第134話 魔術師殺し(スペルキリング)
コンコンコン――。
静かなノック音が響き、賢者の部屋の扉がわずかに開かれた。
「失礼いたします」
涼やかな声とともに、銀糸を織り込んだメイド服姿のリーリャが一礼し、ダマスク柄の施された銀製の配膳台車を静かに押しながら部屋へと入ってくる。
その上には、綺麗に揃ったティーセットと、湯気を立ち上らせる白銀のポット。
ふわりと広がる香り高い紅茶の匂いが、部屋の空気を穏やかに包み込んだ。
「紅茶をお持ちしました」
リーリヤは丁寧な手つきで、温かな紅茶を一杯ずつ慎重に配り始める。
その所作には無駄がなく、優雅さすら感じる程だ。
部屋には賢者ギルバートと、賢者三聖鋭の面々がそろっていた。
剣聖アデルは、窓際の壁に体を預け、じっと窓の外を見つめていた。
腕を組み、剣と剣が激しくぶつかり合う訓練場の様子を、食い入るように見つめている。
視線の先では、ノアの新たな剣の師――
帝牙六将《覇剣》ライゼル・トールガルドがノアに稽古をつけていた。
その光景に目を細めながら、アデルは低く呟く。
「彼がきてもう十日も過ぎましたか……しかしよく、あのレグナント帝国が……ライゼルが指導役を務めることを“許可”しましたね」
その声には、帝国に対する警戒と拭いきれぬ疑念の色が見える。
ギルバートは部屋の奥――重厚な木製の執務机に、ゆったりと腰を下ろしている。
白銀の髭を指先で撫でながら、静かに言葉を継ぐ。
「……こればっかりは、ザルカスに礼を言わねばならないな。ま、その代わりにいくつか“条件”は飲まされたが」
部屋の中央、柔らかな革張りのソファには、二人の魔術師が腰掛けていた。
エルフの大魔法使いであるマルシスは腕を組み、指先で二の腕をトントントンと軽く叩いている。
「私は、いまでも反対です。リアとノア君の情報だけが、帝国に筒抜けで……帝国の“神言”と“神槍”の情報は、こちらに一切開示されないなんて。不公平だと思いませんか? それに奴の不快な魔力!」
その声音は冷静さを装ってはいたが、その瞳には隠しきれない苛立ちが滲んでいた。
隣で紅茶を口にしていた、ドワーフの神官ストラトスが、カップを置きながら、口元にわずかな苦味を滲ませた。
「……やはり気になるか、マルシス。奴に“感知”されているのを、其方も感じるのだな」
その場の誰もが、微弱な雷の魔力のざわめきが、肌をかすめることに気づいていた。――特に優秀な魔術師であればあるほど、嫌というほど感じ取れる不快な気配。
「……これが、かの有名な“魔殺の静電”か」
ストラトスはぞわりと総身に鳥肌が走るのを感じながら、自らの腕を軽く擦った。
マルシスが頷き、低く続けた。
「エルフの術者兵の間では有名な話です。この静電を感じた時点で、すでに奴の“領域”に踏み込んでいると。魔法を使ったら最後、首が飛ぶと思え。そう教えられました」
その言葉には、戦場の記憶を呼び起こすような、生々しい重みがあった。
「……どうやら。その本物が拝めるみたいだぞ。見てみろ」
アデルが親指でくいくいと外を指し示すと、それに誘われるように、空中庭園の面々もそろって窓の方へと目を向けた。
訓練場では、二人の剣士が火花を散らすような攻防を繰り広げていた。
ギン! ガン! ギンッ!
鋭くぶつかり合う金属音が、静かな空中庭園の部屋にまで届く。
踏み込みの音、剣閃の閃き、空気を裂く振動――
そのすべてが、この場にまで届くかのような臨場感を放っている。
鋭い足音。
剣を構え、踏み込んだのは――ライゼルだった。
「……!」
ノアが即座に反応し、双剣を構える。
だが、次の瞬間には――三手、いや四手。
斬撃が、目にも止まらぬ速さで襲いかかる。
ガンッ、ガギィン!
防いではいる。だが――捌ききれていない。
勢いを殺すだけで精一杯だった。
(すごい剣圧……! 一度、距離を――)
ノアは地を蹴り、後方へ跳ぶ。
空いた間合いで体勢を立て直し、右手に魔力を集め始めた。
詠唱はない。
無詠唱魔法で牽制――聞こえはいいが、実際はノアの苦し紛れの一手。
その瞬間、ノアはビリっとした肌の感覚を憶えた。
と、同時に前方にいたはずのライゼルの姿が、かき消える。
「……魔法は無駄だと、教えたはずだが?」
――声が。背後から、響いた。
「くっ!」
振り向くより早く、閃光が走る。
決してノアの魔法発動が遅かったわけではない。
しかし、それより先に――
背後から回り込んだライゼルが、ノアの右手首をぴたりと制した。
その剣の切っ先が――ノアの喉元に、ぴたりと突きつけられている。
「剣で押されると、すぐ魔法に頼ろうとする。……その癖、誰かの影響か?」
「そういう訳じゃ、ないですけど……」
本当は、姉の影がちらついていた。
幼い頃から剣で勝てなかった姉に対し、
“剣で勝てない相手には魔法で対抗する”――そんな癖が、無意識に染みついてしまっていた。
ライゼルは無言でノアの手首を放す。
ノアの喉元にあった切っ先も、するりと引かれ、空気だけが震えた。
「私が教えるのは“剣”だ。特に、魔法が使えない状況や相手を想定して――剣で対応できるようにする。……では、いくぞ」
その言葉には、淡々とした口調の奥に、明確な意図と矜持があった。
だがノアは、ふと気になったように眉を寄せる。
「それにしても先生……あの一瞬でどうやって感知してるんですか?」
問いかけは、敬意と好奇心が入り混じったものだった。
ノアなりに、弟子として“もっと知りたい”という想いが溢れ出ている。
ライゼルはその言葉に、ふっと口元をほころばせる。
「お前が私から一本とったら、教えてやろうか?」
ノアは短く息を吐き、剣を収める。
だがその表情に迷いはない。
「はい! もう一度お願いします、先生!」
二人の稽古を見つめていたマルシスが、ぽつりと呟いた。
「……あの異常な魔法感知範囲と、その精度と速度」
その声に応えるように、ストラトスが低く語る。
「奴は、戦闘において魔力を感知すると、ほぼ同時に――雷の如き速さで術者のもとへ接近し、命を奪う。……我々魔法使いにとっては、まさしく“天敵”だな」
その声音には、冷静さとともに警告が滲んでいた。
「ライゼル……“覇剣”、“雷神”。その名は数あれど――」
マルシスは紅茶を一口飲み、静かにカップを置いた。
そして、鋭い視線を窓の向こう――剣を交える少年と男の姿へと向ける。
「“魔術師処刑人”。……この二つ名を知らぬ魔術師など、存在しません」
その声音は静かだったが、言葉の端々に冷たいものが宿っていた。
「……帝国とエルフの紛争では、私の多くの同胞が――あの男の剣に、命を刈り取られました。エルフ本国では特級の要注意人物であると共に賞金首でもあります」
いつも冷静なマルシスの声が、いつになく低く沈み、室内の空気がわずかに張り詰めた。
自分が教えていたノアの魔法が、まるで何の意味もなさないかのように無効化される。
それはまるで、自分の指導そのものが否定されたように思えて――マルシスの胸の奥が、じわりと痛んだ。
教え、支えてきたはずの魔法が、ライゼル相手では無力だという現実。
マルシスはそれを、悔しさとも戸惑いともつかぬ感情で噛み締めていた。
それでも。
(……だけど、ノア君なら)
その視線の先。汗をぬぐい、剣を構え直す金髪の少年。
ただ属性魔法を操るだけではない。全属性を有し、その才能を自在に組み上げ、状況に応じて使い分ける柔軟さがある。
――魔法が通じぬ“処刑人”相手にさえ、きっとこの少年は、“魔法も使って”ライゼルを納得させる事ができる。
マルシスはわずかに目を細めた。
その表情には、憤りでも恐れでもなく――静かな期待の光を宿していた。




