出立と到着
翌日の昼過ぎ、ブラウナー邸宅前――。
「では、くれぐれも、くれぐれもっ、娘を頼みます!」
コンラットさんが、後ろに立つ執事や屋敷の前に並んだ使用人ともども深々と頭を下げた。
目元の腫れは気づかない振りをするのが大人の対応というものであろう。
「お父様、大げさです。今生の別れではないのですから……むしろ、ここまでされては縁起が悪かろうというものです」
「う、うむ……」
外国に行くのとは違う。
それなりに平和な国の、平和な道を通って、自国の王都まで行くだけだ。
護衛などいなくても、基本的には無事に辿り着ける。
「夏と冬の休みには必ず戻ってくるのだぞ?」
「……優先すべき課題がなければ」
「親に元気な顔を見せる以上にっ、優先すべきことはなかろうっ」
正論ではあるが、往復に20日かかる。
疲れていればさらに疲れが溜まりそうで、休みの使い方としてはちょっと、という気がしなくもない。
神聖術という名の回復魔法があれば何とでもなりそうだが。
「辛いことがあったら、いつでも――いや、我慢することなどない、すぐに戻ってくればいい。わかったな?」
「はい。ですが、私は投げ出したりはしません」
「あとは、そう、手紙だ。ちゃんと毎日――」
「毎日は書けません。だいたい、毎日出すのにいくらかかると思うのです」
「では、3日――いいや、1週間に……」
「ひと月に一度はお出しします」
「うぐ……」
ふとコンラットさんの後ろを見ると、皆さん苦笑いしていた。
「お、男にはくれぐれも――」
「気をつけます。気も許しません。それとお父様、昨晩と話がかぶっています」
「そそ、そうか……そうだな……」
「皆さま、もう行きましょう」
「レオノーレ――」
「お父様こそご無理をせぬよう、お体くれぐれも大事にして下さい。父危篤などという報せを、受け取りたくはありませんから」
娘に無性に会いたくなって、父危篤の報せを自分で送りそうではある。
そのことに対して釘を刺したというのは、穿ちすぎか。
さすがに泣きつくようなことはなく――少し馬車を追いかけてきたが――無事に出発と相成った。
* * *
「――やっと解放されたわ」
レオノーレさんが、ほっと息をついた。
「お父上から、ですか?」
「嫌っているわけじゃないのよ。亡くなった母の分まで愛情を注いでくれようとしていたのはわかっているから」
「ただ、それが少し過剰であったと……」
「ええ。兄たちが家を出て、その傾向が強くなってしまって……」
過保護な親は、年頃の少女にとって息苦しいところもあったのかもしれない。
「出発を今日にしたのもね……例えば、3日後なんかにしたら馬車の台数が増えたわよ、きっと」
「レオノーレさんのための荷で、ですか?」
「そうそう。昨日の今日でさえ、これだけ積まれているんだから」
6頭引きの、けっこう大きく豪華な箱馬車なのだ。
その荷を積むスペースはいっぱいだし、イスの下にも詰まっているとか。
「使用人を連れて通う貴族の子弟もいるそうだし、これくらい珍しくはないんでしょうけどね」
「士官学校は誰でも入れるんですか?」
「――少し高い入学金と授業料を払えば、ね」
ほほう、それは好都合。かな。
「8割は貴族で、平民の肩身は狭いようだけど……」
「……苦労しそうですね」
「承知の上よ。それはそうと、エイヴさんは?」
「エイヴ……?」
最初は御者の隣に座っていたのだが、今はそこにはいなかった。
ということは……。
「たぶん、上でしょう」
「上……?」
箱馬車の屋根の上だ。
「――む? 呼んだかのぅ?」
逆さまの首が窓に現れる。
「……っ」
びくっとレオノーレさんの体が強ばった。
「エイヴ……ちょっとしたホラーだぞ、それ」
そこそこの速度で走っているのに、髪が後方へ靡かず真下に垂れているところとか。
「ど、どうしてそのようなところに?」
「む? 馬車の上に座るのは当然の責務じゃぞ?」
「どこの世界にそんな責務があるんだよ……」
「無論、悪の字を背負う者の、じゃ」
下から刺されたいのだろうか……。
「警戒はちゃんとしているようですし、いいのでは」
「……まあ、ね。警戒するには一番の場所だろうし」
探知魔法で警戒するんだろうから、あまり意味はないけど。
魔法といえば、馬車の外と中で会話を成立させているのはちょっと不用意かもしれないな……。
「――それにしても、いい馬車ですね、アカシ様?」
「ああ。振動が少ない」
ちょっと昔の車やら電車ってくらいには。
最新の車の微振動より、そこそこガタガタいってた方が眠気を誘ったり……。
「寝ないで下さいね?」
「寝ないよ」
「……寝たら、どうなるというの?」
「馬車が吹っ飛びます」
「え……」
それから10日間――。
陸路の旅は順調に、トラブルなく進んだ。
賊の類はおろか、魔物との遭遇もなし。護衛などいらないのではないかというくらいのもんだ。
一番危なかったのは俺がうとうとしてたときだろう。
万が一……いや、百が一くらいで起きうる事故の被害軽減のために、俺も屋根へ上がったりした。
毎朝毎夕には、レオノーレさんたっての希望で稽古の相手をした。
リーンやエイヴも指導を求められて剣で相手をしていたが、レオノーレさんが尊敬し……俺が自信をなくすくらいには2人とも剣を使えた。
特にエイヴは予測スキルを使って無刀取りなどというロマン溢れる奥義を見せてくれたり。
天魔に苦手なことはないというのか……まあ、2人がその中でも特別なだけだろう。うん、きっとそうだ。
あと旅の途中で変わったことというと……エイヴが夕食後にちょくちょく姿を消すようになったことだろうか。
エイヴの良からぬ企みが、俺にとって良からぬ結果に終わらないことを祈っておく。
そして、エッケを出発して11日目――俺たちは王都の門をくぐった。




