第135話 追憶は剣の輝き
ライゼルと向かい合うノアの姿が、マルシスの視界に映る。
その表情は、魔法でライゼルに一泡吹かせてほしいという願いとは裏腹に――
剣を振るうその姿は、いつになく真剣で、それでいてどこか楽しげで……充実すらしているように見えた。
(全属性の魔法を有すると共に、彼が“剣神”としての才覚を持つのもまた事実。それに――)
……魔法を学び始めた、あの時の私と、似た目をしている。
だからこそ、彼のためを思えば、自分が我慢するしかないのかもしれない。
マルシスは立ち上がり、視線を窓に向けたまま腕を組み直す。
トントン……と、再び二の腕を指先で叩く音が、静けさの中に響いた。
「奴がノア君の指導者というのは、納得できません。それでも……」
歯を食いしばるように、言葉を吐き出す。
「あの男ほど、剣の技と“死線の教え”に長けた者はいない。――ノア君の剣の指導については、今は目をつむりましょう」
マルシスが覚悟を決めて、自分自身を納得させるように言葉を締めくくった、その瞬間だった。
訓練場にいるライゼルが、まるで彼らの視線を感じ取ったかのように、こちらを静かに睨み返してきた。
親指で、喉元を横にスッ……となぞる仕草。
その瞬間、部屋の空気を貫くように――微弱な“雷の魔力”が、室内全員の首を横一直線に切るように走り抜けた。
肌がチリリと震え、誰もが息をのむ。
――それはまさに、“警告の刃”。
「撤回します! ……魔力感知でこちらの動きを把握し、“いつでも命を奪えるぞ”とでも言いたげな態度だけは我慢なりません!」
カップを持っていた手が、怒りのあまりわず彼女の手を離れる。
だが、落下寸前でそのカップは、マルシスの魔力によって地面スレスレでピタッと宙に静止し、ふわりと浮かび上がる。
「先に失礼します」
そう一言だけ残し、マルシスはすっと立ち上がった。
革靴の音が、石床に小さく響く。
その足取りは鋭く、迷いがなかった。
「おいおい……どこへ行くんだ。最後までノアの修行、見ていかないのか?」
アデルが苦笑まじりに問いかける。
だが、マルシスはしばらく無言のまま歩き――
扉の前でふと立ち止まると、肩越しに振り返った。
その表情には、怒りでも冷笑でもない。
妙に無邪気な、少女のような笑みが浮かんでいた。
「……シンシアさんのスイーツでも食べて、怒りを鎮めてきます」
その口調は、真顔のまま。
冗談とも、本気ともつかない。
マルシスは、再び前を向くとドアノブを勢いよく握り、扉へと手をかけた。
「それに、ノア君は必ず剣だけでなく魔法も使って、奴をあっと言わせるはずです」
その言葉に、ギルバートがわずかに目を細めて口を開く。
「ほう……なぜそう思う?」
マルシスは、ふっと目を細めて答える。
「なぜならこの私が、魔法を指導しているので」
そう言って、マルシスは黒い短杖をくるりと一度回す。
すると、魔力で浮かせていた紅茶のカップが、リーリヤが運んできた銀の配膳台車へ向かい出した。
――バタン。
重厚な扉が閉じると同時に、ティーカップが配膳台車の上のソーサーにカチャッっと音を立てて着地した。
片付けまで済ませると、マルシスはそのまま部屋を後にした。
――その余韻の中。
「……目が全く笑ってませんでしたね。マルシス教授」
リーリヤが紅茶のトレーを整えながら、静かに告げた。
その声色もまた、変わらず冷静だった。
「そういえば、カナリア君たちの様子は、どうだったかね? リーリャ君」
ストラトスが湯気立つカップを手にしながら、何気なく尋ねる。
「先ほど、緑茶をお持ちしたばかりです。……座ってましたね」
「座っていた……とは?」
「あれはなんといいますか――」
◇ ◇ ◇
静かな庭園の一角にて。
私とフウゲツ師匠は、少し距離を置いて向かい合い、座禅を組んでいた。
呼吸は深く、ゆったりと。
水面のような静寂が、周囲を優しく包み込んでいる。
……とはいえ、私の内心は穏やかではなかった。
(なぜなら――)
この魔力を集中させて、体内を循環させながら、
ひたすら座禅を組む“魔力量を伸ばす精神修行”……。
――って言ってたけど、かれこれ十日目な件。
いったい、いつまで続くんだろか。
時には雨の中。
時には滝の中。
時にはお風呂の中ですら「整うじゃろ」って言われて家に帰ってからもやるよう言われてたし……。
(……いや正直、もう飽きました)
三歳の頃から刀を振り続け、修行三昧だった私にとって、
“動かない修行”はもはや禁断症状が出る寸前の域に達していた。
(い、いまなら……ちょっとだけ“辻斬り”の気持ちがわかるかもしれない。いや、しないけど!)
私はそっと目線だけを動かし、正面に座るフウゲツ師匠をちらりと盗み見る。
老剣士の瞼は閉じられ、微動だにしない。
その全身からは、まるで岩のような圧と静けさが、滲み出ていた。
(……今日もこれで終わっちゃうのかなぁ)
半ばあきらめかけていたその時――
フウゲツが、ゆっくりと目を開けた。
「カナリアよ。そろそろ――実践的な修行に移ろうとするかのぉ」
「ついにですか!?」
私は心の中で思わずガッツポーズを決めた!
体を動かせる喜びはもちろん――
(これは……刀仙の技を盗むチャーンス!)
内心、テンションは最高潮だった。
「居合ですか!? 斬る所作!? それとも突き!? はたまた返し技!?」
目を輝かせる私に、フウゲツ師匠は――
「いや。今お主が言ったこと、全部教えん」
「はいっ!! ……っえぇーーー!?」
反射で元気よく返事したけど、
全部教えん。って教える気ゼロじゃなかった!?
(ちょっと待って!? 十日前、私あんなに涙ながらに“自分の気持ち”を告白したのに!?それぜんぶ、どこいったんですかーー!?)
「……いや、言葉足らずじゃったな」
フウゲツが少し顎を撫でながら、ゆっくりと言葉を継いだ。
「もちろん最初は、基礎から丁寧に教えてやるつもりだった。
だがのう――お主と立ち合い稽古をしてみて、思い留まった」
その目が、じっとこちらを見据える。
「お主……すでに“動き”が、完成された“型”になっておる……本当に、どこの流派にも剣を習ったことがないのか?」
ふと、フウゲツの声音が変わる。
そのまなざしには、静かな驚きすらにじんでいた。
「とても、我流とは思えん。すでに“熟練された動き”をしとる」
軽く息を吐くように、言葉を続ける。
「この上から草叢流を無理に教え込んだところで……身体が混乱するだけじゃろうて」
(……言われてみれば)
ノアと三歳のとき、はじめて木剣でチャンバラをしたときも――
私は自然と“返し技”を使っていた。
魔将ダウロとの戦いでは、
前世で会得していたと思われる“剣術の奥義”を、本能のままに振るったのも間違いない。
記憶にこそ残っていないけど――
魂が、身体の使い方を憶えていた。
“剣を扱うこと”だけは、ずっと私の中に刻み込まれていたのだ。
その証拠に今の今まで――
私はノアに、一度も“剣で”負けたことがない。
(それってつまり……)
私がここまで戦い勝利しててこれたのは、
すでに“どこかの流派の剣”を修得していた――
それが大きいんだ。
忘れ去られた記憶の奥に眠る“剣の記憶”。
今は思い出せないけれど、それこそが――
追憶は、剣の輝き。
前世の私が残してくれた剣の技巧は、
今の世界を生きるこの私に、光を与えてくれていた証だった。




