平和な今日
庭には朝の光が降り注いでいた。空は淡い泡緑色。
つい先ほどまで張り詰めていた空気が嘘のように、鳥たちの鳴き声が穏やかに響いている。
しかし当の夜刀神家の面々は、誰一人として動かなかった。
「……………………」
妙に長い沈黙が流れる。
その静寂を最初に破ったのは朧偈だった。
朧偈「……にんにん?」
全員「「「今それ言う!?」」」
突然の総ツッコミに、朧偈はきょとんと目を瞬かせる。
朧偈「いや拙者、空気が重すぎて呼吸しづらかったゆえ……!」
紳漓は額を押さえながら深いため息をついた。
紳漓「お前なぁ……もうちょいタイミング考えぇや……」
昴琉は真面目な顔のまま頷く。
昴琉「…でも、確かに空気は切り替わった」
紳漓「それはそれでどうなん!?」
そんなやり取りをよそに、紗夜は静かに木刀を片付けていた。
そして何事もなかったように口を開く。
紗夜「……お腹すいた」
全員「「「え」」」
添霧が慌てて身を乗り出した。
添霧「さ、さな……!」
紗夜「…紗夜」
添霧「あ、そ、そう!紗夜!!」
紗夜「……朝ごはん」
その言葉を聞いた瞬間、紫暖の表情がぱっと明るくなる。
紫暖「まぁ……!じゃあ、すぐ用意するわね」
紳漓は思わず頭を抱えた。
紳漓「え、待って……今、人生最大級の修羅場終わった直後やで……?」
紗夜は淡々と答える。
紗夜「生きてるから」
少し間を置いて続けた。
紗夜「…食べる」
紳漓「強すぎひん???」
その後、朝食の席には湯気の立つご飯と味噌汁、焼き魚が並んだ。
添霧はそれをじっと見つめながら感動したように呟く。
添霧「…すご、ひとの朝ごはん眩しい……」
朧偈は箸を持ちながら首を傾げた。
朧偈「添霧殿、幽霊殿は食べられるでござるか?」
添霧「食べられない!」
元気よく答えたあと、満面の笑みで続ける。
添霧「でも見てるだけで楽しい!」
昴琉は真顔だった。
昴琉「それ、精神的に健康なのか?」
添霧「ド健康!!」
力強い断言だった。
紗夜は焼き魚を一口食べ、小さく呟く。
紗夜「……おいしい」
その言葉だけで、紫暖は嬉しそうに微笑んだ。
紫暖「ふふ、よかった」
すると添霧が突然身を乗り出す。
添霧「さなも!」
紗夜「…紗夜」
添霧「あっ!」
紗夜「……三回目」
添霧「ごめん!三回目はアウトだよね!?」
食後、紳漓は腕を組んで全員を見回した。
紳漓「まぁ……色々あったが…とりあえず、今日一日は平和ってことでええか?」
一同は少し考える。
朧偈「にんにん賛成!」
昴琉「……異論はない」
紫暖「ええ、ゆっくりしましょう」
添霧「平和最高!!」
そして紗夜は一言。
紗夜「…洗濯したい」
紳漓「生活感!!!!」
盛大なツッコミが飛ぶ。紳漓は笑いながら肩をすくめた。
紳漓「ほんまこの子…強すぎるやろw」
その日の夕方。
添霧は庭をふわふわと漂いながら空を見上げていた。しばらくして、ぽつりと呟く。
添霧「…さな」
すぐに自分で気付いた。
添霧「……紗夜」
そして少し照れくさそうに笑う。
添霧「でも、紗夜が笑ってくれてよかった!」
紗夜は少しだけ考えたあと、首を横に振った。
紗夜「…笑ってない」
さらに続ける。
紗夜「……平常」
添霧「ええ!?」
驚く添霧の後ろで、紫暖がくすりと笑った。
紫暖「ふふ、それがこの子の笑顔よ」
添霧「レベル高すぎない!?」
庭には笑い声が広がる。平和はちゃんと戻ってきていた。
昼前、夜刀神家の玄関では買い出しの準備が整っていた。
紳漓が軽い調子で「ほな、食材買いに行こか〜」と言うと、昴琉は買い物メモを手にし、朧偈は忍者袋を肩に下げ(?)紫暖は籠を持つ。
それぞれが当然のように動く中で、紗夜は静かに靴を履いていた。
そこへ浮かんだままの添霧が元気よく声を上げる。
添霧「買い出しだ〜!!」
紳漓「テンション高すぎやろ」
添霧「だって!街だよ!平和だよ!脅威少なめだよ!!」
紳漓「全部感嘆符つけんでええ」
そんなやり取りのまま一行は市場へ向かった。市場は人外も混じる賑やかな場所
露店には野菜や見慣れない肉、よく分からない乾物が並んでいる。
朧偈は干し魚を見つけるなり目を輝かせた。
朧偈「にんにん!この干し魚、投擲に向いてそうでござる!」
紳漓「食材や!!武器ちゃう!!」
昴は淡々と値段を比較し、紫暖に安い方を示す。
昴琉「……母さん、こっちの方がいいかも」
紫暖「ありがと昴琉!」
その様子を見た添霧は感動したように呟いた。
添霧「家族だ……」
紳漓「今さらなん!?」
やがて屋台で焼き団子の匂いに紗夜が足を止める。添霧がすぐ横から覗き込んだ。
添霧「いい匂いだね!」
紗夜「……そう」
店主が「嬢ちゃん、一本どうだい?」と声をかけると、紫暖が穏やかに笑って答える。
紫暖「じゃあ、2本くださいな」
添霧はその言葉に一瞬だけ肩を落とす。
添霧「え!?二本!?」
紫暖「?えぇ。二本」
そんなやり取りの後、紗夜は団子を受け取ると、少し考えてから紙を一枚もらい、その上に団子を置いて地面へそっと置いた。
添霧「……?」
紗夜「墓のお供えみたいな」
添霧「え??」
紫暖がそこで気づいたように小さく目を細める。
紫暖「あら、もしかして……」
添霧が恐る恐る手を伸ばす。指先が団子に触れた瞬間、空気が止まった。
添霧「…………」
そして一口。
添霧「…………食べれる!!?」
一同「「「!?」」」
添霧は続けて二口目をかじりながら叫ぶ。
添霧「食べれる!!噛める!!味する!!!」
朧偈「にんにん!?幽霊殿、進化でござるか!?」
昴琉「理屈が全く分からない…!?」
紳漓「今まで誰も試さんかったんか……」
紫暖は静かに微笑みながら言った。
紫暖「きっと、お供えするって行為が、境界を越えさせたのね」
添霧は感動で震えながら紗夜へ振り返る。
添霧「さな…紗夜!!ありがとう!!」
紗夜「別に。墓参りしてたから思いついただけ」
その言葉は素っ気なかったが、ほんのわずかに口元が緩んでいた。
その後の帰り道、添霧は完全に調子に乗っていた。
添霧「次これ!次これも!!」
紳漓「調子乗りすぎや!!」
朧偈「拙者もお供え忍者団子、試してみたいでござる!」
昴琉「市場で全部買い尽くす気か……」
紫暖「ほどほどにね、添霧くん」
添霧「はーい!!」
五秒後。
添霧「これもいけるかな!?」
紳漓「聞いてへん!!!」
夜くらいの夕飯前。添霧は床に正座し、紙の上に置かれた小さなおにぎりを見つめていた。
手を合わせると、そっと口に運ぶ。
添霧「……いただきます!」
一口かじった瞬間、目が見開かれる。
添霧「…うんま……」
涙目になりながらぽつりと続ける。
添霧「ひとのご飯……うま……」
紗夜は横で静かにそれを見ていた。
紗夜「…よかった」
添霧は振り向き勢いよく言う。
添霧「さな……紗夜!!僕、一生ついてく!!」
紗夜「……重い」
紫暖はくすりと笑った。
紫暖「ふふ、今日も平和ね」
こうして、幽霊がご飯を食べられるというとんでもない事実は、ごく自然に日常へ溶け込んでいった。
その後の夜、夜刀神家の居間は夕飯を終えて静けさを取り戻していた。
その中で、添霧だけが畳の上に正座したまま微動だにせず固まっている。
紗夜「……添霧?」
紗夜が淡々と声をかけると、ようやく小さく反応が返ってきた。
添霧「……さな…うん……」
紫暖は湯呑みを置きながら首を傾げる。
紫暖「あら……どうしたの?」
添霧はお腹のあたりを押さえたまま、弱々しく答えた。
添霧「……なんか……重い……」
その一言に、場の空気が一瞬止まる。
紳漓「……は?」
昴琉「…重い?」
朧偈「に、にんにん……?」
紳漓は腕を組みながら状況を整理するように言った。
紳漓「……今日、何食うた?」
添霧は指を折りながら思い出す。
添霧「団子二本、お供えおにぎり三つ、焼き魚一欠片、味見って言われた煮物、あと……気づいたらクッキー」
紫暖が目を瞬かせる。
紫暖「……クッキー?」
紗夜は静かに答えた。
紗夜「……私の」
紗夜「勝手に供えた」
紳漓「やめぇや!!」
昴琉は冷静に結論を出す。
昴琉「……それは、食べ過ぎでは?」
添霧はきょとんとする。
添霧「え…幽霊でも……?」
全員「「「幽霊でも」」」
一斉に重い現実が突きつけられた瞬間だった。
添霧は困惑したまま呟く。
添霧「僕、消化器官ないよね…?」
朧偈は真面目に頷く。
朧偈「確かにでござる……」
紫暖は少し考えてから静かに言う。
紫暖「食べられるようになった以上、負担も発生するのかもしれないわね」
添霧「仕様が追いついてない!!」
紳漓「知らんがな!!」
その直後、添霧はふらりと立ち上がろうとして、そのまま畳に崩れ落ちた。
添霧「……う…世界が……紙皿みたいに……揺れてる……」
紳漓「比喩が弱ってる奴のそれや!!」
昴琉「…横になった方がいいです」
紫暖「そうね」
すぐに布団が用意される。なぜか幽霊用の布団まで自然に用意されているのが、この家の順応力だった。
布団に横になった添霧は、申し訳なさそうに呟く。
添霧「……さな…ごめん、調子に…乗った……」
紗夜は少しだけ間を置いてから答える。
紗夜「学習して。次は量」
添霧「はい……」
そのまま夜は更け、しばらくして布団の中から小さな声が漏れる。
添霧「……あ……ちょっと……楽になった……」
紫暖は安心したように微笑む。
紫暖「よかったわ」
紳漓は腕を組みながら結論を出した。
紳漓「ほな結論やな。幽霊でも食べ過ぎたら胃もたれする」
朧偈「にんにん……人生の教訓でござる……」
昴琉「…ゆ、幽生か」
紗夜はぽつりと呟く。
紗夜「…明日はお粥」
布団の中から即座に反応が返る。
添霧「優し、すき……」
紗夜「…言い方、考えて」
添霧「ごめん!!」
こうして夜刀神家では、幽霊の食生活にも節度が必要だという……誰も得しない知識が静かに追加されたのだった。
シリアス1本の空気で行くのは私の心と語彙力が持たないもので
朧偈に空気転換させました
夜刀神家を楽しく描きたい




