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幽間世界  作者:
34/83

稲垣恋冬の過去④ 孤独の果てに


恋冬が目を覚ましたのはそれから数時間後のことだった。


最初に感じたのは違和感だった。


いつも体を蝕んでいた重苦しさがない。胸を圧迫するような息苦しさも、頭の奥に根を張る痛みもない。


恐る恐る鏡を見た恋冬は、その場で固まった。

頭に咲いていた花が消えていた。


長い間自分を苦しめ続けた病の象徴が、跡形もなくなくなっていたのだ。


恋冬「……え……?」


信じられなかった。


体は軽い。立っても苦しくない。歩いても倒れそうにならない。


まるで病気そのものが最初から存在しなかったかのようだった。


何が起きたのか分からず、恋冬は初めて自分の病室を出た。


その時、ちょうど担当医がこちらへ向かってきていた。


恋冬は必死に事情を説明した。


目が覚めたこと、花が消えていること、体が楽になったこと。


すると医師は長い沈黙のあと、重い声で言った。


「……碧春くんが、代わりに亡くなった」


その言葉は、あまりにも突然だった。


恋冬の思考は理解を拒絶した。


恋冬「……え?」


医師は静かに説明した。おそらく碧春は能力を使ったのだろう、と。


恋冬の体に根付いていた花を自分自身へ移植したのだと。


その結果、恋冬は助かり、碧春は命を落とした。



恋冬「嘘……」


声が震えた。


恋冬「嘘、でしょ…?」


だが、医師は首を振るだけだった。


恋冬は病室へ戻ることもせず、そのまま病院を飛び出した。


以前もらった住所のメモを握りしめながら、必死に走る。



お願いだから嘘であってほしい



間違いであってほしい



そう願いながら必死に走った



だが辿り着いた先で見た光景は残酷な現実だった。


碧春の家の前には救急車が止まり、警察車両も見える。


人だかりができて、誰もが深刻な顔をしていた。


それだけで十分理解してしまった。



碧春は本当に死んだのだ



恋冬の足から力が抜ける。


立っていられなかった。


胸の奥がごっそりと抉り取られたような喪失感に襲われ、その場で涙が溢れ出した。


けれど、現実はそれだけでは終わらなかった。


周囲から聞こえてくる声が、容赦なく恋冬を傷つけた。


「あの子が原因なんだろ?」


「碧春くんが死んだ元凶ですって」


「病気の子なんて助けなければよかったのに」


「俺の息子を返せよ……!」


「碧春…碧春っ、」


誰が言ったのかも分からない。


けれど、その言葉は一本一本の矢のように恋冬へ突き刺さった。


耐えられなかった


恋冬はその場から逃げ出した


何も聞きたくなかった


何も見たくなかった


ただ、逃げるしかできなかった。



病院へ戻ると、そこには久しぶりに母親の姿があった。


母は何も言わなかった。


ただ無言で恋冬の手を取り、そのまま家へ連れて帰った。


恋冬も何も言えなかった


何を話せばいいのか分からなかった



数日後、碧春の葬儀が執り行われた。


恋冬も参列した。


涙は最初から最後まで止まらなかった。


それでも周囲の視線は冷たかった。


陰口は途切れることがなかった


誰も直接は言わないが聞こえてくる。

自分が原因だと。自分が生きたせいだと。


その度に恋冬の心は少しずつ削られていった。

葬儀が終わりかけた頃、恋冬は一人で棺の前へ向かった。


そこには静かに眠る碧春がいた。


もう笑わない


もう話さない



もう二度と会えない



その事実が、どうしようもなく苦しかった。


恋冬は棺に手を置いて泣き崩れる


恋冬「……約束したのに……」


病気が治ったら会いに行くと。また一緒に話そうと。


……笑おうと。


恋冬「…起きてよ……」


たくさんの約束をしたのに、その約束はもう叶わない。


碧春と恋冬の物語はそこで終わった。



__そう思われていた。


その終わりは新たな悲劇の始まりでもあった。


碧春の死から間もなくして、街には原因不明の病が広がり始めた。


人々は次々と倒れていった。


病は止まらなかった。


人々は少しずつ活気を失い、やがて廃れていった


恋冬だけは無事だった。


病気が消えた彼女には、その災厄は届かなかった。


けれど周囲の人々は違った


人は減り続けた


姿を消した者もいた


そして残された者たちの多くは、人ならざる存在へと変わっていった。


気がつけば、恋冬だけが人間として取り残されていた。


かつて誰かと笑い合った街は静まり返り、人外たちが行き交う場所へ変わっていた。


それでも恋冬は生き続けた


誰もいなくなった街で


誰も帰ってこない日々の中で




あの日、病室で交わした約束だけを胸に抱えながら。



長い長い孤独の果てに__




恋冬は、紗夜と出会った。



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