第143話 マルシスを賭けた戦い 前半
「私に逆らい、剣と魔法、その両方を譲らぬ気かッ!?」
声に怒気が混じるも、その眼はノアではなく――彼の周囲に浮かぶ、氷の盾へと向けられていた。
ライゼルの目は、冷静に分析の色を宿していく。
それは、戦場に身を置く者として、常に変化する状況を読み、即座に対応してきた“癖”とも呼べる術。
だが、その豊富な実戦経験を誇るライゼルでさえ、いまだ“見たことのない魔法”だった。
氷の盾は、ノアを中心にゆるやかな軌道で旋回しつづける。
敵意の気配を察知し、まるで生き物のように挙動を変えるその動きに、ライゼルは様子を見るほかなかった。
(……自律型の魔法障壁か? だがこれは……)
彼の脳裏に、いくつかの魔術理論が浮かぶが、どれにも該当しない。
そして、ぴくりとライゼルの眉が動く。
ノアの体内の魔力回路を通じて、微弱な“電気信号”が流れるのを感じ取った。
雷の化身とも呼ばれるライゼルは、対象が魔法を使用する際に体内を流れる微細な電気信号と、属性の揺らぎを読み取る。
その情報を基に、“魔法発動の兆候”と対象者の位置を察知する能力を持っていた。
これがライゼルの異常な魔力感知の正体の全容。
だが、ノアはその事に勘付きながらも、体内で練り上げるその膨大な魔力は、紛れもなく“完全詠唱”の準備を意味していた。
「貴様……この私相手に、“完全詠唱”だと……? 随分と舐められたものだなっ!!」
だがノアは、隠れることも、誤魔化すこともせず、堂々と詠唱を始めていた。
(先生相手に、生半可な魔法は意味をなさない……やるなら、ありったけを!)
「――永久の静寂に、薄氷の花よ咲け。咲き誇りし――」
氷魔法の詠唱が響く。
その言葉ひとつひとつが、空気を凍らせるような張り詰めた気配をまとい、訓練場の温度を静かに下げていく。
「……させると、思ったかッ!!」
ライゼルの姿が、ふっと掻き消える。
次の瞬間には、ノアの背後に現れ、斬撃の構えから迷いなく剣を振り下ろす!
「終わりだ!!」
雷光のごとき一撃が振り下ろされた――
ガギンッ!!
鋭い衝撃音が場に鳴り響く。
だがその刃は、ノアの背後に展開された“氷の盾”によって、正面から受け止められていた。
氷盾はまるで忠誠を誓う騎士のように、主を守るため瞬時に割って入る。
刃を受け止めた盾が閃き、反撃するかのような“衝撃波”がライゼルを後方へ弾き飛ばす。
まるで、攻防一体の“自動迎撃”。
「私の動きについてきた……!?」
その間にも、ノアは依然として、目を閉ざしたまま詠唱を続けている。
掌の上で咲いた氷の花が、空気中の魔素と温度を吸収しながら、静かに、しかし確実に成長していく。
凍てついた光が放たれ、周囲の空間が急激に冷え込んでいった。
「……面白い!」
ライゼルが口元を吊り上げ、愉悦の笑みを浮かべる。
「貴様の“完全詠唱”が先か! 私の“剣速”が、その盾の反応速度を上回るか……勝負だ!」
ライゼルがグッと踏み込みその足元で、雷がバチッと爆ぜた。
「私も、少しだけ“本気”を見せるとしよう。――雷歩……」
次の瞬間、脚部へ集中させた魔力が、加速と閃光を生み出し、雷鳴と共に閃光が駆け抜ける。
刹那――ライゼルが消える。
そこから決着まで、ほんの数十秒足らずの出来事だった。
ライゼルはノアの周囲を、光の乱反射のように超高速で旋回しながら、四方八方から斬撃を、まるで雷の如く次々と繰り出していく。
その剣速は、もはや“視る”ことすら許さない。
目で追うことなど到底できず、ただ雷の音と衝撃の余波だけが空間を裂いていた。
だがその度に、ノアの周囲を守る氷の盾が、雷速に匹敵する速度で軌道を変え、空中を滑る。
斬撃が来た瞬間に、それを正面から受け止め――寸分違わず“弾き返す”。
ギィンッ!! バシィィッ!! カン――ガギィン!!
雷刃と氷盾の連続衝突が、鋼を叩き合わせたような衝撃と音を生む。
衝突のたびに蒼い煌めきが宙に残り、その残光がノアを中心に、魔法陣のような美しい円を描いていった。
「……永久の凍土にて、唯一咲き誇る華とならんことを!」
完全詠唱の最後の一節を紡ごうとした――その瞬間だった。
――“バキィン!!”
鋭い破砕音が、空気を裂く。
ノアは、ハッと目を見開いた。
視界の端――
氷の盾のひとつが、ライゼルの“剣撃”についに耐え切れず、ついに砕け散った。
「っ……!!」
無数の氷片が宙に舞い、炸裂した冷気が一気に広がる。
その爆ぜた冷気はライゼルの視界すら覆い隠す。
そして、ノアを守っていた“氷竜共鳴”の陣形が、今初めて破られた。
(まずい!)
しかし、その一瞬の“ほころび”を、ライゼルが見逃すはずもなかった。
次の瞬間には――
剣を振り上げたライゼルの姿が、冷気を突き破って現れる。
その瞳に、怒気はなかった。
むしろ、戦いに満たされた者だけが見せる、深い達成感のような光が宿っていた。
「誇れ、ノア。……お前はすでに、私の“門下生”の中で最も優秀だ」
静かに告げる声。
その言葉と同時に、剣が振り下ろされる。
刃ではない。
“剣の腹”――意識を奪うためだけの、制圧の一撃。
「安心して、眠れ!」
“ドンッ!!”
重厚な衝撃音とともに、ノアの胴へと一撃が叩き込まれた。
その身体が、吹き飛ばされた。かに、見えた。
――“バリイイイイン!!”
身体かと思われていた氷が砕け、甲高く乾いた音が場に響く。
粉々に砕け散ったのは、ノアではない。
剣の一撃を受けたのは、ノアそっくりに形作られた氷の分身だった




