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幽間世界  作者:
37/83

理由

瓦礫が崩れる音と共に街の奥から異形の群れが現れた。


歪な呻き声を上げながら、人外たちが雪崩のように押し寄せてくる。


添霧「来るよ!」


その声と同時に紗夜と昴琉は反射的に前へ出た。


昴琉「紗夜さん、左を!」


紗夜「分かってる」


二人は迷いなく武器を構え、人外の群れへ飛び込む。


添霧も空中へ浮かび上がり、能力を展開した。


添霧「触らせないよー!」


戦闘の音が街へ響く。爪が壁を引き裂き、牙が空を噛む。


異形の身体がぶつかり合い、瓦礫が砕け散る。

だが


恋冬の周囲だけは、不自然なほど静かだった。

人外たちは彼女を見ようともしない。


まるで最初から存在していないかのように、避けるように通り過ぎていく。


恋冬はその光景を見つめながら小さく息を呑んだ。


そして気づく。戦場から少し離れた場所の崩れた街灯の下に、一人の少年が立っていた。


先ほど墓地で現れた、病そのものを名乗る存在……虚


虚は静かに恋冬を見下ろしている。


虚「へぇー…やっぱりここのは君を攻撃しないんだ」


恋冬の指先が震える。逃げたいけれど足が動かなかった。


恋冬「あ、あの……」


虚「ん?俺が何?」


恋冬は胸元を押さえる。


理由の分からない痛みが広がっていた。恐怖とも悲しみとも違う。


もっと深い場所が軋むような感覚。


恋冬「……私の事…しらない?」


虚「は?」


虚は一瞬だけきょとんとした顔を見せた。

そして次の瞬間、呆れたように鼻で笑う。


虚「知るわけないじゃん」


その言葉に恋冬の胸が強く締めつけられた。


恋冬「……でもどこか…胸が苦しくて……」


虚「そんなの知らないわ!?」


吐き捨てるような声だった。


虚「また病気なんじゃないの?」


恋冬「そ、そんなはずないの……!」


思わず声が大きくなる。


恋冬「私…もう病気に感染しないから……!」


虚「……ふーん」


虚は興味なさそうに肩をすくめた。


だが、その瞳には僅かな違和感が宿っている。


虚「じゃあ、試すか」


恋冬「…え?」


虚はゆっくりと手を伸ばした。


病を生み、感染させ、蝕むため


いつも通りの動作。いつも通りなら、それで終わるはずだった。



_だが、指先が止まった。


虚「……え」


ぴくりとも動かない。眉をひそめてもう一度力を込める。


虚「…何……?」


それでも動かない。弾かれたわけでも能力を妨害された感覚もない。


拒絶されたわけですらない。


……ただ、胸の奥から声が響いていた。




この子だけは触るな。




この子だけは壊すな。




誰かも分からない声が虚の中に響く


虚「……動かないんだけど」


その声には初めて戸惑いが滲んでいた。恋冬も目を見開く。


恋冬「…え……?」


虚はゆっくりと自分の胸を押さえた。鼓動などとっくに失ったはずなのに。


そこだけが妙に騒がしい。


虚「……なにこれ……」


理解できなかった。病気そのものになった自分が誰かを守ろうとしている?


そんなことあるはずがない。


恋冬は震える声で問いかける。


恋冬「……ねぇ…あなた……」


その続きを聞くことが、なぜか怖かった。

虚は口を開こうとして――止まる。


言葉が出ない。知らないはずなのに、覚えていないはずなのに。


目の前の少女を見るたびに胸の奥で何かが軋む。


恋冬もまた同じ違和感を抱いていた。理由は分からないけれど


遠くではまだ戦闘音が響いていた。

異形の咆哮。剣がぶつかる音。瓦礫が崩れる音。


けれど、この場所だけはまるで世界から切り離されたように静まり返っている。


虚は伸ばしたままの自分の手を見つめていた


虚「…意味分かんないんだけど」


苛立ちを隠すように笑う。


虚「俺、病気だろ?触れたら壊れる。感染する。死ぬ……それが当たり前だろ」


恋冬は静かに首を振った。


恋冬「…それ、違う」


虚「は?」


恋冬は胸元へ手を添える。さっきまであった苦しさは消えていた。


それでも胸の奥は温かくて、どうしようもなく痛かった。


恋冬「…その言い方……」


小さな声。けれど確かな声だった。


恋冬「……碧春と、同じ」


その瞬間、空気が凍りついた。


虚「…………は?」


恋冬は目を伏せたまま続ける。


恋冬「私が泣いてる時も…『大丈夫だって』って、そうやって全部一人で背負おうとして…」


唇を強く噛みしめる。


恋冬「…壊れるって分かってても…それでも…触れてくれた」


虚の脳裏に、あり得ない光景がよぎった。


白い病室。


規則的に鳴る点滴の音。


涙を流す少女。


そして……


_その少女へ向かって腕を広げる自分


虚「…やめろ」


低く掠れた声が漏れる。


恋冬「…碧春……」


その名前が確かに世界へ落ちた。

虚は頭を押さえる。まるで脳が割れるような激痛。


虚「…その名前、言うな……!」


膝をつき、苦しそうに息を吐く。


虚「知らない!!俺は…俺はそんな_」


頭の奥で声が響く。



『謝んなくたっていい』


『いつか笑顔にしてやるよ』


『大丈夫だって』



懐かしいはずのない言葉。

忘れたはずのない言葉。


虚「……っ、うるさい……!」


恋冬は恐る恐る一歩近づいた。


恋冬「…碧春……?」


その一言で。何かが決定的に崩れた。


虚「…俺は……」


震える声。虚は自分の胸を掴む。


虚「…俺は病気なんだ、なのに…なんで……」


恋冬「碧春、?」


虚「お前の前でだけ…病気でいられないんだよ……」


恋冬の目から涙が溢れた。


恋冬「……ずっと…一人でいたの……?」


その問いは病気でも虚という存在でもない。


ただ一人の少年へ向けられた言葉だった。



虚は答えられない。答えてしまえば自分が何者なのか認めてしまう気がした。


病気として生き続けた挙句に捨てたはずの名前と、失ったはずの人生を認めてしまう気がした


それでも、恋冬の涙が地面へ落ちた瞬間


虚は自分の頬を伝う雫に気づいた


虚「…あ……」


指先で触れると温かい。


虚は初めて、自分が泣いていることを知った


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