「ありがとう」
紗夜の刃が最後の拘束を断ち切った瞬間、支えを失った根が一斉に崩れ始めた
白い根も黒い根も裂け、長い年月をかけて恋冬と虚を縛り続けてきた檻は今や音を立てながら崩壊していく
しかし同時に拘束を断ち切るために踏み込んでいた紗夜の足場もまた失われた
崩れ落ちる根と共に紗夜の身体が宙へ投げ出されると、それを見た添霧は考えるより先に飛び出して
添霧「紗夜!」
叫びながら崩れる根を掻い潜り落下する紗夜へ向かって手を伸ばし、添霧はその身体をしっかりと受け止めた
衝撃で二人はまとめて根の上を大きく滑るがどうにか体勢を立て直すことに成功する
添霧は安堵と呆れの入り混じった表情で紗夜を見た
添霧「無茶しすぎだってば!」
しかし紗夜は何も答えなかった。ただ静かに上を見上げる。その視線を追うように添霧も言葉を止める
誰も動かないでただ静かにその先にいる二人を見上げていた
花の中心では崩れゆく白と黒の根の中に恋冬と虚が立っている
二人を縛るものはほとんど残っていない。腕も足も動き、顔を上げることもできる
長い間奪われ続けていた自由がようやくその手へ戻ってきていた事で空間は崩壊しかけ、巨大な花も苦しげな悲鳴を上げ続けている
それでも二人は慌てなかった。恋冬はゆっくりと目を閉じて小さく息を吐く
恋冬「長かったね」
その言葉に虚は静かに頷いた
虚「あぁ」
たったそれだけの返事だった。しかしその短い一言には積み重ねられた長い年月が詰まっていた。恋冬はどこか力の抜けた穏やかな笑みで
恋冬「ごめんね、碧春」
虚は静かに目を伏せる。責める気も責任を押し付ける気もなかった。そんなものはとっくの昔に終わっている
虚「こっちのセリフだ。恋冬」
崩れ落ちる花弁が二人の間を静かに舞って、遠くでは仲間達が見守っていた。
しかし誰も近付こうとも誰も言葉を挟みもしない。それが当然のように思えた二人だけの時間だった
恋冬はゆっくりと視線を巡らせる。そして崩れかけた根の先を見つめた。
そこにはまだ残っているものがある
最後の根だがそれは物理的な拘束ではない
もっと深い場所に根を張るものだ。罪悪感、後悔、許せなかった記憶、手放せなかった感情…それらが形を変えて最後の一本として残っている
花が生き続けていた理由、世界が終わらなかった理由、その全てがそこにあった
もう逃げない、もう目を逸らさない、そう決めたようにそしてゆっくりと隣を見る
今まで二人は背中合わせだった。手も届かなかないまま顔を見ることもできないままだけれど今は違う
恋冬「碧春」
虚「恋冬」
泣いてない、悲しんでもいない、ただ穏やかな笑顔だった
恋冬「行こっか」
その言葉に虚は迷うことなく頷く
虚「あぁ」
二人は同時に最後の根へ手を伸ばした
今までは出来なかったこと、今までじゃ選べなかったこと、今までだったら届かなかったこと
けれど今だけは違う。同じ景色を見て同じ答えを選び、同じ意思で前へ進むことができる
崩壊する世界の中心で、恋冬と虚は静かに最後の根へ向かって手を伸ばした
二人の手が最後の根へ触れた瞬間、花の中心に走った亀裂は全身へと広がっていった
複雑に絡み合っていた繊維が裂けていく隙間からは眩い光が溢れ始め、花の内部を、世界そのものを白く照らし出していた
花は終わるのだと理解していた。自らの存在理由を失い、長い執着の果てに辿り着いた結末を悟っていた。だからこそ最後の抵抗を試みる
弱々しい鼓動が響いて花の中心へ残された力が集まっていく
それはかつて紗夜達を吹き飛ばした衝撃波
全てを薙ぎ払い全てを拒絶する最後の一撃、それを放とうとしていた
……しかし、その鼓動は続かなかった
かすかな脈動を最後に集まったはずの力は途中で霧散する。砕けた根の隙間から光は漏れ続け、崩壊は止まることなく広がっていった
『________!!!!!!!!!!』
怒りでも憎しみでもないただ消滅への恐怖だけが残された声にならない悲鳴が響く
花弁は崩れ落ちて巨大な茎は砕け散り、世界そのものが光に呑まれていく
その中心に、恋冬と虚は立っていた。
花は終わる
そして、自分達もまた。
二人はそのことを理解していたから逃げず目を逸らさないでただ静かに振り返る
その視線の先には仲間達がいた
傷だらけになりながらここまで辿り着いてくれた人達。何度倒れそうになっても立ち上がり、最後まで諦めることなく手を伸ばし続けてくれた人達だった
恋冬が笑うその表情はどこまでも穏やかだった。虚もまた静かに目を細め、そして二人は互いに顔を見合わせた後同時に口を開いて
「ありがとう」
長い別れの言葉でも事情を語ることも願いを託すこともない。ただ心の底から溢れた感謝だけをその一言へ込めていた
その言葉を聞いた瞬間、紗夜の瞳が大きく揺れる
紗夜「っ、2人共_」
届かないと分かっていてもそれでも思わず名前を呼んで手を伸ばす
しかしその言葉が最後まで紡がれることはなかった
次の瞬間、花が崩壊した
轟音が世界を震わせ、閃光が弾けて空間を埋め尽くすほどの光が爆発的に広がり全てを呑み込んでいく
爆炎が吹き荒れ熱が襲い掛かり、凄まじい衝撃が辺り一面を叩き付けた
紗夜達の視界は瞬く間に白く染まる
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何も見えない、何も聞こえない
ただ圧倒的な光と衝撃だけが身体を貫いていく
伸ばした手も呼びかけた声も届きそうだった想いも、その全てが白い光の中へ消えていった
そして、世界は完全な白に塗り潰された




