幽間世界へ
夜が深まり、公園は完全に静まり返っていた。
夕方まで賑やかだった芝生には今は穏やかな寝息だけが残っている。
風も止み、虫の声すら遠のいた静寂の中で、誰にも気づかれないまま
…何かが現れた。
それは闇でも光でもなかった。温度も重さもなく、ただ眠る全員をそっと包み込む。
危害も抵抗する間もない。
まるで夢の続きをなぞるようにその存在は彼らを覆い、そして静かに消えた。
最初に目を覚ましたのは紗夜だった。
紗夜はゆっくりと目を開き身体を起こす。視界に映るのは見慣れた空と芝生、そして眠る仲間たちだった。
紗夜「……みんな」
紳漓も紫暖も昴琉も朧偈もいる。添霧もすぐ隣にいた。
一見すると何も変わっていないけれど、紗夜はすぐに違和感を覚えた。
空が少し近く
色がほんのわずかに淡い
そして何より、音がない
遠くを走る車のような音も人の気配も聞こえない。
世界そのものが一枚薄くなったような不自然な静けさだった。
紗夜「……ここ、同じ?でも……」
言葉にできない違和感を抱えたまま周囲を見回していると、隣で添霧が目を覚ました。
添霧「ん…あれ…?」
身体を起こした添霧は周囲を見渡し、すぐに表情を曇らせる。
添霧「ここ、静かすぎない?」
その声に反応するように、他の者たちも次々と目を覚ました。
朧偈「にん…にん!?」
勢いよく飛び起きた朧偈が周囲を警戒する。
朧偈「…敵襲でござるか!?」
昴琉「落ち着け」
昴琉は起き上がりながら周囲を見渡し、眉をひそめた。
昴琉「いや、これは……」
その時、紳漓もゆっくり身体を起こして
紳漓「…来たか?」
紫暖「……あなた知ってるの?」
紳漓「いや……」
紳漓は静かな空を見上げる。
紳漓「せやけど……嫌な静けさや」
誰もが同じ違和感を感じていた。
見慣れた景色のはずなのにどこか決定的に違う。
紗夜は地面に手をついた。
紗夜「……冷たい」
芝生の感触はあるが、どこか不自然だった。
柔らかさも硬さも均一で、本物の土とは思えない。
添霧も同じように地面を見つめる。
添霧「…ここ、生と死の境目に近い…気が…」
全員の視線が添霧へ向いた。添霧はゆっくりと言葉を続ける。
添霧「完全にあっち側でもないし…でも、こっちでもない」
紗夜「……つまり、違う世界?」
添霧「うん!名付けて、幽間世界!…とか!」
紗夜「変なの」
添霧「傷ついたー!」
その名前が静かに落ちる。
誰も聞いたことのないはずの言葉なのに、不思議としっくりきた。
生者の世界でもなく、死者の世界でもない。
その狭間に存在する場所。
_幽間世界
紫暖はゆっくり立ち上がり、自分の手を見つめた。
紫暖「…ここ、私の存在が少し軽いわ」
紗夜「……消えそう?」
紫暖は小さく首を振る。
紫暖「いいえ、まだ大丈夫…でも長くはいられない世界ね」
その言葉に空気が少しだけ重くなる。紗夜は拳を握った。
紗夜「……戻れる?」
紳漓「戻る方法は……」
周囲を見回しながら答える。
紳漓「探すしかあらへんな」
その時色の薄い風が静かに吹いた。
優しげな景色の中にいるはずなのに、この世界はどこか彼らを歓迎していない。
そんな感覚があった。添霧は紗夜の隣へ移動
添霧「大丈夫、一緒にいる」
紗夜は小さく頷いた。
紗夜「…うん」
眠っていただけのはずだった。
それなのに、目を覚ました時には世界が一段ずれていた。
ここは現世でもなく、死後の世界でもない。
生と死の狭間に存在する場所_幽間世界。
そして誰も知らない。
彼らが今、どれほど深い境界の内側へ足を踏み入れてしまったのかを。
そして、歩き出して最初に気づいたのは奇妙な違和感だった。
紗夜が通りを見渡しながらぽつりと呟く。
紗夜「……家」
店もある。道路もある。信号もある。街としての形は確かに存在していた。
それなのに――住宅がない。
どこまで見渡しても、人が帰るための場所だけが存在していなかった。
昴琉は周囲を観察しながら眉をひそめる。
昴琉「…おかしいな。街なのに生活の匂いがない気がします」
朧偈は落ち着かない様子で辺りを見回した。
朧偈「にんにん…忍の勘がざわつくでござる……」
昴琉「忍の勘ってなんだ」
添霧は止まり、小さく呟く。
添霧「ここ、留まれる世界じゃないね」
その言葉は不気味な静けさの中へ溶けていった。
しばらく進むと前方に人影が見えた。普通の服を着ていて歩き方も自然だ。
紗夜は警戒しながらも近づこうとする。
紗夜「……人?」
だがその人物がゆっくり振り返った瞬間、全員の足が止まった。
目が合う…が、その目には何も映っていなかった。
瞬きも呼吸も感じないその顔には感情さえもない。
ただそこにいて歩いているだけ。まるで人の形をした抜け殻だった。
紳漓が低く声を出す。
紳漓「……おい。止まっとき」
呼びかけても反応はない。
その人物は何事もなかったかのように通り過ぎていく。
すれ違う瞬間一瞬だけ紗夜を見た気がしたけれど、本当に見たのかどうかさえ分からない。
添霧は不安そうにその背中を見送った。
添霧「…生きてる人じゃないけど死んでるとも言えない」
紫暖が静かに目を細める。
紫暖「……残像みたいね」
さらに進んだ先の曲がり角で空気が変わった。
まとわりつくような嫌な気配が周囲を覆う。朧偈が鋭く叫んだ。
朧偈「_敵襲!?」
次の瞬間、路地の奥から闇のようなものが滲み出した。
人の輪郭をしているが顔は曖昧で、目も口も定まらない。
見ているだけで寒気が走る。紳漓が即座に声を張って
紳漓「配置!」
兵士たちが現れ前へ出る。しかし敵は一体ではなかった。
路地の奥、建物の影、何もない空間から次々と現れる。
昴琉「数が…!」
添霧は歯を食いしばった。
添霧「こいつら紗夜が生きてるって分かってる?!」
紗夜は木刀を握り直す。
紗夜「…狙われてるんだ」
敵を撃退しても安心はできなかった。少し進めばまた現れる。
街灯の下、横断歩道の向こう、公園だった場所の奥から。
まるで街全体が彼らを監視しているかのようだった。
朧偈が息を切らしながら叫ぶ。
朧偈「にんにん!キリがないでござる!」
紫暖は周囲の気配を探る。
紫暖「この世界は生きているものを拒んでいるのかしら、?」
だが紳漓は首を横に振った。
紳漓「いや…逆や」
その視線は街の奥へ向けられている。
紳漓「…欲しがっとる気がする」
その一言に誰も反論できなかった。やがて一行は休める場所を探し始める。
だが現実はさらに厳しかった。建物の扉はすべて閉ざされている。
押しても引いても…窓の向こうも見えない。
まるで黒い塗料で塗り潰されたように何も映らなかった。紗夜が静かに
紗夜「…泊まれないし休めない」
添霧も頷く。
添霧「うん、この世界は滞在を許してないね」
気づけば空は暗くなり始めていた。しかし街灯も店の明かりもない。
夜だけが静かに近づいてくる。紗夜は拳を握った。
紗夜「ここ、嫌い」
添霧は隣へ並ぶ。
添霧「分かる!でも一人じゃないよ」
昴琉が短く言う。
昴琉「守る」
朧偈も力強く頷いた。
朧偈「にんにん!拙者もでござる!」
紫暖は優しく微笑む。
紫暖「大丈夫、必ず出口はあるわ」
紳漓も振り返り、皆を見た。
紳漓「…せやけど、長居は禁物やな」
遠くの建物の隙間で何かが動いたが誰も正体は見えなかった。
それでも確かに、こちらを見ている気配だけはあった。
ここは街なのに帰る家がない。生きているのに生を歓迎されない。
そんな異質な世界での彼らの探索は、まだ始まったばかり




