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幽間世界  作者:
62/83

失われていくもの

巨大なその鼓動はもはや生き物のものだった


世界そのものが心臓を得てしまったかのような不気味な振動が空間全体を揺らし、その度に白い根と黒い根が脈動する。


恋冬と虚は今も巨大な繭の中心で背中合わせのまま拘束され、逃れることも触れ合うこともできずにその鼓動へ飲み込まれている


恋冬が重くなった瞼をゆっくりと開けると視界の下には紗夜達の姿が見える

必死に何かを叫んで皆こちらを見上げているのが分かった。


……なのに


恋冬「……あれ…誰、だっけ、?」


その言葉が自分自身で理解できなかった。あの人達は自分を助けてくれたし守ってくれた


恋冬「……ち、ちがう…知ってる、知ってるのに……」


思い出そうとするたび、記憶そのものを無理やり引き剥がされているような感覚に頭の奥が酷く痛んだ。


その時白い根が大きく脈打つ


恋冬「っ……!」


胸の奥から何かが引き抜かれる感覚が悲鳴すら上げられないほど苦しく痛い。


それなのに何を失ったのかすら分からない

ただ大事な何かが消えたという喪失感だけが残る


その異変に最初に気付いたのは虚だった


虚「…恋冬、」


恋冬「……」


虚「おい」


恋冬「…なに、?」


恋冬は反応するがその返事はどこか遠く、虚は眉をひそめた。

いつもと明らかに違う。恋冬の声から感情が薄れているような違和感


虚「どうした」


恋冬はしばらく沈黙した後小さく


恋冬「……ごめん」


虚「何がだ」


恋冬「思い出せない」


虚「…は?」


恋冬「下にいる人達が誰だったか…分からない」


虚「待て、恋冬、?」


恋冬「知ってるはずなのに、大切だったのに…思い出せない」


虚の背筋を冷たいものが走った。視線は自然と恋冬を覆う白い根へ向かい、続いて自身を拘束する黒い根を見つめ、最後に二人を包み込む巨大な花へと向けられる


今までこの花は感情を喰らっているのだと思っていた。悲しみ、後悔、罪悪感、孤独という負の感情を養分として成長しているのだと信じていた。


しかし違うと感じた虚は鼓動を繰り返す花を睨みながら低く呟く


虚「……違う。そうじゃねぇ」


その言葉に応えるかのように巨大な花が再び脈打つ。重い鼓動が空間を揺らし同時に恋冬を覆う白い根が微かに震えた。


恋冬は苦しそうに息を吐き、その表情から何かが削り取られるように薄れていく様子を見た瞬間虚は確信した


虚「感情を食ってるんじゃない」


悲しみも後悔も孤独も、すべては何かを失った先で生まれるものに過ぎない。

…ならばこの花が本当に喰らっているものは何なのか


虚「感情を生むものを食ってんだ、」


「記憶」「思い出」「願い」「約束」「出会い」「時間」

大切だと思えた日々そのものを花は根こそぎ吸い上げている。


苦しみを生み出した原因を奪われれば、人はその感情だけを抱えた空っぽの器になり苦しみだけが残る。


その事実を見抜かれたことに反応して脈打つ

鼓動のたびに世界が震えるその時、虚はさらに別の異変に気付いた。


"世界が揺れる"、"花が脈打つ"、"恋冬の記憶が奪われる"

そのすべてが寸分違わぬタイミングで起きている


虚「……まさか」


巨大な花や無数の根、世界中へ広がる繊維と増殖し続ける人外達はそのすべてが一本の線で繋がる。


今まで勘違いしていた


自分達が花に囚われているのだと、花こそが世界の核でありこの異常な世界を支えている存在なのだと思っていた。しかし真実は違う


虚「そういうことかよ……」


あまりにも皮肉で思わず笑いそうになる。苦しみの果てに辿り着いた答えは最初から目の前に、手元にあった。


恋冬「……碧春」


虚「俺達だ」


恋冬「……?」


困惑する恋冬を見つめながら虚は静かに目を閉じて再び開く


虚「花じゃない。この世界を支えてるのは花じゃねぇ」


恋冬から伸びる白い根と自分から伸びる黒い根の二つは中央で混ざり合い、一つの巨大な花を形作っている。


つまり、花は核ではない


花は作られたものに過ぎない



虚「俺達だ、俺達がいるから花がある。その花があるから世界がある」


その言葉に恋冬の瞳が微かに揺れた


この花は恋冬と碧春の苦しみから生まれたものではなく、恋冬と碧春そのものがこの世界の土台だったのだと虚はようやく理解した


二人の記憶が、感情が、存在そのものが世界を成立させている。そして花はその上に咲いた寄生者に過ぎない。


その事実へ辿り着いた瞬間だった。


"ドクンッ!!!!"


と知られてはならない秘密を暴かれたかのように必死に口を塞ごうと巨大な花が今までにないほど激しく脈打つ。


白い根と黒い根が一斉に蠢き二人の身体へ深く食い込んだ。根はその奥へと潜り込んでは記憶を、感情を、存在そのものをさらに奪い始める。


恋冬「あ"ぁっ……!」


虚「ぐっ、くそっ…、」


真実へ辿り着いた今だからこそこの花は恐れているとわかり、苦痛に顔を歪めながらも虚は目を逸らさない


二人が真実を理解し、自分達自身の存在へ手を伸ばすことを恐れている。

……が時間は残されていない


白い根は恋冬の記憶を削り取り、黒い根は虚の存在を薄れさせ失われさせていく

このままでは恋冬が恋冬でなくなり、虚が虚でなくなる時も遠くない


二人が二人でいられる時間は確実に終わりへ近付いていた

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