現実の向こう側へ
夜道は思ったより静かだった。街灯の下を歩くたび、影が伸びては消える。
添霧「……」
紗夜「……」
添霧「さな、寒くない?」
紗夜「別に」
添霧「そっか!」
添霧は笑ったけど、さっきより声が少し高い。
駅に着くと、人気はほとんどなかった。改札を抜ける前で添霧が立ち止まる。
添霧「えっと…ちょっと待ってね!」
紗夜「……何」
添霧は集中するみたいに目を閉じる。
添霧「えーと…お財布、出てきて!」
言霊が落ちて、紗夜の上着のポケットがわずかに重くなる。
紗夜「……ある」
添霧「よ、よかった……!」
紗夜「……貯金も」
添霧「だ、大丈夫!ちゃんと出すから!」
少し間を置いて、紗夜の口座の残高が現金として形を持つ。
でも必要最低限
紗夜「……便利だね」
添霧「でしょ!すごくない!?」
紗夜「うん」
添霧「ほめてほめてー!」
紗夜「……それ能力?」
添霧「うん!言霊!」
紗夜「ことだま、じゃなくて?」
添霧「僕が名付けた!」
紗夜「漢字苦手な人がつけたみたい」
添霧「ひどぉ!?で、でもあるし!」
そんな会話をしつつ改札を抜けてホームへ行くと、終電手前の電車がちょうど滑り込んできた。
車内は空いていた。座席に腰を下ろすと電車がゆっくり動き出す。
紗夜は前を見たまま、眉を少しだけ顰める。
紗夜(…どうしよう、)
声には出さないが、考えが止まらない。
どこへ行くか。
今日はどこで寝るか。
明日を…どうするか。
隣で添霧がそわそわしている。
添霧「……さ、さな」
紗夜「…紗夜」
添霧「……あ、ごめ……」
添霧は一度言い直そうとして結局やめた。
添霧「ご、ごめ……」
紗夜「何が」
添霧「えっと……全部……」
紗夜「……」
添霧「僕がついてきたから、こうなったよね……」
電車の揺れが規則的に続く。
紗夜は少しだけ考えてから言った。
紗夜「……違う」
添霧「え」
紗夜「家を出たのは、私」
添霧「でも……!」
紗夜「添霧がいなくても、遅かれ早かれ出てた」
添霧は口を開けて、閉じる。
添霧「怒ってない?」
紗夜「怒ってない」
添霧「…困ってる?」
紗夜「……少し」
添霧はぎゅっと手を握った。必死なのが分かる。
添霧「ごめん…僕、守るしかできなくて……」
紗夜「それで十分」
添霧「…え」
紗夜「……さっき、守られなかったら、たぶん今ここにいない」
添霧はしばらく黙ったまま、それから泣きそうな顔で笑った。
添霧「……じゃあさ」
紗夜「何」
添霧「とりあえず、一緒に行こ!」
紗夜「……どこに」
添霧「分かんない!」
紗夜「……」
添霧「でもさ!一人より二人の方がマシでしょ!」
紗夜は少しだけ視線を落とす。
紗夜「…まあ」
添霧はそれだけで救われたみたいに頷いた。
添霧「よし!じゃあ今日は逃避行初日!」
紗夜「言い方」
電車は次の駅へ向かって走る。
行き先は決まっていない。
でも、今はまだ隣に誰かがいる。
終電手前の電車は、2人を元の場所から少しずつ遠ざけていった。
まだ降りる場所は決まっていない。
添霧「次、どうする?」
紗夜「……」
返事がなく添霧は横を見る。紗夜は座席にもたれて目を閉じている。
眉間に少しだけ力が残ったままだが、呼吸はゆっくりだった。
添霧「……寝ちゃったか」
さっきまで考えていたんだろう。
どこへ行くか、どうするか
全部途中のまま眠った。
添霧は何も言わずそのまま隣に立つように座り直した。
肩が触れそうで触れない距離
添霧(ひとって、眠るんだよなぁ)
当たり前のことを少しだけ考える。
自分はもう必要ないこと
車内はがらんとしていて、ガタンゴトンという音だけが規則正しく続く。
添霧「……さな」
小さく呼んでみるが返事はない。
添霧「…紗夜」
今度はちゃんとした名前で……それでも起きない。
添霧はそれ以上何もしなかった。
起こす理由がなかったから。
ふと、窓の外を見て少し眉をひそめる。
添霧(……あれ?)
流れていくはずの景色がどこかおかしい。
街灯が伸びている
建物の輪郭が揺れている
夜景というより絵の具が水に滲んだみたいな
添霧「……終点、近いよね?」
車内アナウンスは流れず速度も落ちない。
終点まであと一駅なのに、電車は止まる気配を見せなかった。
その時。
添霧「……」
紗夜のまぶたがゆっくり開く。
添霧「…ぁ、」
目が合う。
紗夜「…寝てた」
添霧「うん」
紗夜「……何駅」
添霧「終点手前」
紗夜は何気なく窓の外を見て少しだけ固まった。
紗夜「……何、これ」
声がわずかに低くなる。
添霧「だよね……」
添霧は苦笑いして
添霧「さな、外…変じゃない?」
紗夜「……歪んでる」
建物が建物じゃない。
空が空の形をしていない。
遠くが近くて、近くが遠い
…意味の分からない異世界のよう。
紗夜「…終点まで、あと一駅なんでしょ」
添霧「うん」
紗夜「…止まらない」
添霧「うん……」
電車は速度を保ったまま、暗いトンネルのような場所へ入っていく。
紗夜「…ここ、どこ」
紗夜の声は淡々としている。でも、手が少しだけ強く握られていた。
添霧はそれに気づいてすぐ答える。
添霧「分かんない!」
紗夜「……」
添霧「でもね!」
少しだけ声を明るくして
添霧「僕がいる!」
紗夜はほんの一瞬だけ添霧を見る。
紗夜「……うん」
電車は終点のはずの駅を通り越す。
行き先表示はいつの間にか消えていた。
それでも、2人はまだ同じ車両にいる。
_現実とどこかの間へ、電車は静かに滑り込んでいった。




