第142話 氷竜共鳴
「はぁ……っ、はぁ……っ! 全部、防ぎきった……!」
ノアは額の汗をぬぐいながら、その場に片膝をついた。
まるで倒れこむ寸前のように、荒い息をつき、地に手をつく。
「発動確率、ちょうど五割といったところですね」
マルシスは目に宿した解析の聖印を淡く光らせながら、冷静にそう告げた。
「魔法弾三百発中、およそ半分は“自動防御”。残りの半分は――“恐怖に駆られて”、自分で魔法障壁を張りましたね?」
「うぅ……だって、あんなの……!痛いのわかってて“張るな”って言う方が無理ですよ!」
ノアがむくれるように肩をすくめる。
マルシスは腕を組み、思考の深部へと沈んでいた。
まるで演算するように、淡々と呟く。
「それにしても、不思議です。完全に死角――君が“対処できない状況”に限って、必ず自動防御が発動している」
「この“発動条件”の謎を解くことが、ライゼル=トールガルドを打倒する鍵となるでしょう」
そう言うと、マルシスはほんの一瞬、深く息を吸い、肩がわずかに浮いた。
そして、迷いを断ち切るようにして口を開く。
「……もう、君には教えてしまいましょうか。ライゼルの移動術の仕組みを。あれは――」
「待ってください!」
ノアが手を突き出すようにして、マルシスの言葉を制した。
その表情は、先ほどまでの弱音とは打って変わって引き締まっている。
「答えを教えてもらって、それで対処できたって……意味がないですよ。“その場”で、“自分の判断”で対応できるようにしてこそ一人前でしょう?」
まっすぐにマルシスを見据える瞳に、迷いはなかった。
「……君の、そういうところ、好きですね」
口調はあくまで淡々としているが、わずかに唇の端がほころんでいる。
その目には、どこか誇らしげな光が宿る。
「ですが――覚えておいてください。君の持つ“自動防御”の秘密を解き明かすこと。それこそが、君の課題です」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
あのあとも、ノアは一人で何度も訓練を繰り返した。
(自分だけで、やってみたけど)
それでも、いくら挑んでも“完成”には至らなかった。
(どうすれば、“自動防御”を――あの感覚を、意図的に引き出せる……!?)
焦りと疑問だけが積み重なっていく。
まるで霧の中に迷い込んだように、答えは一向に見えない。
考えるより早く、覇剣が迫る。
空を切る音が、耳の奥に鋭く突き刺さる。
「ほう。まだ考え事をする余裕があるか」
ライゼルが冷ややかに言い放つ。
雷鳴のような斬撃が、ノアの目前へと迫った。
「くっ――!」
間一髪、双剣で受け止める。だが、あまりにも重い。
一撃ごとに全身が軋み、膝が沈みかける。
(ダメだ……! さばききれない! 防御も、反撃も、間に合わない……!)
視界が揺れ、呼吸が荒れていく。
そのわずかな隙を、ライゼルが見逃すはずもなかった。
「そろそろ、お終いにするぞ。ディナーに遅れると妻の機嫌が悪くなるのでな――“エルフへの別れの挨拶”でも、考えておけ」
ライゼルが冷然と告げた、まさにその瞬間。
剣の柄がノアの鳩尾に深くめり込んだ。
「かはっ!」
鈍い衝撃が内臓に響き、呼吸ができず視界の端がかすむ。
それと同時に周囲の音が遠のいていく。
(くそ……こんな……まだ、終わりたくない)
胸の奥から、悔しさがこみ上げる。
涙がにじみそうになるほど、どうしようもなく――ただ、悔しかった。
(僕は……剣も、好きだけど。それ以上に“魔法”が好きなんだ。だって、……)
意識が沈んでいく中、記憶の底がふいに揺れた。
遠い、遠い日。何かを思い出しそうな、あたたかくて懐かしい感覚が、微かに浮かび上がる。
(あれ?……どうして僕は、こんなに魔法が好きなんだ?)
脳裏に、幼い自分の姿がぼんやりと映し出される。
(そうだ、確か……なんでもできる姉さんよりも、僕の方が先に魔法を使えたんだ! それが、すっごく嬉しくて……)
(見つからないようにして、必死に練習したっけ)
震える手のひらに、魔力をそっと込めた、あの日。
そのとき初めて咲いたのは、淡く冷たい光の結晶。
掌の中にふわりと舞い降りた、それは魔法でできた“氷の花”。
(つめたくて、透き通ってて……でも、なぜか懐かしかった。それからずっと、氷の魔力は僕のそばにあった)
どんな時も、どれほど窮地に立たされても、離れずに――ただ静かに、彼の側に寄り添うように。
聖環の儀のときも、ダウロに握り潰されそうになったときも。アデル先生と戦ったときも!
気づけば、あの冷たく優しい魔力が、自分を守ってくれていた。
(意識するなんて、意味ないんだ。難しく考える必要なんて、ない……)
この魔法は、ずっと自分と一緒にいてくれた。
だからただ、“信じて”いればいい。
その瞬間――風が止んだ。
「……なにっ!? なんだ、これは……!」
ライゼルが声を上げる。
雷光よりも速く放たれたその一閃が、ノアの首筋を狙って迫った――まさにその瞬間だった。
ノアの背後から、霧のような冷気がふわりと立ちのぼる。
触れた空気が、パリパリと音を立てて凍りついていく。
“ゴッ”――!
重々しい衝撃音と共に、ライゼルの刃が弾かれた。
「なんだ、この……竜の翼だと!?」
ノアの背中から、大きな――氷の“翼”が展開していた。
それはまるで、古代に棲まう竜を思わせるような、鋭く、雄大な双翼。
氷の粒子が空に舞い、蒼く光を放ちながら、空間を裂くように広がっていく。
ノアは、そっと目を細めた。
胸の奥にずっとあった、微かな感覚が――今、ようやく確かな形となって彼に応えた。
(……やっと、繋がった! 君は、ずっと……僕を守ってくれてたんだね)
ライゼルの一撃を“氷の翼”がはじいた瞬間――
ノアの胸元に刻まれた《聖環》が、淡く、そして強く、蒼白の光を帯び始めた。
(……この感覚、聖環が!)
“ズンッ”と、重い鼓動のような衝撃が内から響く。
その光の中心から、蒼く輝く“氷の竜”が姿を現した。
細く鋭い体躯は、無数の氷の結晶で構成され、
羽ばたくたびに空気が凍りつくような、絶対零度の支配をまとっていた。
それはまるで、ノアの内奥に眠る“魔力の根源”そのもの――
幼き日の憧れと、長い時間をともにしてきた感情が、姿を持った魔法生命体だった。
「なっ……竜族だと!?」
ライゼルが声を上げたそのとき、氷の竜が咆哮とともに滑空し、一直線に彼へ突進する。
鋭く伸びた氷の尾が一閃。薙ぎ払われた風圧とともに、ライゼルの身体が吹き飛んだ。
だが竜は止まらない。空中で美しく旋回し、再びノアの胸元へと――弾丸のように突っ込んでくる。
(信じる……!)
ノアの中で、確信のような想いが跳ねた。
その瞬間、氷の竜がノアの身体へと“還る”ように突入しまばゆい閃光が、ノアを中心に炸裂した。
白銀の光が空に広がり、氷の粒がきらめいた。
舞い上がる魔素が、空中に散らばって、まるで空に撒かれたダイヤモンドのように、静かに漂い続けた。
その幻想的な光景を目にしたライゼルが、目を見開く。
「魔法の発動を感知できん……!? まさか、魔法そのものが“意志”を持ち、自ら発現したというのか……ッ!?」
閃光が収束したとき――
ノアの周囲には、新たな守護の構造が展開されていた。
左右に浮かぶ二枚の氷の“盾”。
それはまるで、竜の翼のように彼を包み込みながら、滑らかな軌道で宙を旋回していた。
敵の気配に呼応して生きているかのような動き。
小さな竜の翼のように滑らかに旋回し、ノアの周囲を守るように舞い続ける。
それは魔法でありながら、まるで生きているかのようにしなやかで――主を守護する陣形が完成していた。
ノアの瞳が、まっすぐにライゼルを見据える。
「……氷竜共鳴。マルシス先生と僕とで創り上げた防御魔法です!」
◇◆◇◆◇
陽が落ちかけた部屋の中で、マルシスはひとり机に向かっていた。
スプーンを片手に、小皿のケーキに手を伸ばす。
ひと口、口に運んだそのとき。
“キィィン”と、魔力の微細な揺らぎが、空中庭園の訓練場から立ち上がった。
マルシスはスプーンをそっと皿に戻し、無言で立ち上がる。
窓辺に歩み寄ると、カーテンを少しだけ開いて、外を静かに見下ろした。
視線の先には氷の盾を顕現させたノアと、後退し焦る表情のライゼルの姿が見える。
「……おやおや。相当、追い込まれていますね、ライゼル」
「私が、魔法指導をしたノア君は……すごいでしょう?」
ぽつりと呟いたその声に、微笑みはない。
けれど、ほんのわずかに口元が綻んでいた。
「お得意の“魔力感知”が、途切れていますよ? ふふ……困惑してるじゃありませんか」
マルシスは、魔術師殺しがノアの魔法に翻弄されている様子を満足げに見つめ一人呟く。
「ね? ギルバート様。私の言ったとおりになったでしょう?」
今なお口に残るそのケーキの甘さは、ノアの戦況と相まって“勝利の味”を予感させていた。




