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アビスソフト関連の展示物が並んでいる会場内は、多くのお客さんで賑わっていた。入場制限がかかっていたので、会場に入ることができなかったお客さんもたくさんいたけど、それでもかなりの人数が訪れている。
変装したことが功を奏したようで、すれ違う人々は誰もミヨリには気づかない。
通路に展示されている各ゲームのアートワークや設定資料、それに数多くのアビス信者の心をボッキボキにへし折ったボスキャラの等身大スタチューを見ながら、ミヨリは目を輝かせる。
憧れの黒野スミレが描かれたイラスト集を発見したときは、思わず声が出そうになってしまった。
どうにか声がもれないように我慢すると、黒野スミレのイラスト集をスマホを構えて撮影しまくる。
もうここに永住したいな。本気でそう思った。
「……ミヨリちゃん?」
名前を呼ばれたことに、一瞬だけドキッとする。だけどそれは聞き覚えのある声だった。
「やっぱり! ミヨリちゃんだ!」
「……千紗。それに桜葉先生も」
振り返ると、そこにいたのは友人の藤森千紗と、担任教師の桜葉静江だった。
二人とも学校で見かけるような制服やジャケット姿ではなくて、ラフな私服を着ている。
「会場内を歩いてたら会えるかもと思っていたけど、まさか本当に会えちゃうだなんて感激だよ!」
千紗は満面の笑みを浮かべて距離をつめてくる。常日頃からよく顔を合わせているにも関わらず、こうしてミヨリと会えたことがよっぽどうれしいようだ。
今日のイベントにミヨリがゲストで参加するから、会場まで足を運んだのだろう。それはわかるが、どうして静江と同行しているのか?
「なんで二人が一緒に?」
「会場まで来たら、たまたま藤森さんを見かけたので、その流れで同行することになったんです」
ミヨリの疑問に、静江がよどみない口調で答えてくる。
配信のコメントでは、いろいろ感情を爆発させちゃっている静江だが、現実のほうでは教師として毅然とした態度を崩さなかった。
『常闇の迷宮』を攻略する配信で、ミヨリのファンだとカミングアウトした後も、ミヨリと接するときはあくまで教師と生徒なのだと一線を引いている。
クラスの教え子たちや、同僚の教師からビビられているようだけど、それでも静江がこれまでと変わらない態度を貫くので、それが逆に怖さに拍車をかけていた。
「変装しているのに、よくわかったね」
「変装しててもわかるよ。例え姿形が変わったとしても、それがミヨリちゃんならわたしは感じ取れるからね」
千紗はニコニコと笑いながら、ミヨリへの熱い友情を伝えてくる。
……姿形が変わっても感じ取れるって、怖いな。
友人から向けられる笑顔に、ミヨリは少し引いた。
「……っ。……ぐっ!」
千沙と話していると、急に静江が胸を押さえて苦しみだした。まるで何かに懸命に抗うかのように、全身を震わせている。
「先生? どうかしたんですか?」
もしかして、気分がすぐれないのか?
ミヨリは心配になって、静江のもとに近づこうとする。
それを遮るように、千紗がバッと手を伸ばしてきて、ミヨリを制止してきた。そして千紗は首を左右に振るうと、真剣な表情で語りかけてくる。
「ミヨリちゃん。先生は耐えているんだよ」
「耐えている?」
「うん。本当はここでミヨリちゃんへのしゅぴを爆発させたいんだよ。だけどそんなことしちゃったら、ミヨリちゃんや他のお客さんたちの迷惑になるからね。だからいま先生は、自分自身の衝動と必死に戦っているんだよ」
「……藤……森……さんの……言う……とおり…です」
ハァハァと静江は浅い呼吸を繰り返しながら、途切れ途切れの声をつむいできた。
「ですので……宮本さんが……わたしの心配するのは……むしろ逆効果……わたしのなかのしゅぴを……増大させてしまう……」
徐々に呼吸が落ち着いてくると、静江は教師としての威厳を保ちつつも、思いやりのあるやさしい表情になった。
「……ふぅ。もう大丈夫です。わたしのなかにある、推しへのしゅぴを制御しました」
「まかさ! この短時間でミヨリちゃんへのしゅぴを制御しちゃうなんて! すごいです、先生!」
「…………」
どうしよう? さっきから友達と担任教師の会話の意味がぜんぜんわからない。ダンジョンで厄介なギミック持ちのモンスターと出会ったときよりも、ミヨリは困っていた。
とりあえず自分のせいで、静江が面倒くさいことになっているようだ。
静江が冷静さを取り戻すと、千紗はウェーブのかかった長い髪をなびかせながら、くるりとこちらに向き直ってくる。
「このあとのステージもミヨリちゃんならやれるよ! 客席で応援しているからね!」
千紗からの声援を受けると、背中がちょっとだけ硬くなるような感じがした。ゲストとしてステージにあがることを想像すると、胸の鼓動がうるさくなる。
ぎこちないミヨリの表情を見た静江は、やわらかな笑みを浮かべる。教師として、教え子の助けになれるように言葉を贈る。
「宮本さんは、自然体でいれば大丈夫ですよ。あなたはいつもどおりのままでいるだけで、十分に魅力的です。いつものあなたを見せてくれれば、みんな喜んでくれます」
「先生……」
顔をあげて見つめると、静江は微笑んだままうなづいた。
「ちょっとなに言っているのかよくわかりませんけど、わかりました」
たぶん助言をくれたことを理解して返事をする。
自分の言葉がまったく響いてないことに、静江は目を閉じて唇を噛みしめると、なんとも言えない沈痛な面持ちになった。
千紗は「さすがだよ、ミヨリちゃん!」となぜか興奮している。
「千紗も、先生も、来てくれてありがとう」
顔見知りと話していたら、少しだけ緊張がほぐれた。
イベント会場に来てくれた人たちが楽しんでくれるようにがんばろう。その想いが強くなる。
それから二人と軽く言葉を交わして、ミヨリは楽屋に戻っていった。




