稲垣恋冬の過去② 出会い
【夏百合 碧春】
恋冬は特別学級教室での日々を続けていた。
孤独ではあったが、劇的に何かが変わることもない。
点滴を受けながらリモートで授業を受け、窓の外から聞こえる楽しそうな声に耳を傾ける。
そんな毎日を繰り返しながら、彼女は小学校高学年まで成長していった。
一方その頃、同じ学校に通う、碧春という少年がいた
碧春もまた何気ない学校生活を送っていた。そんなある日、彼の耳に一つの噂が届く。
「病気の子が特別学級に居るんだって」
「元はここのクラスメイトだったらしいよ」
休み時間教室のあちこちでそんな話が聞こえてきた。
最初はただの噂話だった。しかし妙に気になった碧春は、自分の目で確かめてみようと思った。
本来なら特別学級には近づかない方がいいとされている。
病気の詳細を知っているわけではなかったが、周囲が避けている以上、何らかの危険があるのだろう。
それでも碧春には根拠のない自信があった。
幼い頃に不思議な花を口にしたことで得た特性_「抗体」
さらに「適応」「免疫」「回復」という能力
それらのおかげなのか、彼は生まれてから一度も大きな病気をしたことがなかった。
だから大丈夫だと思った。
そうして彼は躊躇なく特別学級教室へ向かい、その扉の前へとたどり着いた。
教室の中には一人の少女が窓際の席に座り、点滴に繋がれていた
その姿を見た瞬間だった。
碧春の時間が一瞬だけ止まる
陽の光を受ける淡い髪
どこか儚げな横顔
静かな教室の中で一人きり座るその姿に、碧春は目を奪われた。
理由なんて分からなかった。
ただ気づけば碧春は少女から視線を外せなくなっていた。
__恋に落ちていた。一目惚れだった。
そんな言葉で片付けるにはあまりにも突然で、あまりにも鮮烈な感情だった。
吸い寄せられるように教室へ入ろうとした、その時。
「だめっ……」
小さな声が聞こえた。
少女――恋冬が慌てて顔を上げていた。
恋冬「入っちゃだめ…病気が、うつっちゃうから……」
不安そうな声だった。噂は本当だったらしい。
点滴に繋がれている姿を見れば、それは容易に想像できた。
だが碧春は笑った。
碧春「大丈夫」
そう言って一歩踏み出す。
碧春「俺、絶対平気って自信あるからさ」
しかし恋冬は首を横に振った。病気をうつしてしまうかもしれない。
誰かを傷つけてしまうかもしれない。
そんな恐怖が彼女の身体を小さく震わせていた。
碧春「……大丈夫だって。俺ならさ」
碧春はゆっくりと距離を縮める。恋冬は止めようとした。
それでも彼は歩みを止めなかった。やがて目の前まで来るとその場にしゃがみ込む。
そして恋冬を見上げながら笑った。
碧春「ほら。大丈夫だろ?」
恋冬「…でも、でも……」
俯いたままの恋冬はまだ不安そうだった。
点滴の管を握りしめる指先が小さく震えている。
碧春はそっと手を伸ばした。
拒絶されるかもしれないと思いながらも、その頬に優しく触れる。
碧春「大丈夫」
穏やかな声だった。
碧春「……はじめまして、だよな?」
少し考えてから照れ隠しのように笑う。
碧春「……嫌だったか?」
恋冬は慌てて首を振った。
恋冬「嫌じゃ…ない」
か細い声だった。
恋冬「でも私…病気持ってて……」
その言葉に碧春はまた笑った。
碧春「大丈夫だって」
何度でも繰り返した。根拠なんてないけれど不思議と安心できる声だった。
恋冬の警戒心は少しずつ解けていき、不安で固まっていた表情も柔らかくなっていく。
やがて碧春は尋ねた。
碧春「そういえば名前は?」
恋冬は少し迷ったあと小さく答える。
恋冬「……稲垣、恋冬」
その名前を聞いた碧春は目を丸くした。
碧春「恋冬か!可愛い名前だな」
恋冬は驚いたように目を瞬かせた。そんなことを言われたのは初めてだった。
だが、その直後廊下からチャイムが鳴り響く。
休み時間の終わりを告げる音だった。
碧春「あーやば、先生来るな」
そう言って教室の出口へ向かいながら振り返った。
碧春「また明日来てもいいか?」
恋冬は目を見開く。
恋冬「えっ……」
そんなことを聞かれるとは思っていなかった。
恋冬「大丈夫なら…でも、本当に病気が……」
最後まで言い切る前に碧春は笑った。
碧春「だから大丈夫だって」
胸を叩きながら自信満々に言う。
碧春「俺の能力と特性的に平気なんだよ!生まれてこの方、病気も風邪も引いたことないしな!」
そうして軽く手を振りながら教室を後にした。
恋冬はその背中を、しばらく見つめていた。
それが二人の出会いだった。
孤独だった少女と、真っ直ぐすぎる少年。
休み時間のたびに顔を合わせ、他愛ない話をして、少しずつ笑う時間が増えていく。
気づけば二人は誰よりも近い存在になっていた。
そしてその出会いは、やがて恋冬の人生そのものを大きく変えていく




