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幽間世界  作者:
58/83

感情を喰らう花

巨大な花の内部では恋冬と虚がゆっくりとその中心へ取り込まれつつあった。


そこはもはや植物の内部ではなく巨大な生物の体内と呼ぶべき異様な空間。見渡す限り根と蔦が張り巡らされ、脈打つ花弁が壁のように広がっている。


空気そのものが生きているかのように震え、一定の間隔で響く鼓動が空間全体を揺らしていた


無数の根が二人の身体へ絡みつき、逃がすまいとするように締め上げている。


腕も足も自由にならず、抵抗しようと力を込めるたびにさらに多くの根が巻き付いて花の奥深くへと引き込まれている


恋冬は苦しそうに息を吐きながら必死に虚へ手を伸ばす。


恋冬「碧春……!」


虚「恋冬!」


互いの姿は見え、声も届いている。しかし距離だけは埋まらず花は二人が近付くことを拒むように別方向から拘束し続けていた。


やがて二人が引き込まれたそこは不気味な空間だった。中央にはこの世界そのものを支えているかのような巨大な花が存在している。


幾重にも重なる花弁の奥では巨大な核が心臓のように脈打ち、その鼓動に合わせて周囲の根や蔦が蠢いていた。


心の奥へ直接手を差し込まれているような感覚だったからか、その音が響くたび恋冬の胸は不快に震える。


耳から聞こえるのではない頭の中へ直接流し込まれる声が響く


『返せ』


恋冬の身体が震える。


『返せ。返せ。返せ』


そこに込められていたのは怒りだった。恋冬が自分を責めることをやめ、碧春が自分自身を許そうとしたこと。


それが許せないという感情が隠しきれないほど滲み出ている。

虚は花を鋭く睨みつけて


虚「お前か。人外を生み続けたのも、この世界を歪め続けたのも」


『そうだ』


花は否定せず、むしろ誇るように脈打って巨大な花弁をゆっくりと開いていく。その中心に姿を現した核は、あまりにも醜悪だった。


そこには花本来の美しさも慈愛も救いも存在しない。ただ執着だけがあった。


『苦しめ。失え。憎め。絶望しろ。そうすれば終わらない』


その言葉を聞いた瞬間恋冬は息を呑んだ。それは自分自身が何度も抱いた感情そのものだったから


自分を責める声、生きていてはいけないという思い、碧春を失ったあの日から抱え続けてきた後悔…その全てを花は知っている。


いや、知っているのではなく、それこそが花の正体だった。


恋冬「……最低」


花の脈動がわずかに揺れる。恋冬は真っ直ぐ核を見据えたまま言葉を続けた。


恋冬が口を開く前に根が身体へ食い込むが視線は逸らさない。

花は答えないがその沈黙こそが何よりの答えだ


虚は小さく舌打ちする


虚「だから終わらせたくなかったのか」


すると花は焦ったように声を重ねた


『終わるな。忘れるな。許すな。苦しみ続けろ』


その響きには明らかな執着が滲んでいた。恋冬と碧春が救われれば自分は存在できなくなる。


だから認めない。だから離さない。だから再び絶望へ引きずり戻そうとしている。


『お前達は私だ。後悔だ。罪悪感だ。喪失だ。だからここにいろ……永遠に』


その瞬間核から伸びた無数の根が二人の身体へ突き刺さるように絡み付いた。


恋冬「い"っ……!」


虚「ぐっ…、」


激痛よりもっと不快な感覚だった。

心を覗かれ、記憶を漁られ、感情そのものを光として吸い上げられている


碧春が命を落とし恋冬が泣いた夜


孤独、後悔、絶望…その全てが根を通じて花へ流れ込んでいくことで花は歓喜した。


まるで飢えた獣へ餌を与えたかのように鼓動が大きくなる


『そうだ。それでいい。悲しめ。苦しめ。憎め。それがお前達だ』


だが恋冬は歯を食いしばる。

確かに苦しかった、確かに自分を憎んだ、確かに自分を責められた。


けれどもうそれだけではない。恋冬が隣へ視線を向けると虚もまたこちらを見ている。


かつて失ったはずで何度も会いたいと願った人。何度も謝りたいと思った人。そして何より……感謝を伝えたかった人だった


恋冬の瞳に涙が滲むがそれと同時に笑って


恋冬「……碧春」


虚「なんだ」


恋冬「私ね、ちゃんと会えて良かった」


拘束されたままの言葉だったがその声には確かな温もりがあり、虚は一瞬だけ目を見開く


その言葉は花が最も聞きたくなかった言葉だった。

後悔でも絶望でもない感謝は不快以外の何物でもないから。


この世界が本当に恐ろしく思うのは、失った者を想いながらでも前へ進もうとする意志だった。


その瞬間、拒絶するように、怒り狂うように花全体が激しく脈打つ。

巨大な核が震え、無数の根と蔦が空間全体で暴れ始める。


花は理解していた。恋冬と碧春が互いを受け入れ、後悔を乗り越えようとしている。その事実こそが自分という存在を根底から否定するものだと。


そして同じ頃、花の外では異変がさらに広がっていた。世界中に散らばっていた人外たちが一斉に動き始める。


王の号令を受けた軍勢のように、最後の戦いへ集う兵士たちのように…その全てが世界の核へ向かっていた。


巨大な花は怒りと焦燥を露わにしながらかつてないほど強く脈打つ。


虚「……誰がお前なんかになるかよ」


『なる』


花は即座に否定した


『お前達は私であり後悔、喪失、孤独だ。だから逃げられない』


根がさらに食い込んだことで恋冬は思わず声を漏らした。


恋冬「い"だっ……!」


ようやく失った養分を取り戻せる…そんな醜い喜びが空間全体から伝わってくる。




その頃、巨大な花の外では状況が一変していた。


恋冬と虚を飲み込んだ穴の周囲にはすでに大量の人外たちが集まり始めており、先程まで別の場所にいたはずの個体までもが通路の奥から絶え間なく押し寄せてきていた。


何かに呼び寄せられているかのような異様な光景に空気そのものが張り詰めている。

紗夜は刀の柄を握り直し、迫り来る敵の群れを鋭く睨み据えた。


紗夜「来る」


添霧「見れば分かる!」


昴琉「数が増えてますね」


昴琉の言葉通り通路の奥からは次々と人外が現れ、その流れは途切れる気配を見せない。


しかも彼らの視線は紗夜たちへ向いているようでいて、その奥に存在する何かを求めているようにも見えた。


添霧は小さく舌打ちすると一歩前へ浮遊し


添霧「“消えろ!!”」


言霊が炸裂した瞬間先頭を走っていた人外たちが一斉に霧散する。


しかし生まれた空白は一瞬で埋められ、最初からそこに存在しなかったかのように新たな群れが雪崩れ込んでくる。


昴琉も即座に魔術陣を展開した。足元に広がる光の輪から無数の魔弾が放たれて押し寄せる人外たちへ降り注ぐ。


昴琉「左側を抑えます!」


爆発が連続し悲鳴と衝撃音が通路へ響き渡るが、それでも流れは止まらなかった。


倒しても倒しても次が現れる。その様子はもはや世界そのものが敵意を持って襲い掛かってきているかのようだ


紗夜は静かに息を吐くと一歩前へ出る

瞬間、迫っていた人外の首が宙を舞ってはその勢いのまま二体目、三体目も斬り伏せられる。


鋭く振るわれる刃は確実に敵を葬っていたがそれでも状況は変わらない。

……数が違いすぎて倒しても倒しても尽きることがない。


本当なら今すぐ恋冬を追いたかった。あの穴へ飛び込み、どこへ連れて行かれたのかを確かめたかった。


しかし紗夜がその場を離れれば人外たちは一気に添霧と昴琉へ雪崩れ込むから立ち止まるしかない。


守るため、信じるためだと紗夜は再び刀を構えて小さく呟いた。


紗夜「絶対に待ってて」


その声は誰へ向けたものでもないが、確かに恋冬へ届くことを願うように紗夜は再び人外の群れへ斬り込んでいった。



その頃、人外たちの流れを追うようにして紳漓たちもまた通路を駆け抜けていた。


先程まで激しく戦っていた人外たちは今や三人を完全に無視して一つの場所へ向かって集まり続けている。


その異様な光景に違和感と不安を覚えていた。先頭を走る紳漓は大剣を肩に担いだまま前方を睨む。


紳漓「昴琉達のとこで何か起きとる」


紫暖「えぇ。それも相当大きな何かがね」


朧偈「父上、さらに前方でござる!」


朧偈の声に三人は視線を上げる


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