25話:横浜の洋館巡り1
それなら、散歩の時に使う、折りたたみ自転車を買ってこようと言った。了解と言い、直ぐに近くの自転車に注文すると、しばらくして届けに来てくれ、代金を支払った。翌、4月19日、2人で最初に、山下公園に行き、広い庭園のチューリップを眺めた。
次に、港の見える丘公園に向かったが、山下公園を過ぎて、元町方面に向かい、左折して谷戸坂にさしかかると急坂で、途中で、自転車を降りて、坂の頂上の港の見える丘公園前についた。
その後、多くの種類の赤、黄色、ピンク、紫、白のチューリップを立ち止まりながらじっくりと見て回った。外人墓地へ入ろうかというと、薫子が、墓地は怖いからと言うのでやめ、昔、建てられた素敵な外人住宅を巡ることにした。
山手234番館、エリスマン邸、ベーリックホールを見て回った。山手234番館は、アパートとして使われていたようだった。エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅。
そのエリスマン邸は、「近代建築の父」といわれるチェコ人の建築家アントニン・レーモンドにより設計された。1924年「大正14」年から1925年「大正15年」にかけて山手町127番地に建てられた白亜の洋館。
創建の当時は木造2階建て、和館付きで建築面積は約81坪「270平米」。屋根はスレート葺、階上は下見板張り、階下は竪羽目張りの白亜の洋館。煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった洋風住宅の意匠と、軒の水平線を強調した木造モダニズム的要素を持っていた。
設計者レーモンドの師匠で、日本車遺書の洋風建築である帝国ホテルを設計したフランク・ロイドライトの影響も見られる。1982年「昭和57」年にマンション建築のため解体されたが、1990年「平成2年」、元町公園内の現在地「旧山手居留地81番地)に再現された。
1階には暖炉のある応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームなどがあり、簡潔なデザインを再現しています。椅子やテーブルなどの家具は、レーモンドが設計したものです。かつて3つの寝室があった2階は、写真や図面で山手の洋館に関する資料を展示していた。
昔の厨房部分は、喫茶室として、地下ホールは貸し出しスペースとして、使われる。また、昔の厨房部分は、喫茶コーナーとして誰でも入れ人気がある。ベーリックホールは、イギリス人貿易商バートラム・ロバート・ベリックの邸宅として、1930年に建設された。
設計はアメリカ出身の建築家J・H・モーガンで、大正9年、東京丸ビル建設のため、フラー社の設計技師長として来日。後に独立して事務所を開き、旧根岸競馬場1等馬見所や山手111番館と並び、彼の住宅建築の代表作の一つ。
ベーリックの没後はカトリック・マリア会に寄贈された。そして、カトリック・マリア会の運営する、ここの近所にあったセント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用された。
「ベーリック・ホール」の名称は、マリア会の命名によるものだ。2000年にセント・ジョセフ・インターナショナル・スクールが閉校となった後は、横浜市が、敷地を取得し建物も市に寄贈された。
元町公園の一部として整備が行われ、2002年から一般公開された。その道をさらに進むと、フェリス女学院という、古くからの名門女子校の校舎が建っていた。
フェリス女学院は、1870年「明治3年」、アメリカ改革派教会の宣教師メアリー・E・キダーが、ヘボン施療所で、女子を対象に英語の授業を開始した。これが女子校として最も古い歴史を持つフェリス女学院の発祥とされるのちに男子部は明治学院になる。
1875年「明治8年」、アメリカ改革派教会外国伝道局総主事であったフェリス父子の支援によって、横浜・山手178番に校舎・寄宿舎が落成、「フェリス・セミナリー」と名づけられ、フェリス女学院中学校・高等学校の基となった。
その後1947年「昭和22年」に「旧制」専門学校を設置し、これを1950年「昭和25年」にフェリス女学院短期大学に改組、1965年「昭和40年」に4年制の女子大学が誕生した。




