第1話 人魚の戦士・1
波が、大きくうねっていた。その中を一隻の船が航行している。漁船だった。船腹には「水龍丸」の文字がある。
「船長!」
漁船の舵輪を掴みながら、船員のひとりが叫んだ。
「だ、駄目です! このままだと船が沈みます!」
波しぶきが大きく飛び散って、そして船に覆いかぶさった。
「問題ない!」
ガタイのいい男の船長はそう言った。
「このくらいの嵐……俺は何度も乗り越えてきたんだ。ガタガタ抜かすな! 今回だって……俺は!」
その時、前方の海が大きく盛り上がった。
「な、なんですか船長! あれは!」
海が左右に割れ、そしてそこから巨大な塔が姿を現す。
「塔……だ」
船長は言った。
「それはわかってますよ! でもそんなものがどうして!」
塔はゆっくりと船に向かって倒れてくる。
「船長! 回避しましょう! 船が押しつぶされます!」
「あ、あぁ……わかってる。回避……回避だ!」
船長は叫んだ。
船員は舵輪を回す。塔はゆっくりとこちら側に倒れてきた。
船がさっきまでいた場所に、塔は倒れこみ、白いしぶきが上がる。
「せ、船長……」
船員は言った。
塔は海へと沈んでいく。
「なんだったんでしょうか……今のは……」
「俺に訊くな。俺はこの海で何年も漁師を続けてきたが……今まであんなものを一度たりとも見たことがなかった……」
「命拾い、しましたね……」
「あ、あぁ……」
船長は頷いた。
次の瞬間、今まで消えそうだった船の照明が落ちた。
「な、なんだ……?」
船長が周囲を見回す。その瞬間、波間をふたつに裂き、巨大な幽霊船のような帆船が出現した。
「わ、わぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
船長と船員はお互いに抱き合った。
帆船は漁船に覆いかぶさってきた。そして漁船を、小さな、まるでおもちゃの船のようにして押しつぶす。
*
満月が照らす月の夜だった。青い水着を着て、少女は岬から海に飛び込んだ。黒髪ポニーテールの少女は軽やかな、まるで人魚のような動きで月光が差し込む夜の海を泳ぐ。
少女は喜びを感じていた。少女は海が好きだった。そして海と一体となれるこの泳いでいる時間が、何よりも楽しかった。
やがて少女は海から上がり、浜辺へと歩いていく。
そんな少女にタオルを差し出す少年の姿があった。制服のワイシャツとズボンという出で立ちの、少し涼やかな目元をした少年だった。
「お疲れ様」
と少年は少女にタオルと水筒を差し出す。
「いつもありがとうね、航太くん」
少女は言って、水筒を受け取り、それからタオルで髪の毛についた海水を拭いた。
「いいんだよ、僕は泳いでるみなもを見られて、満足だしさ」
と少年、岬航太は答える。
「もう……」
少女、星乃みなもは口を尖らせた。どうしてそんなことを平気で言ってしまえるのだろうか。こっちは心臓がバクバクだっていうのに……。
「ん? どうしたの? 顔が赤いよ? あ、もしかして風邪? 今日は早いうちに家に帰った方が……」
航太は言う。
「だからそんなんじゃないって」
みなもは返す。
「でもいい、私、もう今日は着替えてひとりで帰るから」
「えっ、で、でも夜は危ないよ! ほら、不審者とか……」
「大丈夫だから!」
そしてみなもは口を尖らせたままその場を去り、浜辺に立つ小屋へと向かう。
翌日、みなもは星ヶ丘中学校に登校すると、教室で、教科書を片手ににらめっこしていた。
「うーん、やっぱりわからないんだけど……どうして?」
みなもは首を傾げる。
「あ、みなもちゃん、お勉強?」
と、ショートボブの髪型をした少女が話しかけてきた。
「渚ちゃん」
みなもは顔をあげる。
「あぁ……この問題、難しいよね……。でも、ここの方程式はね……」
とショートボブの少女、蒼井渚は話し始める。
「あー、もう!」
みなもは教科書を閉じた。
「難しい話をしないで!」
「難しい話って?」
「だーかーら、勉強のこととか、勉強のこととか、勉強のこととか……航太くんのこととか……」
そこで、教室の隅で女子生徒たちが話している声が渚の耳に入る。
「なんか昨日の夜、星乃さんってば、岬くんと喧嘩をしたんだって」
「星乃さん。今の話、本当? まーた航太くんと喧嘩したの?」
渚は言う。
「だ、だってぇ」
とみなもは机の上に突っ伏す。
「航太くん、確かに優しいよ。優しいのはわかるけど、いつもひと言余計なんだもん。ほんっと、どうして私……いつもあんな人のことを頼っちゃうのかなぁ」
「ね、仲直りしに行こ、きっと放課後は理科室にいるからさ。いつも、ね。私、ふたりの仲を取り持ってあげるからさ」
渚は両手をぎゅっと握りしめ、ファイトのポーズをとった。
「わ、わかったよ……わかったけど、渚の方は……部活は?」
「いいんだって、合唱部は私ひとりだけしかいないから、星ヶ丘合唱団のみんなが忙しい日は暇だからさ」
渚は言った。
「でも渚、指揮者でしょ?」
「指揮の練習は家でもできるからいいの! それよりも今は、友達の仲を取り持ってあげるのが先決でしょ!」
渚はみなもに顔を近づけて言った。
「近い近い近い、わかったから……さぁ」
そして放課後、肩を落としたみなもは渚に手を引かれて理科室へと向かっていた。
「ほら、そんな軟体動物みたいな体勢をしない。私たちは脊椎動物なんだからもっとシャキッとしないと」
渚はそう言った。
「軟体動物って……」
みなもは理科室の前で立ち止まった。
その時、理科室の扉が勢いよく開かれる。
「でも、軟体動物って可愛いよね! ほら、タコとかイカとか、あの背骨のない感じがさぁ!」
目を輝かせて出てきたのは航太だった。
「私、帰る」
みなもは航太に背を向けてその場を去ろうとする。そんなみなもの背中を渚が捕まえた。
「って、帰ろうとしなーい! ほら、航太くん、昨日は悪かったって謝って」
「え、僕……なんか悪いことしたっけ?」
「はぁ……」
渚はひとりため息をついた。
数分後、三人は理科室の中で椅子を向かい合わせて座る。




