二
「まっ…たく、って事は無いでしょ?」
「いえ、全くありません。至極平穏な職場です」
怪訝な顔をする女に対して、出来るだけはっきりとした態度で答える。
こういう手合いには隙を見せてはいけない。そう教わった事がある、気がする。
「じゃあ、噂とかでもいいのよ。そういう話を聞いた事、無い?」
「ありません」
「バイトの先輩とか、周りの人からも?」
「ありません」
「面接の時とかに、ちょっと耳に挟んだりとか…」
「そんな職場嫌でしょう。誰も入りませんよ」
半分本当で、半分嘘だ。
バイトの面接の時には店長が対応してくれたが、最後の方、因みになんだけど、と聞かれたことがある。
『この店の噂とか、何か聞いたことある?』と。
ありません、と答えると、そう、と曖昧に店長が笑って話は終わった。
「ちょっとおかしいなと思った事とか…どんな些細な事でも良いんだけど。思い出せない?」
「全く」
「……宇賀君ってさ」
宇賀の言葉に、女は納得がいかないらしい。
眉を顰め、何かを考えるように少し黙った後、言った。
「ちょっと霊感無さすぎなんじゃない?」
「……ぶっ!!」
突然店内に響いた破裂音に、女が目を丸くした。
最悪だ。
宇賀は左の腹部を手で押さえると、グリグリと力を入れてさすった。
「…すみません。ちょっとお腹の調子が悪くて」
「あ、ああ。気にしないで。あるあるそういう時。私も便秘になるとね、ガスが溜まってもう大変なんだから」
(そんなフォローいらない…)
「はあ…そう。空振りだったかしら」
女は一つ溜め息をつくと、後ろを振り返り店内を眺めた。
「宇賀君は、幽霊って信じる?霊感無さそうだけど」
「…どうですかね。あんまり考えた事無くって」
「いくらそういう物に無関心だからって、深夜に一人で店番してたら嫌でも考えちゃわない?」
「講義の事とか、バイトの事とか、他の事考えてるんで」
「そう?私はねえ、幽霊がい―――」
「お客様」
聞けば聞くだけ話が長引きそうだが、こちらにはやる事がある。
出来る限りの愛想笑いを浮かべて、女の話を強引に遮った。
「買い物されないのであれば、出来れば長時間の滞在は遠慮願いたいのですが」
「あら、今時の若い子は冷たいわねえ…年上のお姉さんとお喋り出来て楽しくない?」
(引っ込んでろよババア)
「…こちらで対応しかねる時は、警察に連絡させていただきますけど」
「あーオーケイオーケイ。平和的にいきましょう。買い物をすればいいんでしょ?ちょっと待ってなさい」
欧米人のような身振りで肩を竦めると、女は店の奥へと戻っていく。
入店した時と逆向きの順で店内を回る女性は、惣菜やお菓子が陳列された棚の間をぶらぶらと歩き回る。
その間も目線はきょろきょろと辺りを忙しなく彷徨っていて、傍から見れば不審者か万引き犯だ。
「…あら」
ふと、雑誌コーナーの前、そこに佇む女性の前で足を止めた。
その背後からゆっくりと女性の背中に右手を伸ばし、
―――その右手は一切の抵抗無く、女性の身体をすり抜けた。
「……」
そのまま一冊の雑誌を手に取り、何やら顔を顰めて眺め回しているのを宇賀はただ静かに見ていた。
程なくしてレジに戻ってきた女性が手に持っていたのは、実体験を元にした話がいくつか掲載されているホラー雑誌だった。
なんともまあ、相当な好き者らしい。
「単行本は分かるけど、雑誌まで封がしてあるのはちょっとどうなの?」
「文句ならウチの本部かこのご時世にお願いします」
雑誌を手に取り、スキャナでバーコードを読み込む。
「宇賀君、次のシフトっていつ?」
「550円です」
「出来ればこの店の噂について、聞いておいてもらえるとお姉さん嬉しいんだけど…はい、QRコード」
「プライバシーに関わるので。すみません」
「むう…分かったわよ」
バイトの度にこんな話に付き合わされたんじゃたまったもんじゃない。
すんなりと引き下がってくれた事に、ホッと胸を撫で下ろす。
(なんだ、連絡先ぐらい聞いとけよ。へたれ)
「でもね、一つだけお願いがあるの。いい?」
「…なんですか?」
「写真。撮らせてもらっていいかしら」
「嫌です」
「えーお願い。撮ったらすぐに帰るから」
「…変な事に使わないでくださいよ」
「だーいじょうぶ。私こう見えて良識ある大人だから」
良識ある大人は深夜のコンビニで見ず知らずの店員にこんな話持ち出さないだろう。
そう思っている宇賀を余所に、女は持っていた鞄から小ぶりなフィルム式カメラを取り出した。
まあスマホではなく現像するタイプであれば、少なくとも妙な広められ方はしないかもしれない。
「………はあ、分かりましたよ」
いくらこの店のバイトが暇だとはいえ、すべき事はある。
写真を撮られるのは嫌だったが、さっさとこのやり取りを切り上げる事を宇賀は選んだ。
「はい、どうぞ」
小さく息を付いて、宇賀は姿勢を正した。
足は肩幅に、手は少し迷ったが、身体の前で軽く組む。
カメラ目線だとなんだか写真に撮られるのに乗り気なようで、視線は明後日の方向に持っていく。
笑顔を作るつもりもなく普通の表情でいようとするが、意識して自然体でいようとするとかえって顔がこわばってしまう。
出来るだけ頭を空っぽにするようにして、正面の壁にかけられた時計をジッと見つめた。
しばらくそのままでいたが、一向にシャッターが切られる気配が無い。
チラリと女に視線をやると、カメラを胸の前に掲げたまま苦笑いを浮かべて宇賀の事を見ていた。
「あの、宇賀君ごめんね?私が撮りたいのは、お店の写真なのよ」
そのままくるりと身体を反転させて、女は写真を撮りだした。
左の腰の辺りに引きつる様な感覚を覚えて、宇賀は握りこぶしでそこを何度か叩いた。
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