森に住まう者① -銀狐の噂-
昨日は久しぶりに見回りも付き添いもなかった。
おかげで朝早くに目覚めた俺は、たまには用意するか……と、メリアに朝食を用意しようとしていた。
スープを作り、パンを切り分けようとしたが、パンが見当たらない。そういえば昨日パンを買い足さなきゃとメリアが呟いていた。買いに出るしかないな、と、メリアを起こさないように静かに家を出た。
幸いパン屋は家の目と鼻の先にある。さっさと買って帰ろう。朝の冷たい空気を感じながら、パン屋でいつものパンを購入して店を出る。すると、巡回中のローラス警官に出くわした。
「おう、久しぶりだな」
「お久しぶりです、ローラス警官。先日はメリアがご迷惑をおかけしました」
俺が頭を下げると、ローラス警官は苦笑しながら頬を掻いていた。
「ほんとにな、好奇心もほどほどにしろってアルからも言っといてくれよ。まあ言っても止められないだろうがな」
「おっしゃる通りで」
俺達は同時にため息を吐く。
「お前の妹、猪突猛進だよな。まあそのおかげで助かったところもあるけどな。で、その妹は今日はどうした」
「家でゆっくりしてます」
「いいなあ。俺もゆっくりしたい…まあ明日は俺も久しぶりの休みなんだけどな」
そう言ってローラス警官はじゃあまたな、と巡回へ戻って行った。
さて、それじゃあ今度こそ家に帰ろう、とすると今度はジョンに出くわした。今日は顔見知りとよく会う日だな。ジョンと会うのは赤い手紙事件のときぶりだ。
「あれ?アルにいちゃん久しぶり!!」
「ああ、久しぶりだな、ジョン」
久しぶりの再会に興奮気味のジョンが話すには、あの事件以来、外に出ることを怖がっていた被害者のエマちゃんが、先日、少し外に出てジョン達と遊ぶことができたそうだ。
ただ場所はいつもの遊び場でない。エマちゃんの家のすぐ目の前だ。それ以上はまだ足がすくんで先に進めないらしい。
それだけあの事件はエマちゃんにも、家族にも深い傷をつけた。それでも、少しずつ前に進もうとしているエマちゃん達の姿を思い浮かべ、俺まで前に進む力をもらえたような気持ちになった。
「強いな、エマちゃんも家族も」
「うん!また今度遊びに行くんだ!あっ、遊びに行くといえばね、この間友達と朝早くから森に行ったんだ」
「森?まさか郊外の…」
「うん!!森を冒険するつもりだったんだよ。あっそんなに深くは入らないつもりだったんだよ?でもさ、結局森には入らなかったんだ」
そう言って顔を顰めるジョン。ちょっと不安がにじむその表情に、俺はおや?と眉を上げた。
「なんで入らなかったんだ?」
「うーん、なんかね、森の近くで髭面の怖い顔したおじさんが大きな荷物抱えているところを見たんだよ。なんか嫌な感じがしてさ、友達は入りたがってたんだけど、リーダーの僕が冒険中止を決めて引き返したってわけ」
危なそうなものから皆を守るのが、リーダーの役目だからね!と握りこぶしを作るジョンに、妙な頼もしさを感じた。
「嫌な感じって?」
「うん。なんかね、おじさんが立ち去った後にそのおじさんのいた辺りまで行ったらさ、嫌な臭いがしたんだよ……血みたいな」
森の近くで荷物を抱えた男が漂わせていたとみられる血のような臭い。それは確かに嫌な感じだ。
「さすがリーダーだな、引き返したのは賢明だ。念のためしばらく森には近づくなよ?」
「うん!!もちろんだよ!!」
そう言って「じゃあまた!!」と元気に駆け出して行ったジョンの後ろ姿を見ながら、最早恒例のようになってきた"嫌な予感"が頭によぎる。
この予感が当たらないことを祈るばかりだ。
※※※
その夜。今日は贔屓の伯爵の付き添いだ。
「今日もいい香りだな」
「ありがとうございます」
相変わらずメリアの作るラベンダーのロウソクの香りを気に入ってくれている伯爵は、少し冷えた空気と共にその香りを味わっている。
季節が移ろい肌寒くなった夜の道をロウソクの灯りを頼りに歩きながら伯爵と会話をしていると、最近貴族間で流通しているという毛皮の話になった。
「まだ毛皮を身につけるには早いんだがな。最近珍しい銀色の狐の毛皮がやけに流通しているんだよ」
「銀狐の毛皮ですか?それは確かに珍しいですね」
銀色の狐の毛皮は年に1回出るかどうかといったところで、こうして貴族の付き添いをしている俺も今まで片手で数えられるほどしかその毛皮を身につけた貴族とは出会っていない。
「実は私も手に入れてね。いやあ、念願の毛皮を手に入れられて今から寒くなるのが待ち遠しいかぎりだよ」
「拝見するのが楽しみです」
伯爵のご機嫌を取りながらも、俺の頭には今朝のジョンの言葉が浮かんでいた。
『森の近くで髭面の怖い顔したおじさんが大きな荷物抱えているところを見たんだよ』
『おじさんのいた辺りまで行ったらさ、嫌な臭いがしたんだよ……血みたいな』
※※※
翌朝。朝食をメリアと食べながら昨日の伯爵との会話について話した。
「銀色の狐かあ、見てみたいなー。すごく綺麗だろうね」
「俺も生きた銀色の狐を見たことがないからな。会ってはみたい」
「どこで会えるかな?」
「あの森らしいぞ。郊外の」
俺の言葉にメリアの顔が引き攣る。あそこは俺にとってもメリアにとっても、一番最初の事件を思い出すトラウマの場所だ。
「あの森かぁ……いや、これは一歩踏み出すべき?今こそあのトラウマを克服するときなの?」
「いや、今はやめとこう」
「えっなんで?」
訝しげに続きを促すメリアに、ただの憶測に過ぎないが、と前置きして話す。
「あの森では罠を設置して動物を捕獲することが法律で禁止されてるのは知ってるだろ?」
「もちろん。弓矢も使えないんだよね?珍しい生き物がいるから」
「ああ。たまたま見つかった死体を回収することは許されているけどな。銀狐の死体なんて相当珍しいだろ?銀の狐の毛皮なんて年に1匹分出るか出ないかってところだ。それが今年は何匹もっておかしくないか?銀色の狐と出会うことすら幸運だって言われてるくらいなのに」
「確かに。銀狐が多く死んでしまっている…とか?でもなんでだろう?」
うーん、と食事の手を止めて考え始めたメリアに昨日メリアには話していなかったジョンとの会話を伝える。
「血の臭いって……嫌な感じ。でもその話と銀色の狐の話、何の関係あるの?」
「その男が森に罠を設置したり弓矢を使ったりして銀色の狐を捕獲してるんじゃないかと思ってな」
「えっ血の臭いを残してたから?」
「ああ。なぜその男が血の臭いを纏っていたのか考えてみたんだよ。ジョンがその男を目撃したのは朝早くだったって言っただろ?罠にかかったか確認に来て、獲物の処理をその場でしていたからだとしたら?」
メリアが眉間に皺を寄せる。
「ただの憶測だけどな。ジョンは鼻がきくからな、男がどこか怪我していただけなのかもしれない。でも、もし俺の憶測が正しかったとしたら、間違いなく厄介ごとに巻き込まれるだろ」
「うん。でもその男が法律を破って銀色の狐を捕まえてるなら許せないね」
「ああ。明日にでもローラス警官に念のため話しておくか」
「明日?」
「ああ、今日は久しぶりの休みらしいぞ」
警官に情報を入れたら俺の出来ることは終了だろう。あとは彼らの領域だ。
「そうなんだ!…あっローラス警官といえばさ」
バーベナ姉さんとローラス警官が順調にデートを重ねていると嬉々として語るメリアに苦笑しながら、俺は話に夢中になってすっかり冷めてしまったスープを口に運んだ。
いつもより時間のかかった朝食を終えるとメリアと買い出しに出掛けた。
買い出し中に聞こえてくる街の人々の会話に耳をそば立てる。こういうちょっとした会話からの小さな情報や何の関係もなさそうな情報が、どこで役に立つかわからない。
街を歩きながら人々の声を拾い集めていると、メリアが俺の肩を叩いた。
「ねえ、あれジョンじゃない?なんか焦ってるみたいだけど」
メリアの指す方向を見ると、血相を変えたジョンが俺たち目掛けて駆け寄ってきた。
「アルにいちゃん!!メリアねえちゃん!!」
「ジョン、そんなに慌ててどうしたの?」
近頃だいぶ涼しくなってきたというのに、ジョンの額には汗が滲んでいる。
「友達が、ライリーが森に入ったまま出てこないんだよ!!」
◇◇◇
森深くに進んでいたライリーは足を止め、目の前の信じられない光景に釘付けになっていた。ライリーの目先の先にいるのは銀色の毛をもつ子供の狐。ライリーは珍しい狐に遭遇し目を輝かせながら話しかける。
「これが気になるのか?」
そう言って差し出した籠の中にはたくさんのヤマブドウが入っている。今日のご飯にしようと、たくさん摘んでいたら、気づけば森の奥まで進んでしまっていた。
「きゅう」
鼻を鳴らしながら近づいて行く子狐。
「食べる?」
「きゅう」
ライリーが子狐にヤマブドウを差し出すと、子狐は何度か鼻を鳴らしヤマブドウを口にした。
「おいしいか?」
「くぅ」
ライリーが微笑ましく子狐を見守っていると、しばらくして満足したのか子狐はライリーへ近づいて行き、そのまま戯れ合うように遊び出した。人懐っこい子狐と追いかけっこしたり、物を投げて取ってきてもらう。
ひと休憩しようと、子狐のお腹をワシワシ撫でているとき、近くの茂みがガサガサと音を立てた。
手を止めたライリーが目を向けた先にいたのは子狐と同じ銀色の毛を持つ親狐。
「グルルル…」
唸り声をあげながらライリーに近づいてくる。
「えっもしかしてこの子の親?待って俺、遊んでただけで…!」
親狐は体勢を低く構え唸る口元には牙が覗いている。まずい、襲われるかもしれない、とライリーが身構えたそのとき、短い音とともに、親狐の身体がビクッと跳ねたかと思うと地面に倒れ込んだ。
「おい、大丈夫か?」
声がした方を見ると、髭を蓄えた大きな男が茂みから姿を現した。
「う、うん、ありがとうおじさん。でもこの狐に何したの?」
「一発入れただけだ。あぶねーからさっさと森から出て行きな」
「一発?」
まさか、とライリーが親狐を見ると身体に矢が刺さっている。
「グルゥ、グルルル…」
子狐が男に唸り始めると、男は片方の口角を上げながら笑った。
「今日はついてるぜ」
「ね、ねえおじさん……この森って弓矢を使うの禁止されてるんじゃなかった?」
「……よく知ってるなあ」
男が腰にさしていた短剣を抜く。
「矢はこれで最後だったからな。安心しな、俺は短剣の扱いも得意なんだよ。あまり苦しまねえようにしてやるからな」
男がそう言って歩き出した瞬間、ライリーは子狐を抱えて逃げ出した。
男はライリーを助けようとしたわけではない。弓矢の使用が禁止されている森で弓矢を使用し、狐狩りをしているのだ。
ライリーはそこまでは気が付いてはいなかった。だがそれでも短剣を抜き近づいてくる男の様子に、とっさに子狐を抱えて逃げ出していた。
「くぅ…」
「はぁ、はぁ、ごめんな、ごめんな、俺だけじゃだめだ、お前の親だよな?さっきの…必ず助けにもどるから、今は……っつ!」
抱えた子狐の様子に気を取られたライリーは、足元が疎かになり転んでしまった。子狐はライリーの腕の中で、心配そうに彼の頬を舐める。なんとか立ち上がろうと腕と足に力を入れたが、それよりも相手の方が早かった。
「お前の血で商品を汚したくねえ。まずはその小狐を渡してもらおうか」
追いついた男は、短剣を手にニヤリと嗤った。




