花の焦燥
空間を揺らす鼓動はもはや規則正しさを失いかけていた。花の内部全体が大きく震え、無数の根が一斉に蠢く。
それは何かを振り払おうとする反応だった
朧偈「にん?」
違和感を覚えた瞬間足場にしていた根が大きく波打った瞬間、支えを失った根の山が崩壊した
朧偈「にゅう~~~~!!」
力の抜ける声を上げて勢いよく転がり落ち、せっかく登った高さが一瞬で消し飛ぶ。朧偈は根に弾かれ引っ掛かれながら下へ下へと落ちていった。
その影響は上方にも及ぶ。紳漓と紫暖を拘束していた根が突如として強く締まり、ギリッという嫌な音を立てた。
紳漓「っ……!」
腕を引かれ、食い込んだ根が皮膚や筋肉を裂いて血が滲む。紫暖もまた息を詰めるように
紫暖「っ……」
声を漏らし胸元を締め付ける圧力に顔を歪めた。それでも二人は同時に空間を見据えて理解する
紳漓「……焦っとるな」
紫暖「えぇ」
短く返す声には確かな確信があった。
紫暖「効かなくなってきたのね」
もし本当に精神を完全に支配できているなら、ここまで力任せに締め付ける必要はない
だが今は後悔も恐怖も喪失も確かに存在しているはずなのに、それだけではもう縛り切れない。
だからこそ花は無理矢理に押さえ付けようとしている。紳漓は血の滲む腕を見下ろしながら口の端をわずかに歪める
紳漓「余裕無くなっとるやないか」
そう呟きながらさらに力を込めると根がギシリと軋み、ほんの僅かだが確かに動いた。その変化を紫暖も見逃さない
紫暖「向こうも限界が近いのかもしれないわね」
その下方からはなおも朧偈の声が響く
朧偈「にゅう~~…頑張ったでござるのに……」
と呟きながらもすぐに
朧偈「父上ー!」
紳漓「知らんわ」
朧偈「拙者は元気でござる!」
紳漓「元気やろうなお前は」
紫暖はそのやり取りに思わず笑みを零した。絶望の中にあってもこの異様なまでの明るさは確かに届いている
再び鼓動が響くが今度のそれは先程までの圧倒的な支配とは違っていた。不安定で揺らぎがあり、そこに混じるのは明確な焦燥と苛立ち。
花の内部で生じた綻びは静かに、しかし確実に外側へと波及していた。これまで一定だった鼓動は乱れて膨張と収縮を繰り返しながらその輪郭を歪ませていく
巨大な生命そのものが自分の形を保てなくなっているかのようだった
その異変の中を紗夜達は一瞬も止まることなく駆け上がっている
空間には無数の花が咲き乱れ、それらを支える根や蔦が複雑に絡み合い足場としての安定すら拒むように揺れている
紗夜は躊躇なく根を蹴り次の花弁へと飛び移る。添霧もその後に続き、昴琉は魔術で身体能力を補強しながら必死に食らいついていた
添霧「また揺れた!」
昴琉「花そのものが不安定になっています!」
叫ぶように状況を共有するがその声すら揺れる空間に飲み込まれていく。
そして足場にしていた花弁が大きく傾き
添霧「うわっ!?」
体勢を崩しかけたその瞬間、紗夜は何も言わずに添霧の腕を掴みそのまま次の足場へと飛び移った。
添霧「て、天冠外しておいてよかった!」
紗夜「浮けるでしょ」
添霧「ぼくにもテンパりってのがあるの!」
紗夜は視線を一切逸らさず花の中心だけを見据えていた
鼓動が響くたびに巨大な花全体が震え、花弁は軋んで根は波打ち、まるで世界そのものが悲鳴を上げているかのようだった
その揺れは中心部にも容赦なく伝わり、白と黒の根に拘束された恋冬と虚の身体が大きく振られた。
恋冬「っ……!」
虚「くそ……」
腕も足も動かせない二人はただ揺れに翻弄されるしかない。拘束は軋んで食い込み、逃げ場のない圧力として二人を縛り続けている。
恋冬は苦しげに息を呑んで虚は眉を顰めながら短く声を落とす
虚「大丈夫か」
恋冬「……大丈夫…じゃないかも」
力なく答えるその声には消耗の色が濃く滲んでいた。記憶も感情も少しずつ削られていく中でこの揺れは確実に限界を押し上げている
再び大きな揺れが走り、恋冬の身体が振られる。背中合わせの虚も反対側へ引かれ、互いの存在だけがかろうじて支えとなるが触れることも助けることもできない
恋冬はわずかに目を細めた。揺れの向こうの根の隙間、下方に小さな影を捉えた気がした
恋冬「……来てる」
虚も視線を落とすとぼやけた視界の奥、無数の根と花弁の下に確かに見えた三つの影。添霧、昴琉、そして紗夜。
彼らは確実にこの場所へと登ってきていた
虚は小さく息を吐いて
虚「……本当によ…」
安堵が混じっている声。花は揺らいで世界は崩れ始めている。それでも彼らは止まらないまま届く可能性のある場所へ手を伸ばし続けている




