第141話 二人のお気に入り
カナリアが刀仙フウゲツとの修行を終えたそのころ――
空中庭園の訓練場では、ノアとライゼルの稽古もいよいよ終盤を迎えようとしていた。
その様子を、屋敷の上階からギルバートやアデルたちが見守っている。
夕暮れの光が傾きかける中、白熱の戦いは、尚も続いていた。
ノアは荒く息を吐きながら、大きく肩で呼吸していた。
「どうした? もう、一本取るのは諦めるのか」
「……まだ、です」
(先生の超高速の接近移動――“種”は、おそらくわかった。相手が魔力を使う瞬間を検知して、それに反応して発動してる)
魔術師殺し――
その異名を持つライゼルの“超高速の移動術”。
ノアは幾度もの稽古の中で、その仕組みに気づきかけていた。
確証こそない。だが、感覚が、身体が、その答えを訴えている。
確信するに至るまで、何度もやられた。
だが、仕組みがわかったところで、それは“解決”には至らない。
むしろ、焦りを早めるだけだった。
ノアは剣神の才覚を持ちながら、同時に“全属性”の魔法使いでもある。
だが、彼の必殺である“魔法双剣”は、起動の瞬間に必ず魔力を用いる。
その魔力の動きを、“ライゼル”は決して見逃さない。
つまり、どの技も魔力を流した瞬間に看破される。
ならば剣術のみで攻めるか?
……否。現状では、剣の腕でも、まるで歯が立たない。
必殺の魔法も、剣も、通じない。
ましてや、“一本を取る”など、この状況下では八方塞がりもいいところだった。
ライゼルは静かに言い放つ。
「次、お前が立ち上がらなければ――お前の負けだ。今日の稽古は、そこまでとする」
丁寧に整えられた口元の髭を、指先でなぞる。
その仕草と共に、不敵な笑みを零した。
「いや……それだけではつまらん。ひとつ、賭けをするか?」
「賭け……ですか?」
ノアがそう小さく反応した、その刹那。
――ッ!?
空間が裂けたような風圧。視界に、閃光。
ライゼルの姿が、目の前から消えていた。
(来る――!)
思考が追いつくより早く、剣閃がノアを真横から襲いかかる。
その斬撃は、“本気で気絶させにくる”殺気に満ちていた。
金属の打ち合う音が響く。
ノアの双剣と、ライゼルの一太刀が、鋭い火花を散らしながら交錯する。
すれ違いざま、低く落ち着いた声が飛んだ。
「……ああ、そうだ」
ライゼルは一歩踏み込みながら、静かに続ける。
「お前が“私から一本取れない場合”赤髪のエルフの女とお前の“魔法の授業”は、今日で終わりにしろ」
ザン、と剣が擦れ合い、ノアが一瞬体勢を崩す。
「なんだって!?……そんなの、困ります!」
ギリ、と刃と刃が押し合う。
剣術を極めた者の“圧”が、ノアを屈服させんと迫る。
「安心しろ。代わりに、その時間を私との“剣”の稽古にあてさせる」
その言葉に、ノアの顔がわずかに引きつる。
「僕は……魔法でも一番になるって、マルシス先生と約束したんです!」
ライゼルは構えを変えず、剣の軌道をほんのわずかに変化させ、
さながら魔法のように追い詰めてくる。
「私は危惧しているのだよ」
ヒュッ、とライゼルの剣が横薙ぎに走り、ノアが跳び退く。
「お前は“剣神”の才覚を持ちながら、“全属性”の魔法をも扱える――類稀なる資質を持っている。だがな、どちらも中途半端に終わるのなら、それは只の“器用貧乏”にすぎん」
「……!」
ノアは歯を食いしばりながら、次の一撃を迎え撃つ。
ライゼルの剣が振るわれるたび、言葉もまた、刃のように鋭く胸を刺してくる。
「魔法をまったく使うなとは言わん。だがあくまで、剣を“主”とし、魔法はその補助とするべきだ」
そして一歩、さらに詰め寄った。
「……私はお前を気に入っている。皇帝陛下に口利きして帝国に迎え入れたっていい――悪い話ではないだろう?」
刃と刃が打ち合い、爆ぜるような火花が宙を舞う。
ノアは叫ぶように声を張り上げた。
「僕は、先生を尊敬しています! 本当に!」
剣を押し返しながら、額に汗をにじませる。
「でも……マルシス先生も、同じくらい尊敬してる! だから僕は――剣も、魔法も、どっちも一番になるって、決めてるんです!」
そして一瞬、睨み返すように叫んだ。
「だから僕が一本とったら、魔法については口を出さないでください!」
一瞬、ライゼルの目が細められる。
だが、すぐに静かに言葉を返した。
「……ならば、証明してみせよ」
その声は、雷鳴のように静かで、鋭く響く。
「剣も、魔法も、そして“世界を救う覚悟”さえも。そのすべてが本気だとこの一太刀で、示してみせよ!」
瞬間、地を蹴る音。
ライゼルの一閃が、音速を超えてノアに迫った――!
ノアは瞬時後退しながら、思考を巡らせる。
攻撃を仕掛ければ、必ず魔力の動きが読まれる。
剣で挑めば、技量の差が浮き彫りになる。
ノアは唇を噛み、視界に閃く師の剣を見据えた。
(……思い出せ!)
(マルシス先生との魔法授業。あの“感覚”を――!)
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――数日前。魔法訓練場。
円形の静かな空間に、ノアとマルシスの二人だけが立っていた。
「僕に、本当にそんな能力があるんですか!?」
ノアが困惑気味に声を上げる。
それに対して、マルシスは無表情のまま、淡々と頷いた。
「はい。高確率でその傾向が見られます」
ノアがぽかんとする中、マルシスはさらりと言い放つ。
「授業中に居眠りをした君を起こすため、私は複数属性の魔法でチョークを飛ばしたのですが――火、風、光、土……変則軌道も含めて、あらゆる属性で試しました」
言葉を切って、マルシスは軽く肩をすくめる。
「すべて、君の周囲に展開された“無意識の魔力障壁”によって防がれました」
ノアは視線をそらしながら、眉を下げてぽつりと呟く。
「そんな記憶……ないですけど……なんか、ごめんなさい」
マルシスは気にする様子もなく、淡々と続ける。
「つまり、君の肉体には――無意識下でも魔法を拒む《本能的な防御機能》が備わっているということです。普通の人間では考えられない、極めて特異な才能です」
ノアの脳裏に、ふと過去の一幕がよみがえる。
(そういえば……魔将ダウロとの戦いのとき。吹き飛ばされそうになったあの瞬間、何かが反射的に身体を包んだ。あれが……この“防御本能”の発動だったのかも。それにしても――)
「そ、その理屈は……わかりましたから……!」
ノアは周囲を見渡し、冷や汗をにじませながら、訴えるように叫ぶ。
「だから! このおっかない魔法、早く解除してくださいよぉ!!」
ノアの声が裏返るのも無理はなかった。
今、彼のまわり――
360度、ドーム状に無数の“閃光の魔法弾”がびっしりと配置されていた。
属性はすべてバラバラ。発動と同時に方向も強さも異なる魔弾が、まるで生き物のように、今か今かと発射の機を待ちわび、ノアを包囲している。
マルシスが指を構える。
その手がパチンと鳴った瞬間、四方からの魔法が一斉に襲いかかるのは明白だった。
「それに何がダメなんですか! 自動で防御してくれるなら、なにも問題ないでしょう?!」
マルシスの声が、少しだけ鋭さを帯びる。
「それでは、制御しているとは言えません。確実性がなければ、“奴”の攻めには対応できません」
「“奴”?」
ノアが問い返すと、マルシスはわずかに声のトーンを落とした。
「先日、君の剣の指導役になった男、ライゼル=トールガルドです」
その名を聞いた瞬間、ノアの表情がわずかに引き締まる。
「奴は、我々エルフにとっての“宿敵”です。それを抜きにしても、レグナント帝国という体質そのものが、私は信用することができません」
マルシスはそこでふと、ほんのわずかに視線を伏せ、少し考えたのちノアに言い放つ。
「これは推測ですが……君に、いずれ無理を押し付け、引き抜こうとする可能性すらある」
小さく唇を引き結びその横顔はかすかに、曇っている。
普段の冷静沈着な教師とは、まるで別人のように。
「剣神としても、全属性の魔法使いとしても、君の価値はあまりに大きい。だからこそ私は、それを“止めなければならない”と思っています」
ノアは黙ってその言葉を受け止める。
だがマルシスは、そこでふと声を落とした。
「……それに」
「それに?」
ノアが問い返すと、マルシスはノアから視線を外し、ほんの少し間を置いて口を開いた。
「君も、リアも……もう、私のお気に入りなんです……誰かの手に渡すなんて、嫌」
その声は、いつになく感情を帯びていた。
頬はうっすらと赤らみ、目元はどこか落ち着かない。
視線はノアに戻ることなく、チラチラと宙を泳いでいる。
普段は微動だにしない無表情のマルシスが、今だけは、まるで別人のよう。
ノアは思わず目を見開く。
(あのマルシス先生が、こんな表情するなんて……)
胸の奥が、少しだけ熱を帯びる。
だが、次の瞬間――
「……と、いうわけで。早速はじめましょう」
「へ?」
先ほどの動揺した顔は、一瞬でクールな表情を取り戻し、
パチン、と指を鳴らす音が空気を裂く。
次の瞬間、ノアの頭上から容赦なく、雨のような魔法弾が全方向から降り注いだ。




