向かう場所
しばらくして2人は歩き出した
そして、二人が辿り着いた頃には空の紺は少しずつ色を変え始めていた。
見慣れた家は以前と何も変わらない姿でそこに建っている
何度も帰ってきた場所。何度も皆で笑い合った場所…夜刀神家の家。
その玄関の前で紗夜と添霧は足を止めた
添霧は恐る恐るドアノブへ手を伸ばし回すと、鍵は掛かっていなかった
その事実に胸が僅かに高鳴る
もしかしたら……本当に僅かな可能性かもしれないが、誰かが帰ってきているかもしれない
そんな願いを抱きながら扉を開いた
しかし、家の中にあったのは静寂だけだった
誰の声も足音も無く灯りも点いていない。そこにあるのは見慣れた家具と、誰もいない空間だけだった
添霧は言葉を失う。紗夜も玄関から中を見つめたまま動かなかった
静か、あまりにも静かだった。人がいないというだけでここまで違う場所に見えるのかと思うほどに
紗夜「………みんなで帰るために……戦ってたのに」
添霧「紗夜……」
紗夜「……私、守られてばっか」
添霧「そ、それは違_」
紗夜「違くない。……みんな、」
そこで言葉が途切れる。静かな家の中へ沈黙が落ちた。
添霧はそんな顔をするなと言いたかったが自分も同じだったから強く言うことができない
それでも、何とか顔を上げて
添霧「…でも、きっと帰ってくるよ!絶対!」
信じることをやめてしまったら本当に全てが終わってしまう気がしたから…言わずにはいられなかった
紗夜はしばらく黙っていたが、やがて静かに靴を脱ぎ家へ上がる。添霧も慌てて後を追った
紗夜は手に持っていた荷物をテーブルへ置く。公園から持ち帰った上着、弁当箱、レジャーシートを丁寧に並べると、それ以上何もせず再び玄関へ向かった
添霧「……ど、どこいくの?」
紗夜は靴を履きながら数秒だけ沈黙し、小さく答えた
紗夜「……………駅。」
その一言だけで添霧は紗夜が何を考えているのか何となく理解してしまったから何も聞かなかった。
ただ急いで靴を履く紗夜の後を追う
そして静かな家に再び沈黙が戻る。テーブルの上には持ち主達が帰ってくるのを待ち続けるように弁当と上着が置かれたまま残されていた
夜の道は静かすぎるほど静かだった。街灯の下を紗夜と添霧は並んで歩く
会話はほとんどないまま1つの足音だけが規則正しく響く
添霧が何か言いかけてはやめ、紗夜も口を開きかけては閉じる。言葉にしてしまえば何かが壊れてしまうと二人とも分かっていた
深夜、終電まで残された時間はひとつだけ
それでも駅へ向かう道だけは不思議なほど迷わなかった
紗夜「……覚えてる」
ぽつりと零された言葉に添霧は小さく頷く
添霧「……うん」
それだけで通じた。最初にここへ来た時は不安で余裕もなく、ただの知らない街だったはずなのに今は身体が勝手に覚えている
曲がり角も踏切の音も少し古めな宿も遠めな記憶なのに、昨日のことのように鮮明だった
添霧は少し間を置いてから口を開く
添霧「…あの世界さ、夢だったって言われても…無理だよね」
紗夜「うん。あんなに痛かったし」
添霧「それ、理由として強すぎない?」
紗夜「事実だから」
それ以上は続かない。やがて駅が見えてくると終電間際の眠たげな明かりだけで世界が息を潜めているようだった
ホームへ降りると冷たい風が吹き抜ける。添霧は線路の向こうを見つめながら静かに言った
添霧「……僕さ。また、いなくなるかもって思った」
紗夜「…今は?」
添霧「大丈夫!消えたとしてももういるし!」
紗夜「(もう?)…ほんと?」
添霧「きっと!」
紗夜「?……」
そんなことを話しているうちに遠くから電車の接近音が響く。二人は並んで白線の内側へ立った
何も失っていないわけでも解決したわけでもない。それでもこの帰り道を一緒に歩いているという事実だけは確かだった
やってきた電車の車内には誰も居らず、吊り革が走行の揺れに合わせて小さく軋む音だけが響くだけで広告もアナウンスもない
まるで最初から二人のためだけに用意された電車のようだった。紗夜と添霧は並んで座る
会話はないが、沈黙はもう重くない
電車はゆっくりと加速してやがてトンネルへ入る。窓の外は闇に沈み反射した灯りだけがガラスへ映り込む
添霧がその暗闇を見つめていると、トンネルを抜けた瞬間来た時同様に外の景色が歪んだ
線路も街も空も水面へ映したように揺らぎ、色が溶け合って形の境界が曖昧になっていく
しかし不思議と以前の恐怖はなかった。むしろ静かで澄んでいて、どこか懐かしい
紗夜はその景色を見つめながら呟く
紗夜「…綺麗」
添霧「……うん」
歪んだ光の中でも二人の影だけは確かにそこにあった
そして、しばらくすると景色は何事もなかったように元へ戻る。普通の街、普通の夜、何も起きていないような現実
添霧「今回はさ、戻れたね」
紗夜「…うん」
それ以上の言葉は必要なかった。電車は次の駅へ向かい、静かに前へ進み続ける
いつの間にか紗夜は目を閉じていた
一定の揺れは子守歌のように優しく、夢とも記憶とも分からない光景が浮かび上がる
花の咲く墓地で恋冬と碧春が笑って手を振っている
その少し前では紳漓が大きな声で何かを話し、紫暖は困ったように微笑んで朧偈が飛び跳ねているのをみて昴琉が呆れていた
誰も泣いていないし誰も欠けていない
ただ、そうだったらよかった世界のように穏やかな光景だった
紗夜の眉がほんの少しだけ緩む。添霧はその様子を見ていたが今だけは眠っていていいと思ったからか起こそうとはしなかった
やがて電車は減速し、低い電子音が車内へ響くと紗夜は自然と目を開いた
紗夜「……着いた?」
添霧「うん、さなの街」
紗夜「…紗夜」
添霧「えへへ」
窓の外には見慣れた駅のホームが広がっている。現実の気配も灯りもちゃんと現実の色をしていた
二人は立ち上がり並んで電車を降りる。ドアが閉まると電車は何事もなかったように走り去っていった
振り返ってももうそこには何も残っていない
紗夜も添霧も同じ方向を見る
言葉は交わさないけれど二人分の足音が同じ速さで地面を踏みしめていた
こうして幽間世界から戻った二人は再びここから歩き出す
電車を降りた二人はホームを進み、改札を抜けて駅の外へ出る。冷たい風が頬を撫でた
見慣れた街並み、何度も歩いた道、何度も見上げた空
何も変わっていないはずなのにどこか遠い場所へ帰ってきたような感覚が抜けない
紗夜「……帰ってきた」
添霧「ただいま、だね!」
本当に全部終わったのならもっと素直に喜べたはずだったからか、その声にはどこか力が足りない
紗夜が返事をせずそのまま歩き始めると添霧は慌てて後を追った
添霧「え!家じゃないの?」
紗夜「先に行く場所がある」
返答を聞くと、聞くまでもなく分かっていたからか添霧はそれ以上聞かなかった
二人は住宅街を抜け人通りの少ない道へ入っていく。やがて周囲には静かな木々が増えて風に揺れる枝葉の音だけが響き始める
向かう先はきっと墓地だった
添霧は足を止めることなく迷わない紗夜の後ろをついていく




