花が喰らうもの
虚の言葉が世界へ響いたその瞬間、巨大な花はまたも激しく脈打つ…が、それはもはや鼓動ではなく悲鳴だった。
空間が震え、壁が軋み、床を覆う無数の根が一斉にうねり始める。その異変に呼応するように花の中心へ吊るされた恋冬と虚の身体が大きく跳ねた。
恋冬「っ、あ……」
虚「やめっ、」
白い根と黒い根がさらに深く食い込み二人の身体から淡い光の粒子が吸い上げられていく
それらは糸のように花の中心へ流れ込み巨大な核の奥へと消えていった。
すると花はまるで先程の発言を否定するかのように叫び始める
『違う、違う、違う』
その声はもはや言葉ではなく、怒り、執着、憎悪、後悔…そして世界中に存在する負の感情だけを無理やり押し固めたような絶叫だった
絶叫が空間を満たしていくその中で恋冬の瞳から光が薄れ、虚の身体からも力が抜けていった。
二人は何かを伝えようとしていたというのに最後まで言葉になることはなく、そのままゆっくりと意識を失っていく
添霧「恋冬ちゃん!」
昴琉「虚さん!」
必死の呼び声にも返事はない。巨大な花はなおも脈打ち続け、世界そのものを揺らしながら不気味な意思を響かせた
『許すな。忘れるな。苦しめ。失え。…お前達も同じになれ』
巨大な花の周囲から新たな蕾が次々と姿を現した。
一輪、二輪、三輪とどれも異様な大きさを誇り、恋冬と虚を囚えている花をそのまま縮小したような禍々しい姿をしている。
根が蠢きながらゆっくりと花弁を開き始めると紗夜は無言で刀を構え、添霧は息を呑み、昴琉も魔法陣を展開した。
そして花弁が完全に開いた瞬間それぞれの視界へ異なる光景が流れ込む。
紗夜が見たのは母親の死
添霧が見たのは忘れたかった生前の過去
昴琉の耳には魔術が未完成な自分を否定する無数の声
3人が立ち竦んだたった一瞬、本当に一瞬だったが花はその隙を待っていた。
獲物へ襲い掛かる無数の蛇の群れのように地面を覆い尽くしていた根が一斉に跳ね上がる
昴琉「っ__!」
添霧「やばっ、」
紗夜は反射的に刀を振るうが間に合わない上届かない。
無数の根が三人へ迫った……その時
紫暖が前へ出て紗夜の身体が後方へ押し飛ばされた
紗夜「_!?」
紫暖は振り返らないまま静かに微笑みながら一言だけ告げた
紫暖「前を見なさい」
素早く紫暖の身体へ無数の根が腕へ、脚へ、胴へと絡み付き一瞬で全身を拘束され、その身体は巨大な花へ引き摺られていった。
紗夜「紫暖さ_」
叫びも届かないまま紫暖の姿は花弁の奥へと消えていく
それと同時に別の場所、添霧へ迫る根の奔流その前へ飛び込んだ影は_朧偈だった
朧偈「添霧殿!!」
添霧「__待って!」
朧偈は振り返らない。迫る根を切り裂き焼き払っては押し返す…が数が多すぎた。無数の根が身体へ絡み付き自由を奪っていく
朧偈「にんにんでござるなぁ」
いつも通りの軽い忍者口調だったが次にはその身体は花の奥へと引きずり込まれていく
添霧「朧偈、!!」
叫びだけが虚しく響く
そして最後に狙われたのは昴琉
視界の中には未完成の魔法陣が浮かんでいる
失敗し続け届かなかった理想。忍術に長けている朧偈、戦術が完璧な父、1度消えても家族の為に動く母
自分だけが完成できていないという焦燥の迷いを花は見逃さなかった
根が迫ってくるまま昴琉は反応できない
……その前へ一つの大きな影、紳漓が割り込んだ
紳漓は何も言わないで昴琉の服を掴み上げる
昴琉「父さ_」
紳漓「行け」
短い一言の次昴琉の身体は後方へ投げ飛ばされ、そして代わりに根の群れが紳漓へ殺到した
腕へ脚へ胴へと迫る根へ紳漓は大剣を振るい、何本もの根をまとめて切り飛ばす…が終わらない。
無限に伸び続け何度でも再生し、執拗に絡み付いてくる根にやがて全身を覆われながらも紳漓は小さく笑った。
紳漓「……ほんま」
根が肩まで覆い尽くすが笑みだけは消えなかった
紳漓「最後まで手ぇ掛かる息子やな」
その言葉を最後に紳漓の身体も巨大な花の奥へと飲み込まれていった
昴琉「父さん!!」
添霧「朧偈!!」
紗夜「紫暖さん…」
三人の名前が重なるも当然返事はないまま巨大な花は歓喜するように脈打った
その中心では恋冬と虚が意識を失い、さらに紫暖、朧偈、紳漓までもが花の養分として取り込まれようとしている。
世界そのものが揺れて花はさらに新たな糧を得て歓喜しているかのように膨れ上がっていく
そして残された紗夜、添霧、昴琉の前で巨大な花はまだ終わっていないと告げるように巨大な花は脈打っていた。
その鼓動は生命の証ではなくまるで勝利を祝福する拍手のように空間へ響き渡る。
五人を飲み込んだ花は先程までとは比べ物にならないほど巨大化し、無数の根を空間中へ張り巡らせながら不気味に膨れ上がっていた
その中心を見上げる残された三人は誰一人として動けずにいた。添霧は唇を強く噛み締めている。昴琉は呆然と立ち尽くしてただ花を見上げていた。
そして紗夜は何も言わないままただ刀を握り締めていた。柄を掴む手には血管が浮かび上がり白く変色するほど力が込められている。
肩は微かに震え、呼吸も乱れているが紗夜は顔を上げず俯いたままただじっと怒りや焦り、喪失感と絶望で立ち尽くしている
今この場で最も感情を爆発させたいのは紗夜自身だった。恋冬を見つけてやっと核が分かり助けられると思った
それなのに目の前で再び…しかも今度は紫暖達まで奪われた
しかし紗夜は理解している。この花は負の感情を喰らうと
怒りも悲しみも後悔も全てが養分となるからこそ感情を解き放つことはできなかった。ここで心を乱した瞬間自分もまた花の餌になる
だから紗夜は何も言わないでただ歯を食いしばり、自分自身を必死に押さえ込んでいた。
その重苦しい沈黙を破ったのは添霧だった。
添霧「……許さない」
震える声が静寂の中へ落ちる。俯いていた顔がゆっくりと上がり、その瞳には隠しきれない怒りが宿っていた
添霧「許さない…恋冬ちゃんも、朧偈も、みんな……!」
その言葉に呼応するように空気が震えた。感情に反応し、言霊の力が無意識のうちに漏れ出して添霧の周囲では空間そのものが軋み始めていた。
悔しさが抑えきれないで怒りが膨れ上がり、奪われた仲間達の姿が脳裏を焼き続ける
その時紗夜の視線だけが僅かに添霧へ向いた
止める言葉はないがその瞳は確かに告げる
__飲まれるな
添霧もそれに気付いていた。この怒りこそが花の望むものだとわかっている。
それでも感情は消えないし、消せるはずもなかった。
拳が、肩が震え、悔しくて仕方がなかった
一方で昴琉は違っていた。怒ることすらできないままただ立ち尽くし花を見上げている。
その視線の先にあるのは花へ飲み込まれていった父、紳漓の姿
昴琉「……父さん」
誰に聞かせるでもない小さな声だった
昴琉「父さん……」
当然返事はなく聞こえるはずもない。
それでも昴琉はもう一度だけ
昴琉「…父さん」
それだけだった。今まで当たり前のように隣でいつも笑っていた。いつも無茶をして、いつも誰よりも前へ立っていた。
そんな父親がいなくなった事実を心がまだ理解できていない。怒りにも涙にもならない、ただ胸の中央にぽっかりと穴が空いたような感覚だけが残っていた。
添霧の怒り。昴琉の喪失。そして紗夜の沈黙。三人はそれぞれ異なる感情を抱えながらその場から一歩も動けずにいた
しかし巨大な花は待ってはくれない。無数の根が蠢き花弁が不気味に脈動する。
そして花弁のさらに奥、恋冬と虚が吊るされている場所よりも深い闇の中で何かがゆっくりと動き始めていた。
それは微かな揺らめきだったが確かに巨大な花は歓喜するように脈打ち続け、その不吉な胎動だけが静かに…そして確実に三人へ迫っていた




