳が悲しそうに揺れた気がした。


「そうですか」


静かな声。


まるで最初から知っていた答えを聞いたような。


そんな響きだった。


そして、エレノアは隣に控えていた聖騎士へ視線を向ける。


「剣を」


恭しく差し出された一本の剣。


純白の刀身を持つ美しいそれは明らかに儀礼用ではない。


殺傷能力のある物。


それが私の前へ差し出され、エレノアは告げる。


「勇者セレナ。暦は時に残酷です。

 ですが人は暦を受け入れなければならない……故にこの者を浄化なさい

 その浄化を以て成人の儀とします。」


その瞬間、心臓が嫌な音を立てた。


「エレノア様……仰っている意味が分かりません」


喉が乾く。


それでも声を絞り出した。


「浄化とは……何ですか?

 なぜ、その剣を私に……」


分かっていた。


分からないはずがなかった。


この状況で。


この話の流れで。


私に求められていることなど、一つしかない。


だからこそ聞き返した。


浄化とは何か。


本当にそれが神の望みなのか。


そう問い掛けることで。


少しでも。


ほんの少しでも。


この人が殺されるまでの時間を引き延ばしたかった。


エレノアは答えない。


代わりに、静かに顎を引く。


それだけで十分だった。


聖騎士の一人が一歩前へ出る。


「勇者セレナ」


冷たい声。


「浄化とは救済です。

 罪に濁った魂を解き放ち、神の御許へ還すこと

 司教とは……司祭とはその役目を果たさねばなりません」


私は手の中の剣を見る。


白い刀身。


重い。


とても重かった。


男を見る。


男は相変わらず抵抗せず、逃げようともしない。


ただ静かにこちらを見ている。


まるで。


私の答えを待っているように。


「私は……」


手が震える。


違う。


これは成人の儀だ。


司祭になるための試練だ。


きっと皆そうやって乗り越えてきたはず。


なのに。どうしても剣を握る指に力が入らない。


「……っ」


意を決する。


両手で剣を握って男の前へ歩く。


足音がやけに大きく聞こえた。


男が静かに目を閉じた。


受け入れている。


最初から。


全て。


「ごめんなさい……」


誰に向けた言葉か自分でも分からなかった。


私は剣を振り上げる。


そして――


振り下ろした。


だが。


止まった。


男の首まであと数センチ。


剣先が震える。


どうしても。


どうしても振り切れない。


振り切れるはずがない。


「……できません」


声が震える。


「私にはできません」


剣が手から零れ落ちて甲高い音が広間に響いた。


カラン――


沈黙。


誰も何も言わない。


やがて、エレノアが小さく息を吐いた。


「そうですか。

 ならば仕方ありませんね」


また、広間の空気が変わり、エレノアは男へ視線を向ける。


そして、私の予想だにしていなかった名を呼んだ。


「マクスウェル司教……お願いします。」


「え」


思わず声が漏れた。


今。


なんと呼んだのだろう。


マクスウェル司教――?


その名前は知っている。


知らないはずがない。


かつて殲聖隊を率いていたという司教で確か、教団史にも名を残していた。


そして一年前、誠一郎さん達と対立し、その後消息不明となった男。


死亡したとも、逃亡したとも、様々な噂が流れていた。


けど、なぜ今になってーー


「なっ……」


「マクスウェル司教だと……!?」


「馬鹿な……!」


「あり得ん……!」


「確かに燈守に捕縛されたはずでは……!」


先程まで彫像のようだった聖騎士達も、露骨に動揺している。


殲聖隊の隊列が僅かに乱れ、それだけで異常だった。


それほどの名前なのだ。


やがて。


広間のさらに奥。


暗い回廊の向こうから足音が響く。


コツ。


コツ。


コツ。


ゆっくりとまるで散歩でもしているかのような気軽さで一人の男が姿を現した。


黒い司祭服に痩せた身体に鋭い眼光。


その姿を見た瞬間、殲聖隊の何人かが息を呑む。


「司教殿……」


誰かが呟いた。


懐かしむように。


信じられないものを見るように。


男は周囲を見渡し、肩を竦める。


「なんですか? 亡霊でも見た様な顔をして」


ざわめきが広がる。


本物だ。


誰もがそう理解していた。


けど、その空気をさらに凍り付かせる存在がいた。


マクスウェルの後ろ。


暗闇の中にもう一つ影がある。


私は何気なく視線を向けて――


そして固まった。


黒い外套と見覚えのある背丈とシルエット。見覚えのある顔。


「…………」


呼吸が止まる。


そんな。


嘘。


だって。


その人は。


「せ……いろう……さん……?」


あまりの衝撃に声が震える。


誠一郎さんはただ立っていた。


無表情に虚ろな瞳をしてまるで魂が抜け落ちたかのように。


前みたいに困ったように笑わず、冗談も言わず、私を見てもいない。


ただ、そこにいる。


それだけ。


「な、なんで……」


理解が追い付かない。


誠一郎さんはあの日、ラグドさん達と一緒に王都を飛び出して……どうして。


なんで箱庭に――。

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