三
「邪魔したわね、宇賀君。じゃあね」
店内を隈なく写真に収めた女は、そう言って店を出て行く。
トイレの中からシャッター音が聞こえてきた時には注意しようかとも思ったが、面倒なので放っておいた。
自動ドアが閉まり、流れたメロディーが止まって一拍程おいた後、宇賀が呟く。
「…人がいる時にあまり話しかけてくるな」
(無視すりゃいいだろ)
「集中力が途切れる」
(はは、だからあんな間抜けな勘違いしたのか)
「うるさいぞ」
(いてててて)
宇賀は左の腰を思い切りつねり上げると、店の奥に視線をやった。
雑誌コーナーの前には先程までと変わらずに女が一人佇んでいる。
立ち読みをするようでも、何かを物色しているようでも無い。
ただ、一点を注視するようにしてジッと動かずそこにいた。
(また邪魔が入ったら面倒だ。さっさと済ませるぞ)
「……」
宇賀はレジを出て、女の元に歩み寄る。
近付いていっても、女は特に気にかける様子も無い。
まるで宇賀を認識していないか。
もしくは認識されないと思っているかのように。
「あの」
トイレに入る通路と雑誌コーナーの間には監視カメラがあり、店内を捉えている。
その丁度真下、カメラの死角に入ると宇賀は女に声をかけた。
その"見た目"から反応が無いことも考えたが、女は酷く緩慢な動きでこちらを振り向いた。
(( ……ァ………ギ……… ))
(はは、こりゃひでえ)
毛先がチリチリに縮れ、黒く焼け焦げた髪。
そこから覗く、白濁した両目が宇賀を向いた。
女の肌は赤黒く焼け爛れ、頬の皮膚はべろりと痛々しく剥がれ落ちている。
身に着けた衣服はかろうじて残っていたがボロボロで、煤なのか血なのか分からない黒い染みが全体にこびり付いていた。
「火事…かな」
(十中八九な。ウェルダンってところか。くく)
「やめろ。…僕の言葉、分かりますか?」
(( カ………ヒュ……… ))
女は何かを求めるように、宇賀に右手を伸ばす。
水分を失った手はミイラのように皮膚が収縮し、爪があらぬ方向にめくれ上がっている。
そのままゆっくりと宇賀に近付くと、震える手で宇賀に縋り付いた。
服の裾に、シワが寄る。
(( ゲ……… ))
(喉まで焼かれてるっぽいな。聞こえてても喋れないんじゃねえ)
「……苦しいってことか」
(良かったな、お前の言う所の『当たり』だろ)
「かもな」
女が傍に寄ると、ひゅうひゅうと、気管を空気が通る音が微かに聞こえる。
焦げたタンパク質特有の異臭がツンと鼻をついた。
「ごめんなさい」
宇賀は痛々しく変色した女の肩を優しく抱き、そのままそっと抱き寄せた。
ピクリ、と女の肩が震えた―――ような気がする。
(( ァ……… ))
「いただきます」
ず
音が鳴る。
(( ……? ))
女が右腕を引く。
先程まで宇賀の服を掴んでいた右手が、手首の先から消失していた。
皮膚が収縮して顔が文字通り強張っていた女の、虚ろだった目が、剥かれた。
(( ィ……!? ))
宇賀の左の腹部、シャツとズボンの隙間からぬるりと何かが飛び出した。
女の懐に潜り込むように伸びた”それ”には、潰れたような目玉が二つと、醜くひしゃげた口が一つ。
その口が、女の身体を啜り始めた。
ず、 ず ず、 ず
(( ァ、ギィ…ァッ……! ))
(はは。意外に活きがいいな)
中心から貪られて身体を消失させていく女が、宇賀の腕の中で暴れる。
つられた宇賀もふらつき、雑誌棚に身体をぶつけて本が何冊か落ちた。
恐慌をきたした女は両腕を振り回して宇賀を力無く叩き、
その左手だけがいやに青白く、綺麗なままでいるのを宇賀は視界に捉えた。
ず
ずず ず
ず ガ ずず
ず ず ァッ
ず ず …! ず
ずっ
(ごっそさん)
宇賀の目の前で、女は消えた。跡形も残さず。
深夜の店内に静けさが戻る。
「…いつも言ってるけど、食う時に音立てるなよ」
(こうした方が旨いんだよ。蕎麦と一緒)
「下品」
(なら俺からも言わせてもらうがな、”食事”の前にいちいち謝るな。飯が不味くなる)
「…僕が食ってる訳じゃない」
(あっそ…ま、でも今回は悪くなかったな)
宇賀がズボンの左側をずり下げると”それ”はシュルシュルと縮み、鼠径部の位置に収まった。
後に残ったのは手の平程の大きさの青黒い痣。
そこについた2つの目が、ギョロリと宇賀を見上げた。
(焼死体なんてなかなかお目にかかれないが、香ばしくて乙なもんだったぜ)
「……」
(まあちっと油臭かったが…おい、どうした)
「……いや」
何の気なしに雑誌の棚に視線を落としながら、宇賀はボンヤリと先程の光景を思い出す。
全身に痛ましい火傷を負い、身動きすらままならぬ様子だった女の、左手。
まるでそこだけが血の通ったようで、他の部位とは対照的にアンバランスで、美しかった―――
ティロリロ ティロリロ
入店を告げるメロディーと、
カシャ
シャッター音が店内に響いた。
「っ…!?」
ギョッとした宇賀が慌てて入り口の方を振り返る。
「…ハ、ハロー」
そこには、先程までいた喪服姿の女が立っていた。
フィルムカメラを構えて。
「……」
「…えっと、さっきまで店の外をぐるぐる回って写真を撮ってたのよ。そしたらなんだか物音が聞こえたから…」
宇賀が固まったままでいると、女は気まずそうに笑って弁解するように口を開き、宇賀から視線を外した。
その顔は心なしか紅潮しているようにも見える。
「そしたらなんか、心霊写真よりもすごいものが撮れちゃったっていうか…」
宇賀は店の外に視線を移すと、そこには軽自動車が一台停まっていた。
店内を出たはいいが、店から離れる所まで確認しなかった。
酷い失態だ。
見られた?
いや、そればかりか撮影された?
どうすべきだ?
宇賀が頭の中でグルグルと思考を巡らせていると、女が一つわざとらしい咳払いをした。
「宇賀君、若気の至りっていうのはね、お姉さんも分かるんだけど」
「…は?」
若気の至り?
内容が見えない。
「でもその…流石にアルバイト先の、しかも店内でそういう事するのは、ちょっとマズいんじゃないかなあ…?」
「は」
そういう事?
宇賀は今一度、周囲を確認する。
足元に散らばった雑誌。
それらの多くは青年向けというか、女性が扇情的なポーズで表紙を飾っているものだった。
中には落ちた拍子にテープが外れたのか、ページがめくられているものもあった。
よりにもよって、グラビアのページで。
そして自分はと言えば。
左手をズボンとパンツのウエストにかけ、ずり降ろしている。
身体が女の方を向いていないのが不幸中の幸いというか、なんというか。
ああなるほど、そういう。
宇賀は女の考えに思い至ると、安心と羞恥がない交ぜになって思わず呻いた。
「まあお姉さん気にしないけどね?人の性癖ってほら、色々あるし。口出しするような柄でも無いし。そこは全然気にしないんだけど」
女はそう言うと、手に持っていたカメラを掲げてにっこりと笑った。
「ところで宇賀君、次のシフトいつ?」
「……」
(バレてねえみたいで良かったじゃねえか、変態)
嘲るような、いやに甲高い声が宇賀の頭の中に響く。
ズボンを戻しがてら、左腰の辺りを思い切り抓っておいた。
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