白と黒の襲来
「龍――?」
誰かの漏らした呟きが観客席に広がり伝播していく。
そう、舞台に落ちてきたのは龍だった。
白い龍と黒い龍。
2体は舞台に……いや、舞台が設置されている空間を埋めている。いつぞやに見た翼竜とは比べものにならない大きさだ。
顔の高さも、最も高い観客席より上の位置にある。大闘技場から頭を突き出している感じで、下手をしたら20メートル以上あるかもしれない。
今は閉じている背中の翼を広げたら、50メートルとか余裕でいきそうだ。
「……演出か? 幻魔法とかで」
「その手の魔法は使われておらんぞ。使われておるのは、身体強化を初めとする補助魔法じゃ」
「どわっ……!?」
いつの間にか、隣の席にエイヴがいた。
「えっと、それってつまり……?」
「あれらが本物という証明ですね」
本物認定された2体の龍は首を動かしキョロキョロしている。
まるで――彼ら自身そこにいるのを不思議がってでもいるかのように。
「なあ……おかしくないか、いくらなんでも……」
「同感ですね。縄張り意識の強い龍が、自らの意志で人里に現れるとは思えません」
龍は魔境の奥深くに存在し、人知の及ばない強大な力を有しているとされている。
Sクラス冒険者が10人以上集まってようやく倒せるような、それこそ天災クラスの魔物なのだと。
それがこんな場所に、唐突に、しかも2体同時に現れるなど、偶然ではあり得ないはずだ。
「エイヴ様や私がここにいるのが幸いですが――……その都合の良さはむしろ怪しむべきでしょう」
「かもしれぬな。あの龍ども、いきなりここに現れおった」
「……どういうこと?」
「ここまで飛んできて舞台に下りたのではなく、前触れなく空中に現れて降ってきたという印象なのです。転移魔法により、強制的に連れてこられでもしたかのように――」
龍を相手にそんなことができるのは、地上にはリーンとエイヴを始めとする悪魔たちしかいないはずだ。
天界には天使と――……。
「……って、その前に肝心なこと聞いてなかった。倒せるか?」
「可能です」
「当然じゃ」
即答とは。さすがの心強さだ。というか、そういう答えが返ってくる確信がなかったら、とっくにパニックを起こして逃げ出している自信がある。
「場所が悪いことを除けば、ですが」
「うむ。せめて闘技場が無人であればのぅ」
「周りへの被害的に?」
「人目があるという理由です。龍を倒せる魔法となると、どうしても目立ってしまうので」
「隠れてやるとかは?」
「さすがの発想じゃが、あまり変わらぬな。龍を倒したときに強大な魔力を発していた者がいれば、魔法の行使者が誰か自ずと知れよう?」
俺にはまったくもって感じ取れないけど、魔力を使える人――かなりの割合だ――にとって外向きの魔力の行使はある程度は感じられるものらしい。
そういう魔具もカジノにはあったようだし……。
知覚範囲は個々の実力次第だろうが、魔法の行使者がヘリコプターレベルの存在感がある魔力を発していれば誰でもわかるというものだ。
「――ですが、そうも言ってはいられないようですね」
状況に戸惑っていたように見えた龍たちが、徐々に敵意を露わにしてきていた。
地獄の底から吐き出されたかのように熱く冷たく、巨大なエンジンのモーター音のような、ヤバさ満点の唸り声が大闘技場に低く木霊する。
そういえば、龍ばかり見ていてあんまり気にしていなかったが……観客の反応はどうなってる?
周囲へ視線を走らせる。
半数は自席に留まり、半数は静かに逃げ出そうとしている、といった印象だった。
さすが異世界というべきか。
誰もが魔物の注意を引かないように行動しているようだ。
それでも、危うさは感じられる。
龍に対する恐怖、その登場に対する惑乱――。
ここで主催者側が避難のアナウンスでも入れれば、あるいは龍が少しでも暴れ出せば、パニックに発展してもおかしくない気がする。
ああもう、仕方ないな。
「――リーン、赤龍のナイフ頼む」
言うと、すぐに亜空間から取り出されたそれを渡された。
「アカシ様が攻撃するのが、最も無難な選択肢でしょうね」
「まあな……」
正直言ってやりたくないのだが――俺の<眠りあれ>を発動させれば、倒せないまでも時間を稼ぐことができる。
戦力が整えば、眠らせつつ倒すことも可能だろう。
「もっとも――……今後に対する配慮がいるかどうかはわかりませんが」
「……――ん?」
「今はお気になさらず、励んで下さい」
「はいはい。それにしても……ったく、あいつら、こいつの持ち主の倍くらいはありそうだな」
歯のスケールから推測するに、この白龍と黒龍はたぶん赤龍の倍以上育っている。
必ずしもでかい方が強いってわけでもないだろうが、おそらくこの白龍と黒龍は赤龍より格上の存在だ。
ダメージを通せるかどうか不安だが、そこはリーンの付与魔法を信じることにする。
「ふぅ……」
龍は今、大闘技場にすっぽりと収まっている。大闘技場を鍋とするなら、龍はさしずめ猫。猫鍋状態だ。
その状態なら方向転換は行いづらいし、翼を広げることも難しいだろう。攻撃を当てるだけなら、非常に容易い状況だ。
だが、攻撃のタイミングは慎重に選ばないといけない。失敗して、俺の攻撃をきっかけに龍が暴れ出しでもしたらシャレにならないし。
あとは位置取り。2体がほぼ接触している現状で1体を眠らせても、もう1体が動けば即座に睡眠が解けかねない。なるべく時間差無しに2体を攻撃できる位置からでないと――。
「成功したら、避難指示とかできるか?」
「承りましょう」
「さて、なるべく急がないと……」
龍がいつ攻撃を始めるかわからないし、血の気の多い闘士が出てきて攻撃を仕掛けかねない。
俺は、空いている席の背もたれを足場に移動を開始した。
本能的に敵対しているとはいえ、この龍にとって人間の存在はアリんこレベルだろう。
人間にとっての蚊みたいなもんだ。鬱陶しいが日本では脅威ではない。生活圏にさえ入ってこなければ、わざわざ攻撃しないだろう。
うん、まだ攻撃しない。だからもうちょっと、もうちょっとだけ……動いてくれるなよ?
祈りながら、慎重に素早く、音を立てずに。
「……――よし」
辿り着いたのは背中合わせの白龍と黒龍の真横。
落下防止の柵より若干高い位置にある席の上だ。
席のひとつひとつにも付与魔法がかかっているようで乗ってもビクともしないし、足場としての強度も十分。
ここからなら、<縮地>による一歩で強襲できる――。
「アカシッ、白じゃッ!!」
エイヴの声。
白龍を見上げると、開けた口の奥から危険そうな光が――ブレスでも吐くつもりか?
非常にまずいが、攻撃するタイミングとしては今がベストだ。
「いっけっ――!!」
<縮地>で飛び出し、その勢いのまま白龍の右脚部にナイフごと突進する。
キンッ――。
「なぬっ!?」
乾いた音を立て、ナイフの切っ先が弾かれてしまった。嘘っ、信じてたのにぃっ!?
ついでのような体当たりも、コンクリの壁にぶつかったかのような感覚で跳ね返されてしまう。
「ぐっ!? ごふんっ……!?」
柵に鯖折りを喰らって、観客席の最前列の通路に落下。
ぐっ……い、いっでえぇぇ……。
全身の骨がバラバラになったような感覚。
だが、闘技スペースには落下しなかったのは運がよかった。あとリーンの付与魔法がかかった制服を着てなかったらナイフが自分の腹に刺さってたかもしれない。
いや、今はそんなことより。
攻撃は失敗した。
まだブレスの衝撃がないということは、リーンかエイヴが防いでくれたのだろうが。
「りゅ、龍は――……!?」
白龍はブレスを吐こうとした体勢のまま、凍りついたように静止していた。
俺が攻撃した白龍だけでなく、黒龍の方もだ。
「止ま、ってる……?」
「……――時間停止、ですか」
「そのようじゃ」
音もなく両隣に天魔が現れた。
「なるほど……被害を出すのは本意ではないということですね」
「――え? あれ、2人がやったわけじゃないの?」
「うむ。選択肢として、なくはなかったがの」
「あれは封印に使う魔法ですから」
「封印っていうと、悪魔を封印してたヤツ?」
「いえ。時間停止は文字通り、標的を完全に停止させるだけの魔法です」
確かにエイヴは封印の効果範囲内で動いてたからな。ちょっと、どころではなく違うか。
「アカシ様にとっては、タイミングが災難でしたね」
「時間が止まる故、あらゆる外部干渉を受けつけんからの」
「弾かれたのはそのせいか……っ」
どこのどいつだ……う、訴えてやりたいっ!
「結果にはさほど違いはありませんが――『観客の皆さんにお伝えします。舞台上に2体の龍が出現しました。危険ですので、速やかに都市の外まで避難して下さい。繰り返します――』」
リーンのそんなアナウンスは起きかけていたパニックを緩やかに引き起こした。
とはいえ、観客はすでに半分ほどになっている。出口に殺到しても、事故は起こらず、避難の流れが途絶えることはなかった。




