血爪のギリアナ
「ふぅ……っ」
試合開始。
と同時、緊張を肺に溜まった空気と一緒に吐き捨てた。
青眼っぽく構えて、5メートルほどの距離を挟んで立っている対戦相手を見据える。
彼女がアッシュより速かったらごめんなさいするしかない。
が、そうでないなら――仮想アッシュ、そしてトレーニングにもってこいの相手となる。
すんなり勝てるなら、勝ってしまいたいけれども……。
「攻めて来ないのかな?」
「……まあ、パワーもスピードも負けてると思うし」
パワータイプなら先手を取るが、スピード負けしている相手に先手を取っても仕方ない。
「そうかい、なら――こっちからいかせてもらうよ」
ギリアナが体を沈み込ませた。野生動物が跳躍のために、力を溜めるように。
事実、彼女の両手は舞台に触れている。
その四足を使う姿勢は、立っていたときより馴染んですら見えた。
なるほど、生まれ持った機動力をフルに生かそうとするなら手を塞いでしまう武器類は邪魔だろう。
「ふっ……!」
短い呼気をその場に置き去るように、ギリアナは四肢で地面を蹴った。
――真っ正面からかっ!?
スピードはある。だが、弾丸のような直線の軌道。
持っている剣を突き出せば、そのまま当たりそうだ。
そんな思考が速いか、反射が速かったか。
俺は迫ってくる的に向けて剣を突き出していた。
ギリアナの下向き加減の顔が歪む。笑みの形に。
そして、俺は彼女の姿を見失ってしまう。
「……っ!?」
脳の理解を超えた出来事に、体温が一気に上がった。
逆に、皮膚は寒さに震えたように毛を逆立てる。
「――こっちだよ」
声は、左後方。
嫌な煌めきが視界の隅に映り、回避行動を取ろうとした。
「おっそい」
風切り音が迫ったかと思うと、何かが脇腹を薙いでいった。
ザクッという肉を切る音と、ガリガリガリッという骨を直接引っ掻く音を、俺の体内に残して。
やられた――。
数瞬遅れて、左脇腹から灼熱感が溢れ出す。
「ぐっ、ううぅぅぅっ……!?」
武器を投げ捨て転げ回りたくなるような激痛。
何だこれっ!? 打撃系の痛みじゃないぞ……!?
そんな疑問を感じつつも歯を食いしばり、右方向へ飛びつつ体を捻る。
恐れたいた追撃はなかった。
「あのシュライエンを倒したって聞いて、どんだけのものかと思ってたけど……今のを避けられないってんじゃ、お話にならないねぇ」
初撃をあっさり喰らってしまうほど俺が格下なのが幸いしたようだ。
いや、今はそれより――。
「つ、爪……!?」
そう、爪だ。
ギリアナの両手がアイアンクローと化している。比喩ではなく本当に。
金属が別の物質かはわからないが、とにかく指先が硬質化しているのだ。
先端は鋭く、まるで刃物のよう。
「じゃじゃ、じゃ、ジャッジーッ!? ああ、あれ、あれってアリなんですかっ!?」
「体の一部だからオーケーだ」
「なんですとぉっ!?」
マジかっ!? なんだそれ、霊力で切ったからアリとか死んでも事故とかそういうノリかっ!?
ああ――そうか、そういうことか。
試合前に買った情報誌には、『爪を武器として使用する』と書いてあった。『使用する武器は爪』ではなく。
そこは単に『爪』じゃなく、『己の爪』と書いておいてほしかった……。
「安心しなよ、腕の1本くらいなら千切れてもつけてもらえるからさ」
「くっ……」
この猫女、シュライエンさんより肉食系っぽいぞ。
「それよりさぁ……アンタ、コレはどういうこと?」
「……さあ?」
彼女の質問の意味はわかったが、俺はすっとぼけた。
俺の脇腹に刻まれた爪痕、そこから流れて服についた血の染み、舞台や彼女の頬に飛んだ返り血、俺を傷つけた爪についた血。
それらすべてが跡形もなく消えていた。まるで、存在していなかったかのように。
傷が消えただけならいい。それは単に回復が早いというだけだ。
だが、後ろ3つの動作は明らかに異常だった。
「ふうん、なるほどねぇ。基礎能力はともかく、回復力は獣人以上に高いってワケね」
「……まあ、ね」
「フフ、いいよ? どこまで耐えられるか試してあげようじゃないの――」
くっ、やっべえ。
打撲と切り傷では痛みの種類が違う。
しかも、4本とかたまったもんじゃない。二度と喰らいたくないと思うほどには痛かった。
「ほら、いくよっ」
「……っ」
相手が動いたと同時、俺は後ろへ飛んだ。
相対速度を落とせば――。
しかし、ギリアナはもう手が届きそうな距離まで迫っていた。
酷い速度差。F1カーと人力車くらいはありそうだ。
相打ちを狙うか? けど……。
怪我を恐れた心が勝手に手を出させる。
そんな中途半端な攻撃が一流の闘士に当たるはずもなく――。
「ぐっ……!」
擦れ違いざまに、今度は右の脇腹をザックリとやられてしまった。
必死に振り向く。
ギリアナは脇を駆け抜けた勢いのまま距離を取っていた。
そして、その目は明らかに傷へ向けられている。
「……治るまで7秒ってとこ?」
……それが確かなら体感よりは速く治っていることになる。
そりゃそうか、痛みは時間を長引かせる。焼き土下座を見れば明らかだ。
「それも驚きだけど、時間が来るまで治る気配がまったくないのも驚きね?」
「まあ、自分でも驚くくらいだからな……」
後ろへ飛んだおかげか、少しだけ見えた。
動物が危険回避の際に見せるような、急激な方向転換が。
あれが、相手を幻惑するステップ――ではないだろう。
あくまで通常の動きの範疇だ。それについてこれないのだから、使うまでもない。そんなところか?
「もう少し、試させてもらうよ――」
ギリアナが三度正面から接近してくる。
スピード自体はアッシュほどではなさそうだが、それでも速い。
左右への切り返しもギリギリで見える程度で、とてもではないが体はついていかない。
せいぜい剣を相手がいそうな方向に振れる程度だ。
が、俺の攻撃速度は並もいいところ。あっさりと躱されてしまう。
「それ、牽制のつもり? ――それとも、その程度の攻撃でも当てたら勝てるスキルを持ってるわけ?」
「さあね……」
惚けてみるも、ギリアナはある程度の確信を持っていることだろう。
いくらタフでも、俺のスペックじゃ、そんなスキルでもなければ勝ち上がってはこれなかったはずだと。
「ま、どっちにしても鈍すぎて当たりゃしないけどね」
……確かに?
端的に言えば、俺の攻撃より相手の身のこなしの方が速いのだ。
だから俺の攻撃は受けずに全部避けてくるだろう。
これはアッシュと戦うときも大きな問題となりそうだ。
……それ以前にこの試合に勝たないとダメなんだけど。
「さて、次は――」
闘技を心から楽しんでいますよ的な笑みを浮かべながら高速で接近してきた。
なんとか反射を抑え込み、相手の行動を待つ。
俺が動かないと見るや、真正面から攻撃してきた。
「――ぐうっ、ぅあああぁxっ!」
太股に衝撃を感じた瞬間、剣を振る。
手応えは……ない。
「……そんな傷はどう?」
声は開始時と同程度の距離から聞こえてきた。
「いってっ……!」
どうやら爪を突き刺されたようだ。
右太股から動脈血がブシュッと噴き上がり、力が抜ける。
しかし、これも10秒と経たずに回復した。
「……それも治るんだ。ホントすごいじゃない」
微妙に硬い音が混じる拍手。
余裕ぶっこいてるな、まったく……。
そう、弛緩して見えるギリアナのあれは、油断じゃなく強者の余裕というものだ。
俺の攻撃ではやはり追えなかった。
少なくとも、見てから反応、という流れで攻撃していたのでは捉えられないことは確定的に明らかだ。
「やるしかないな……」
――ギリアナの攻撃力はさほど高くない。
確かに爪による攻撃は脅威だ。これまで受けた傷が残っていたら、痛みと流血で闘っていられるような状態ではなくなっていただろう。
しかし、そこまでだ。一撃必殺には遠い、
皮を裂き、肉を斬り、けれど骨は断てない。
削り取って勝つための武器――。
なら、チャンスだと思うしかない。
実戦に勝る修業はない、という言葉を信じよう。
どのみち、試してみる他はない。
覚悟を決めて、俺は目を閉じた。




