W-1259 MAIN CHARACTER : LOST
目を覚ますと、柔らかなベッドと温かな布団、そして見慣れない天井が視界に広がっていた。
どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
食事を終え、片付けを手伝って——その後、少しソファに腰を下ろした所までは覚えている。
けれど、その先の記憶が無い。
……まぁ、無理もないか。
昨日は色々ありすぎた。
留置場から始まって、ゲルヘナさんによる判定、マクスウェルや教団の話、そして自分自身の事。
心も身体も限界だったのだろう。
右腕の修復にも休息は必要だった筈だし。
布団の中でゆっくり息を吐きながら窓へ視線を向ける。
外はまだ薄暗い。
夜明け前——あと少しで朝が来る、そんな時間帯だった。
布団から身を起こす。
右腕を軽く動かしてみると、まだ鈍い痛みは残っているものの、昨日よりはずっとマシだった。
「……大丈夫そう」
包帯の巻かれた腕を見下ろしながら呟く。
部屋は静かで誰かが起きている気配も無い。
リビングの方から物音も聞こえないし、まだ皆眠っているのだろう。
起こさないようにゆっくりとベッドを降りる。
その時、ふと視界の端に本棚が映った。
壁一面を埋めるほどではないが、それなりの数の本が整然と並べられている。
暇潰しにでもなるかなと思いながら近付いたその時。
「……あ」
一冊の本へ視線が止まる。
古びた医学書に擦り切れた背表紙、何度も開かれた形跡のある紙端。
見覚えがあった。
いや——正確には、自分の記憶ではないが、脳裏へ自然と光景が浮かぶ。
マコトの机へ向かう小さな背中とその隣で微笑みながら本を差し出すツユハ。
『さて、病理学の時間やで』
『お願いします ツユちゃん先生』
そんな声まで聞こえた気がした。
誠一郎は思わず本棚を見つめ、そしてゆっくり周囲を見回す。
本棚。
机。
壁際の棚。
整理された資料。
生活感の残る配置。
「……あー」
何となく理解してしまった。
ここは空き部屋でなく、マコトの部屋だ。
視線が自然と机へ向き、そこには写真立てが置かれていた。
少し色褪せた一枚の写真が。
楽器を抱えたマコトと肩を組むダン。
ネリュスに抱きつくモチャルカ。
そこに種族の違いは無く、ごく普通の学生同士の写真。
「……」
誠一郎はしばらく何も言わず、その写真を眺めた。
胸の奥に僅かな懐かしさだけが湧く。
知っているようで知らないのに知らないようで知っている。
そんな奇妙な距離感だけど、一つだけははっきりしていた。
この写真の中にいるのはマコトだ。
ダンの弟だったのも、ネリュスの友達だったのも、モチャルカの先輩だったのも。
全部、マコトだ。
自分が続きを名乗れるものなんてなにもない。
「……辛いな」
ぽつりと呟く。
思い出は知っている。
けれど、それを自分の思い出として語る事は出来ない。
それが何より苦しかった。
もしここにいるのが自分じゃなく、マコトだったなら。
ツユハさんも。
団十郎さんも。
ヨスケも。
ネリュスもダンもモチャルカだって。
もっと違う未来があったのだろう。
そして——ゲルヘナさんは、きっと誰よりも。
「……いや」
不意に、夢の中で聞いた声が脳裏を過った。
『過去のない君だから進める。歪な君だから──』
『君が守るべきは、“今”と“未来”だけだ。……忘れるな』
誠一郎は小さく首を振る。
「良くないな 切り替えよう。」
小さく頬を叩き、部屋を後にした。
流石にまだ少し早い。
二度寝する気分でもないし、何か飲もうと思いキッチンへと静かな廊下を歩く。
昨夜は賑やかだったリビングも今は灯りが落ちていて、窓の向こうに広がる夜明け前の景色だけが薄青く室内を照らしていた。
冷蔵庫を開け、水差しを取り出し、コップへ注ごうとしたその時。
カラン。
微かな音が聞こえた。
金属同士が触れるような音に視線を向ける。
開け放たれたベランダの窓の薄いカーテンが風に揺れている。
「……?」
なんとなく気になって近付く。
そして。
「お」
ベランダの手摺へ背中を預けながら缶ビールを片手に夜明けを眺めるゲルヘナの姿を見つけた。
彼女は振り返る事なく口を開く。
「寝落ちしただけあって早いやん」
「おはようございます」
「おはようさん」
夜明け前の冷たい風が吹き抜ける。
誠一郎は手に持ったコップの水を一口飲みながら、ゲルヘナの横へ並んだ。
缶ビール片手に朝焼けを眺める姿はすごく絵になると思ったけれど普段の彼女とはどこか違う。
「……」
豪快で、強引で、掴み所の無い昨日とは違い、夜明け前の空を眺める横顔は妙に静かで、少しだけ疲れているようにも見えた。
「なんか……その……大丈夫ですか?」
彼女は僅かに残っていたビールを飲み干して、その空き缶を足元に置いて答える。
「いつもの事や。
アンタこそ腕の具合はどうなん?」
「完全に繋がりましたよ。 異常なしです」
誠一郎はあえて明るく右手を閉じ開いて返したが
「ほな安心やわ」
また、会話が止まる。
やはり口数が少ない。
部屋に戻るに戻れず、なにを話せば良いか考え始めた頃にゲルヘナから口を開いた。
「ぬらり村。ええとこやったやろ?」
「は、はい! 平和で自然も多くて皆んな優しくって。
よそ者の俺にも凄く良くしてくれて……なのに俺、なにも言えずに出てきちゃいました」
「あーそれは違うで」
「え?」
誠一郎が首を傾げると、ゲルヘナはビールをもう一缶開けながら小さく笑った。
「よそ者に優しくって部分が違う
自覚してない分、余計にタチが悪いな」
「タチ悪いって?」
溜息を一つゲルヘナはついてから一言に言い放つ
「この妖怪たらし」
「え」
「妖怪いうんは基本的に排他的でな。
身内には優しいけど外には警戒するもんや 例え魔物、魔族相手でもな」
「……そんな事なかったけどなぁ。」
「今こうして村出身者が言うてるんやから間違いない」
どうやら本気で言っているらしい。
「なんかすっごく不名誉なんですけど」
「褒めとるんやで?」
ゲルヘナはそう言って夜明け前の空を見上げると薄青かった空は少しずつ白み始めていた。
「私も絆されてしもたしなぁ」
「え」
思わず聞き返すとゲルヘナは視線を空へ向けたまま続けた。
「碌でも無い奴なら直ぐに首落としたろう思って機を伺ってたんやけどな」
「えぇ……初耳だし怖い。
けど一応、手首は落とされましたよ?」
「ははっ上手いこと言うやん」
「笑い事じゃ無いですって」
くくっと笑い、視線を下に向ける
「……MAO様の演算と監視を超えて息子の友を過去から連れ戻した。
私でさえ出来んかった事をたった一日自由を与えたら出来てしまうなんて
認めざるを得んわな……」
しばらく二人で朝焼けを眺める。
やがて。
「なぁ誠一郎」
「はい?」
「これはただの独り言や」
ゲルヘナは朝焼けから視線を外さない。
昇り始めた太陽が横顔を淡く照らしている。
「私はな」
風が吹く。
長い髪が揺れた。
「帰ってきたんがアンタで良かったと思っとる」
「……」
誠一郎は言葉を失う。
ゲルヘナは続けない。
それだけ言うと缶を傾け、空になっている事に気付いて小さく笑った。
「まぁ…独り言や」
そう言って踵を返そうとした。
けれど。
誠一郎は思わず呼び止めていた。
「火那さん」
ゲルヘナの肩が僅かに止まる。
振り返らない。
振り返らないまま。
ただ待っている。
誠一郎は少しだけ迷って。
それから。
小さく笑った。
「ただいま」
朝日が昇る。
ゲルヘナはしばらく何も言わなかった。
そして。
「……おかえり」
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世界識別番号
W-1259
観測継続中……
主要観測対象:
誠一郎
観測記録照合……
照合完了
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対象内に存在していた
『マコト』関連物語群
終結確認
未練:解消
執着:解消
帰結:保留
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物語進行性再測定
測定中……
測定中……
結果:
基準値未満
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観測優先度変更
主要観測対象:
誠一郎
↓
観測対象
誠一郎
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主人公補正解除
因果収束率低下
視線誘導権限解除
観測中心性喪失
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W-1259
観測継続
次期主要観測対象選定開始
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