見知らぬ朝
どれくらい走ったのかは分からない。ただ、いつの間にか窓の外は普通だった。
歪みは消えて、建物は建物の形をしていて、空は薄い朝の色をしている。
添霧「戻った?」
紗夜「…みたい」
電車はようやく速度を落とした。ブレーキの音がして何事もなかったみたいにホームへ滑り込む。
ドアが開くと朝の空気が入り込んできた。
紗夜「…朝」
添霧「朝だね!」
時計を見ると始発の時間に近い。
紗夜「…終点じゃない」
添霧「うん!全然知らない駅!」
人は少ないけどいる。
寝不足そうな顔で歩く人、通学途中の学生、コンビニの袋を持った人。
ちゃんとした現実
紗夜「……降りる?」
添霧「降りよ!」
特に理由はない。
ただこの電車にはもう乗っていたくなかった。
ホームに足を下ろす。
電車はすぐに何事もなかったように走り去った。
改札を出ると、見たことのない街が広がっていた。
紗夜「…どこ、ここ」
添霧「さぁ!」
紗夜「……」
添霧「でもさ、雰囲気いいよ!」
駅前は静かで少し古い。個人商店が並んでいて、朝の準備をしている音がする。
紗夜「……とりあえず」
添霧「とりあえず?」
紗夜「……何か食べたい」
添霧「いいね!!」
コンビニに入って、おにぎりとパンと安い飲み物を買う。
紗夜はベンチに座っておにぎりを開ける。
紗夜「……」
添霧「どう?」
紗夜「……普通」
添霧「それが一番!」
添霧は隣で食べる真似をする。味は分からないけど楽しそう。
添霧「ねえさな」
紗夜「紗夜」
添霧「ここさ、どこにも知ってるのがないね!」
紗夜「……うん」
添霧「それってさ」
紗夜「……?」
添霧「最初からやり直せるってことじゃない!?」
紗夜は少しだけ考えて、おにぎりをもう一口食べる。
紗夜「……やり直すほど、何かしてたわけじゃない」
添霧「そっか!」
でも否定はしなかった。食べ終わってゴミを捨てる。
街を歩く。
知らない道。
知らない店。
知らない人。
でも不思議と怖くはなかった。
紗夜「…ねえ」
添霧「なに?」
紗夜「昨日より、静か」
添霧「だね!」
紗夜「…悪くない」
添霧は、ぱっと笑った。
添霧「じゃあさ!この街、ちょっと探検しよ!」
紗夜「目的は」
添霧「ない!」
紗夜「……」
添霧「でも一緒!」
紗夜は歩きながら小さく息を吐いた。
紗夜「……まあ」
朝の光の中、生きてる人間と眠らない幽霊は、まったく知らない街を歩いていく。
ここがどこかはまだ分からない。
でも、少なくとも今はどこにも追い返されない場所だった。
街をしばらく歩いていると古そうな宿泊施設を見つける
看板は少し擦れているけど、営業中の札はちゃんとかかっている。
紗夜「ここ」
添霧「お、宿だ!」
紗夜「…泊まれるかな」
添霧「泊まれる泊まれる!たぶん!」
中に入ると、フロントには落ち着いた雰囲気の女性がいた。
「いらっしゃいませ」
紗夜は一歩前に出る。
紗夜「一泊、できますか」
女性は紗夜を見て、一瞬言葉に詰まった。
「……お一人、ですか?」
紗夜「…一応」
視線が周囲を探る。添霧の事は見えていない。
「……保護者の方は?」
紗夜「……いない」
少し空気が変わる。
「身分証は……」
紗夜「……持ってない」
女性は困ったように眉を下げた。
紗夜「未成年の方を、お一人でお泊めするのは……」
紗夜は何も言わず少しだけ視線を落とす。
横で添霧がそわそわしている。
添霧「さ、さな……」
紗夜「紗夜」
添霧「……だ、大丈夫かな……」
その時、奥から別のスタッフが出てきた。
「……人間?」
小さな声。でも確かにそう言った。
女性がはっとして振り返る。
「……え?」
奥のスタッフは紗夜をじっと見る。
「本物……?」
紗夜「……?」
「ちょ、ちょっと待って」
小声で何かを確認し合っている。
「人間って…」
「…この世界で?」
「……久しぶり?いや初めて?」
紗夜は首を傾げる。
紗夜「…泊まれないなら、出る」
「い、いえ!違います!」
慌てて女性が顔を上げる。
「えっと…少し確認を…!」
数分後、フロントに戻ってきた女性はさっきよりも妙に丁寧だった。
「…結論から言いますと」
紗夜「……」
「ご宿泊、可能です」
紗夜「…いいの」
「は、はい……!」
添霧がぱっと顔を輝かせる。
添霧「よかったぁ!!」
紗夜「条件は」
「特に…その……」
女性は言いにくそうに続ける。
「ご存知でしょうけども、この世界で人間の方は…とても希少でして……」
紗夜「……」
「むしろ、こちらが……」
紗夜「?」
「お泊めできることが光栄といいますか……」
紗夜は少しだけ考える。
紗夜「……よく分からないけど」
「はい…」
紗夜「……泊まれるなら、いい」
「ありがとうございます……!」
鍵を渡される。部屋はちゃんとした個室だった。
部屋に入ると、紗夜はベッドに腰を下ろす。
紗夜「……」
添霧「さなすごくない?」
紗夜「……紗夜」
添霧「人間で良かったね!めっちゃ優遇されてるよね!?」
紗夜「……そうみたい」
添霧「あのさ!」
紗夜「?」
添霧「やっぱりこの人外のありふれた世界では人間って希少なんだね!」
紗夜「……うん」
紗夜はベッドに倒れる。
紗夜「……とりあえず」
添霧「とりあえず?」
紗夜「……寝る」
添霧「そっか!」
添霧はそっと近くに座る。
添霧「じゃあ僕見張りする!」
紗夜「……必要ない」
添霧「必要ある!」
紗夜は目を閉じる前にぽつりと言った。
紗夜「……でも、ありがと」
添霧は少しだけ驚いてからにこっと笑って
添霧「どういたしまして!」
知らない街。
知らない世界。でもここも自分のいたところも人間が希少な世界だ。
それは世界周知の事実だったらしい。




