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幽間世界  作者:
18/83

夜に立つ少女



夜の風は冷たかった。紗夜は眠れなく、ただ一人で散歩していた


夜刀神家の灯りから少し離れた道を静かに歩く。


昼間とは違う静寂が辺りを包み込み、聞こえるのは自分の足音だけだった。


……そのはずだった。


紗夜「……」


足を止める


自分以外の足音が混じっていることに気づいたのはほんの数秒後だった。


……後ろ。


そう理解した瞬間も紗夜は振り返らない。


気のせいかもしれないなんてそんな考えがまだ少しだけ残っていた。


だが次の瞬間その可能性は消えた。道の向こうに人の形をした何かがいる。


けれど人ではない。人外なのは明らかで


輪郭は曖昧。身体の一部は闇そのもののように揺らめいて、髪にも見える黒い何かが地面を這い……不気味に蠢いていた。


紗夜「……誰」


返事はない代わりに影が動いた。闇が音もなく地面を滑りこちらへ伸びてくる。


紗夜「……っ」


反射的に一歩下がる。


しかし遅く、足首に冷たい感触が絡みつく。


まるで生き物のように身体が引き寄せられる。


紗夜は声を上げずただ状況を見極める。


……怖いけれど混乱はしていない。

胸の奥で教わった言葉が蘇る。



生きるための動きを覚えろ


勝つためやない


…帰るためや



紗夜は腰に下げていた木刀を握った。


斬れないことも、倒せないことも分かっている。


紗夜「……線を、引く」


小さく呟き腕へ絡みつく闇に向かって木刀を振る。風を切る音と共に闇がわずかに揺らいだ。


完全には解けないが締め付けがほんの少しだけ緩む。


その一瞬を逃さず紗夜は距離を取った。


影が初めて反応する。


「……人間」


耳に残る不思議な響き。


「…お前……」


闇が再び動く。

今度は足元から、背後から、左右から無数の黒い帯が紗夜を包囲する。


紗夜「……っ」


呼吸が浅くなる。逃げ道は狭いが、木刀を握る手は離さない。


勝てないなんてことは最初から分かっている。

でも時間を稼ぐ。


助かる可能性を捨てないために立っている。

すると影が不意に動きを止めた。


「…█って█い」


誘うような声が近づく。闇の奥から茶色いような、黒いような二つの瞳だけが浮かび上がった。


紗夜は黙ったまま見返す。


「人間はもっと██に█れるものだと思っていた」


黒い影がゆっくりと近づき、首元まで闇が伸びて指のような形を作りながら喉元の寸前で止まった。


触れてはいないのに冷たく、骨の奥まで冷えるような感覚。


だがそれでも視線だけは逸らさなかった。


紗夜「…触らないで」


震える声だった。それでも言葉は届き、影の瞳がわずかに細まる。


「…拒絶か」


低く笑うような声。


「いい。続けてみろ」


闇がさらに強く蠢き空気が重くなる。足元の影が広がるのを見ながら紗夜は木刀を握り直した


手が震えているが構える。


逃げるため


生き残るため


夜は深い。静かだった道はいつの間にか異様な空気に支配されていた。


そして、闇が消えたかと思えば紗夜を抱き寄せる。背中から腕を回し、所有物のように


「……動くなよ」


低い声が耳元で落ちるが紗夜は呼吸を乱さないようにしていた。


怖いけれどまだ終わっていない。

…そう思えた。なぜかは分からない。


それでも来る、そんな確信があった。


その時だった。




昴琉「_そこまでです!」


空気が震えたと同時に闇が一瞬だけ緩む。


人外が顔を上げた先には屋根の上から一つの影が飛び降りる。

昴琉だった。


魔力の光が夜を切り裂くが、人外は即座に紗夜を盾にした。


昴琉「……ちっ」


放とうとしていた魔術を寸前で止める。


昴琉「…卑怯な手を」


その声には普段の落ち着きとは違う鋭さが滲んでいた。


添霧「さな!!」


別の声が響く。紗夜の視界の端に淡い影が滑り込む。


添霧「大丈夫!?」


紗夜「……まだ」


短い返答だが、それだけで十分だった。


添霧の表情が引き締まる。人外がゆっくりと添霧を見て


「……幽霊か」


添霧「そだよ!」


いつも通りの明るい声だけれど、その目は笑っていなかった。


添霧「…だからさ」


「??」


添霧「"解放しろ"!!」


次の瞬間闇が弾かれ、添霧の力が紗夜と人外の間にある境界を強引に押し広げた。


「……!?」


拘束がわずかに緩む。


添霧「今!!」


迷いはなかったが直接人外は狙わない。


狙うのは紗夜を拘束している箇所だけ。


昴琉の魔術陣が瞬時に展開され、光の線が夜空を走っては闇が裂ける。


人外は後退したが紗夜の身体が前へ倒れそうになる。


添霧「さな!!」


添霧はすぐに飛び込みその身体を抱き止めた。


添霧「大丈夫?」


紗夜は息を整えながら答える。


紗夜「……紗夜」


添霧「あ、ごめん!」


こんな状況でも名前を間違えたことを指摘される。


それが妙にいつも通りで、紗夜は少しだけ肩の力が抜けた。


それでも添霧は手を離さない。人外はゆっくりと距離を取った。


「……面倒だな。娘一人にここまで集まるとは」


昴琉が紗夜を庇う位置に出て


昴琉「もう終わりだ」


「……そいつを返せ」


昴琉「断る」


添霧も前へ出て


添霧「さなは連れて行かせない!」


魔術と霊力の二つの気配が重なる。人外は不機嫌そうに舌打ちした。


「……今回は退く」


闇がゆっくりと溶け始めるが、その瞳だけは最後まで紗夜を見ていた。


「……だが次は、一人の時を選ぶ」


冷たい声を残し、人外の姿は夜の中へ消えていった。


静寂が戻る。さっきまでの異様な気配が嘘のようだった。

昴琉はすぐに紗夜へ向き直る。


昴琉「怪我は?」


紗夜「…ない」


昴琉「本当に?」


紗夜「…大丈夫」


昴琉はしばらく紗夜を見つめていたが、ようやく小さく息を吐いた。添霧も胸を撫で下ろす。


添霧「よかった……」


紗夜は二人を見た。

胸の奥に残っていた冷たさが少しずつ消えていく。


紗夜「……来てくれて、ありがとう」


その声は少しだけ震えていた。

昴琉は拳を握る。


昴琉「一人にした俺の責任です」


紗夜「違う」


昴琉「……」


紗夜「私が、出た」


短い沈黙が落ちる。その空気を壊すように添霧が明るい声を出した。


添霧「でもさ!」


添霧「ちゃんと勝ったよ!」


添霧「三人で!」


その言葉に紗夜は少しだけ目を伏せる。それから静かに言った。


紗夜「…次は一人じゃ行かない」


昴琉は小さく頷いた。


昴琉「約束ですよ」


添霧「よし!」


添霧は安心したように笑った。

夜はまだ終わらない。危険が消えたわけでもない。それでも今夜は違っていた。


誰かが助けに来てくれた。誰かと一緒に立ち向かった。そして守られた。


あの日とは違う。一人ではなかった。


紗夜が夜空を見上げると、冷たい風は相変わらず吹いているのに不思議と先ほどまでの恐怖は薄れていた。


隣には添霧がいて少し前には昴琉が立っている


その背中を見ていると、胸の奥に残っていた不安が少しずつ溶けていくようだった。


だからこの夜は確かに、守り切った夜だった。


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