帰還の先
柔らかな風と草の匂い、どこか遠くでは鳥の鳴き声が聞こえている。耳を裂くような轟音も世界を揺らしていた鼓動ももう存在しない
紗夜がゆっくりと目を開くと最初に映ったのは青空だった。
どこまでも広がる穏やかなその静けさはほんの少し前まで死と隣り合わせの場所にいたことが嘘のように思えるほどだった。
隣では添霧も身を起こしていたが何も言葉を発さないまま周囲を見回しやがて理解する
そこはあの世界へ足を踏み入れる前にいた公園だった
小さな芝生広場には敷かれたままのレジャーシートがあり、食べかけだった弁当も置きっぱなしになっていた上着も時間だけが止まっていたかのように残っている
添霧「……戻って、来ちゃったね」
その言葉に喜びや安心はなかった。ようやく帰ってきたはずなのに胸の奥には重たいものが沈んでいる
紗夜は何も答えないでその場に座り込んだまま芝生を見つめていた。ゆっくりと伸ばした指先が地面へ触れ柔らかな草を掴む。
そしてそのまま、爪が食い込むほど強く握り締めた
紗夜「………」
添霧は何も言えるはずがなかった。ここまで紗夜が何を思いながら戦ってきたのか、何のために走り続けてきたのか、誰を助けようとしていたのかを誰よりも知っている
だからこそ紗夜が再び口を開いた時も添霧はただ静かに耳を傾けていた
紗夜「……納得してない」
怒鳴った声でも泣いているわけでもないが、その短い一言には言葉にできないほど多くの感情が込められていた
紗夜の手にさらに力が入り握り締められた芝生がくしゃりと潰れた
紗夜「助けるために行った。連れて帰るために行った」
声は震えていなかったが静かすぎるその声音がかえって胸を締め付ける
紗夜「……なのに」
そこまで言ったところで視線が落ちる。握り締めた芝生だけを見つめたまま、それ以上続けることができなかった
添霧も同じだった。終わった、確かに終わり世界は救われ、花も消えたけれど誰もいない
添霧は拳を握り締め何か言葉を探そうとした。励ましでも希望でも何でもいいから口にしたかった。
…しかし結局何一つ見つからなかった
公園はあまりにも穏やかであまりにも静かだった。その静けさが失ったものの大きさを嫌というほど突き付けてくる
紗夜が俯いたまま握り締めたその手の中で、行き場を失った想いだけが残り続けているかのように小さく震えていた
公園は何も変わっていなかった。鳥の鳴き声が聞こえ、遠くでは子供達の笑い声さえ響いている
穏やかで平和でどこにでもある日常の風景。それなのに紗夜と添霧だけがその景色から取り残されているようだった
添霧「……さ、さな」
思わず呼びかけたその瞬間静かな声が返ってくる
紗夜「…………紗夜」
怒っているわけでも責めているわけでもないただの訂正だったけれど、添霧はびくりと肩を震わせる
添霧「っあ、えっと、あの……」
頭の中が真っ白になり言葉が続かなかった。何を言おうとしていたのかすら分からなくなる
紗夜は俯いたまま添霧も結局何も言えず再び沈黙が落ちる
戦っている時ならいくらでも声が出た。叫ぶことも走ることもできた。考えることもできた…けれど今は違う
全てが終わってしまったから、助けられなかったという結果だけがどうしても消えずに残っている
添霧は膝を抱え込み芝生へ視線を落とした。あの世界で過ごした時間が脳裏を過る。全てが今も鮮明なまま心に焼き付いていた
添霧「……」
二人のこころには大きな空白があった。何をしてもきっと埋まらない。そもそも埋まるものなのかさえ分からない
ただ、今はまだ受け入れられないという一つだけ確かなことがあった
風が吹いてレジャーシートの端が小さく揺れた。食べかけの弁当も置き去りにされた上着もあの日の続きを待ち続けているかのようにそのまま残っている
てかけれど、その続きを作るはずだった人達はもういない
公園だけがそんな二人を置き去りにするように、何事もなかったかのような穏やかな時間を流し続けていた




